第二章

小さな古書店。私は学校帰りにふと足を止めた。本なんて読まない私だけれど、その時はなぜか、その古びた書店に足が向いた。なぜだろうか。その疑問を胸にしたまま、奥へ奥へと進む。誰も使っていないのであろう。壁辺りに他とは違う小さな本棚に一冊の古びた本が置いてあった。古い本なのかな。と手に取ってみたら、二年前に出版された一冊の小説だった。流行りに疎い私でも、それはすぐにわかった。テレビで話題になっていたからだ。どうやらその本は妖にまつわる話で、主人公は作者本人らしい。らしい、というのは、どうやら作者自身、妖が幼い頃から見えているみたいだからだ。私はそういうのには詳しくないけれど、妖というと人魚や河童とか。どちらにせよ、それは単なるいたずらだろう。人間に妖が見えるなんて、

「その本に触れちゃいかん!」

突然大きな稲妻が飛んできたようなけたたましい音が轟いた。そこには店員らしきおばあさんがいた。「その本に触れたものは必ず身に良くないものが起きる。悪い事は言わん。今からでも遅くないから、その本を置いて、お帰り。」おばあさんは切羽詰まったように、声色は優しいが、荒らげていた。「どうしてですか。なぜ触れてはいけないのですか。ただ小説にこれほど取り乱すなんて。おばあさん、これはいったい…」私が話し終える前に、おばあさんはさえぎった。「お嬢ちゃん。悪い事は言わない。君の人生はまだ長い。そんな馬鹿げた本のことを忘れて、まっとうな人生を送るんだ。その本に触れたことはとっとと忘れるんだ。良いね。」おばあさんと私の間に静寂が流れる。「…い、いや、いやです!何でですか。本に触れただけで、帰れってあんまりじゃないですか。わたしのしらないことばかり喋っては、帰れですって。何も知らない客にいきなりの罵倒。失礼ではありませんか。」「だからじゃ。何も知らないおぬしには、喋っても無駄じゃ。帰れ、帰れ。」「…作者が」私がボソッと口にした途端、おばあさんの肩がピクッと跳ねた。「この本の作者が妖だからですか。」「…」「噂程度ですけど、その噂は絶えず、今でもなお語り継がれている。おばあさんがこんなにも取り乱しているのは、作者があなたのお孫さんなのではないのですか。分かりますよ。私も同じですから、私は妖ではないけど、変なものが見える。周りはそれが見えなくて、私を化け物扱いする。それでもいいんです。信じろっていう方がおかしいんですから。どんなに罵倒されても、どんなに理不尽なこの世界に生まれてきても、それでもいいんです。いつか誰かが私のことを見つけ出してくれる。たとえそれが何年経とうとも。」「孫は、わしの孫は妖ではない。もし君の言っていることが本当ならば、孫もまた、君と同じように幼い頃から妖を見ている。」「え…」「ま、今はそれを隠し、名もない小説家として何とか稼いでいるらしいが、唯一人間の娯楽として売れたのがこの小説じゃ。人間は誰だって、目に見えないものは否定しようとする。存在しないものは伝説として語られ、幸をなしたものは神として祭られる。逆に不幸をなしたものは神の落ちぶれとして、地獄へと引きずられる。人間社会も同じじゃ。強いものは崇められ、弱いものは蔑まれる。孫も同じ、人間の弱者じゃ。落ちぶれじゃ。」「そんなことおっしゃらないでください。お孫さんがかわいそうです。それにお孫さんもそんな悪い人ではないと思います。あったことはないけど、私と同じ、妖が見えるのなら、きっと悪い人ではないはず。知ってます?妖って悪いものばかりではないのですよ。妖は元は人間。ですので、同じ種族でなくても、人間と同じように接していれば、きっと妖たちもわかってくれますよ。あ、噂をすればほら、そこにもいるじゃないですか。妖。小さくてかわいい妖狐が。」「お嬢ちゃん、見えるのかい。その狐が。」「妖狐がですか。はい。綺麗な赤い目ですよね。それに美しい毛並み。もふもふでかわいい!」私は時も忘れ、幼い妖狐を堪能した。おばあさんの表情が少し和らいだ気がした。「昔はあちこちにいたのだよ。妖なんて、存在するのが当たり前じゃった。人と妖は唯一無二の存在で、かけることはなかった。ただいつからか、人間は妖には何をしてもいいと思うようになった。声を荒げては、暴力をふるい、弱ってしまった妖は手当もせずに置き去りにし、別の妖を探しに行った。それからか、今では妖を見るきかいは減り、見えるものも少なくなった」「おばあさん、お孫さん、今どこにいるか知っていますか」「ここから先の小さな村の麓にいるけど、どうしてだい。」「会って話を聞いてきます。どうやったらまた妖と人が仲良くなれるのか。会って、自分で確かめたい。」「孫はそう簡単に人前に出るような子じゃないよ」「そうかもしれません。ですので、この子を連れていきます。」

おばあさんの言い訳を聞き耳持たずで言葉を交わした後、私は行くべき場所に足を向けた。目指すは、小さな村の麓、妖が見える作家に出会うことだ。

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