温かいお茶
あれから深守と手分けして作業に取り掛かったことでいつもより大分早く仕事が片付いた。
「……ふぅ…。終わりましたね」
「えぇ、綺麗になったわ」
私達は辺りを見渡しながら呟いた。
床の汚れも庭の落ち葉も、不要な物が全て無くなったことにより、見栄えの良い外観――人を呼びたくなるような気持ちになるような、そんな雰囲気になった。
「深守ありがとうございます。おかげで自分の時間も取れそうです」
「おや、何かやる事でもあるのかい?」
「あ、えっとそうですね…。着物のほつれを直そうかと思いまして」
私は針で縫う素振りをしながら深守の方を向いた。
深守は納得したように頷くと、
「なら早く中に入りましょう。こんなところいたら寒くて震えちゃうしね」
とわざと身震いする仕草を見せた。
家事をこなす時は体を動かす為そこまで寒さは気にならない。…というより気にしないようにしているけれど、確かに冬真っ只中の今。作業も終わり、特に何もしていない状態でずっと廊下に突っ立っていたら、カチコチに凍ってしまうかも。
とはいえ私は、そこまで寒さが気になる体質ではなかった。着込んで作業をするのが苦手で、冬場も薄着でいたら慣れてしまったから。だからこのまま縁側に行ってまったり…とかも全然出来てしまう気がした。
でも寒がる深守にそんなことさせるわけにはいかない。
「そうですね、場所を変えましょう」
なるべく急ぎ足で囲炉裏のある場所へと向かった。
「――深守、お茶を入れますが飲みますか?」
「ありがとう、頂くわ」
私は部屋に入ると同時に用意した薪を炭の上に載せると、着火させる為に火打ち石をカツンカツンと鳴らした。仕事や家事をこなしていて囲炉裏から目を離しがちだとこの作業も度々起こる。少し大変だけれど、この時間も含めて私は日常…というものが好きなんだと思う。
それに深守も興味深そうに火が灯るのを見守っていて、ある意味で、全部の作業を行えたのは機会に恵まれていた。
(ふふっ尻尾が動いてる)
「こうやって火を起こすの、懐かしく感じるのよね…」
「懐かしい…?」
「アタシ、普段人様の世話にはならないからサ。火を起こすなんて全然で……。…でも昔、少しの間だけお世話になった人がいてね。その人もお茶が好きだった。慣れた手つきで火を起こして、暖を取りながらゆったりと過ごす姿―――」
「………」
深守の声は最後だけとても小さくて、聞こえなかった。だけど、懐かしむ深守の表情はあたたかくて、そして切なく感じた。
――囲炉裏でお湯を沸かしつつ、部屋が温まるのを静かに待つ。無事火も付け終わり、ぱちぱちと鳴る火花を耳に入れながら心地の良い時間を過ごす。
私は持ってきた着物と裁縫箱を広げると、ほつれを直しながら時々深守の方を向いた。
深守は私が座っている場所から見て左側の位置に腰を下ろしながら、火の番をしている。
「……そろそろお湯、良い頃かもしれないわね」
「あ、本当ですか?」
私は裁縫を中断すると、傍に用意しておいた湯呑みに茶葉の粉末を入れた。
その間にも深守が茶釜からお湯を取り出し、慣れた手つきで湯冷ましに適量を注ぎ込んでいる。
「…ふふ、ありがとうございます」
これも昔の名残…なのだろうか。
深守はまだ熱い湯冷ましを手に取って「あたたかい…」と呟く。
「火傷には気をつけてくださいね」
「ありがとう、でも気持ち良くて」
なんとなく心配になって声に出していたが、全然大丈夫そうだ。深守は本当に寒がりなんだな、とクスッと笑う。
「…そろそろお茶に入れましょうか」
少し冷ましたお湯を、改めて湯呑みに移し替える。ふわっとお茶の香りが溢れて心が落ち着くのを感じる。
「いい香りね」
「はい。どの種類のお茶も、それぞれの良さがあって大好きです」
私は両手で湯呑みを持つと、そのまま口へ運んだ。ちょうど良くなった温度。苦くもなく、薄くもないこの味が一番好き。
「……やっぱり、この時間が身も心も落ち着きます。だけど、…度々寂しくなるんです。私、この家にはお世話になっているだけだから…。大切にされているのは十分に伝わるし、私も宮守の人達は大好き。なのに私は本当に此処にいてもいいのかなって…外に行っても居場所なんてないのに、そんなことが頭に過ってしまうんです」
「結望……」
柄にもなくつらつらと出てきた言葉と、ぽろぽろと自然に溢れた涙に戸惑う。止めようと思っても止まらなくて、どうしたらいいのかわからなくなる。
「あっ、あれ? …ごめんなさい。そんなつもりなかったのに……っ…」
「――結望」
「ごめんなさい…。ごめんなさい深守…ごめんなさい…」
私はは俯くと、袖で顔を覆う。呼吸が上手く出来なくてひくついてしまう。
ずっと考えないようにしていたのに、昨日から不安で不安で仕方がない。自分の弱い心に嫌悪感を抱き、この感情になることも苦しくて。今蘇らなくてもいい、昔あった出来事まで思い出して、
「っ…怖い…」
――怖い。人が…怖い。
恐怖でいっぱいになった。
「いや…。わ、私…っ…何も、何も考えちゃだめ……だめ、だから…」
「結望…! 大丈夫、大丈夫だから…! アンタはアタシが…、アタシが守ってみせる…!!」
深守は私を包み込むようにぎゅっと抱き締めると、何度も何度も言葉を繰り返した。
――結望は村人からよく虐められていた。身寄りがなく、日本離れした髪色と瞳。気持ちが悪いと罵られ、宮守以外の人とは全く交流をしなくなってしまった過去があった。酷い時には泥をかけられたり、髪の毛を引っ張られ切られたこともあったとか。それもあってか、結望は髪の毛を比較的短くしている。女性にとって髪は命。そう呼ばれる程大切なものだとわかっていての行為は、想像しただけで耐え難いものだ。
しかしここ最近、甘えてばかりではだめだからと、自分の力で生きる努力する為に外で働きたいと結望きっての頼みがあった。その結果は…想像通りだった。適当な理由を付けられ追い返されてしまったそうだ。大人になった結望にこそ、そこまで酷い態度をとる者はいなくなったが、視線は決していいものではなかったという。
――これは昨晩、結望が眠った後昂枝から呼び出され聞いた事。結望と話す時は細心の注意を払えと怒られたのだ。
アタシも聞いた時、とても苦しくなった。自分のような人ならざるものは力で何とかなっても、この子は普通の、ましてや人間の女の子だ。
一度壊れた心を戻すのは難しく、戻ったと思ってもどこかですぐパキンと折れてしまうような危うさがある。
それが今結望の心の中をぐちゃぐちゃにさせている。ずっと溜め込んでいたものが昨日の事件で限界を迎えてしまったんだろう。
(……謝るのはアタシの方。ごめんなさい結望…)
もっと早く駆けつけてやれなかった自分が情けない。怖がらせる前に、鬼族が来る前に…。でもそれを言い訳にはしていられない。これ以上結望を悲しませない為に“神様”がやれる事は沢山あるんだから―――。
「――…結望。必ずアタシが守るからね。絶対に守るから、裏切らないから…」
私の全身を覆いながら深守は呟く。
優しく慰めるように、だけど力強く。
「深守…ありがとう、ござい…ます…」
私は涙を拭いながら答える。
「いいのよいいのよ。神様に全てを委ねなさい。アタシはね…、アンタの為に此処に来たんだから」
「深守…」
出会ったばかりでまだわからないことだらけの狐さん。
だけど私をとても気遣ってくれて、村の人達のようなことはしない。
(この人は――宮守の人達みたいに信じても大丈夫なのかしら…)
息を整えて、目の前にいる深守を見据える。
「私…、強くなりたいんです」
「……」
「…深守、そのお手伝いを…してくれますか?」
「…えぇ、勿論」
深守は微笑むと私の涙を指で拭い、頭を撫でた。
「……お茶、入れ直しますね」
「…ありがとう」
もう一度この時間をやり直すように、湯呑みに大好きな香りを振りかけた。
(……取り乱しちゃったな)
少し落ち着いた瞬間、深守に申し訳ない事をしたと深く反省した。例え彼本人が気にしていなくても、私は気にしてしまう。
「さっきはごめんなさい…。…この一杯を飲んだら、また頑張ります」
なんて言うのが正解かはわからないけれど、私は意思表明をした。
自分のやるべき事、自分の弱さ。私はもっともっと頑張らなくてはならない。もう子供ではないし、甘えてなどいられないのだから。
深守は私を見つめるが、口元を緩めるだけで何も言わなかった。彼は静かにお茶を飲むと、また先程のように火の揺らめきを眺め始めた。
それから私達は何も会話をせず、ただ穏やかなひとときを過ごしたのだった――。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます