第29話 筋肉ご飯
「本当、何にもないね。」
朱音とシロは日課になっている朝の散歩として甲板に来ていた。
「あっちを見てもこっちを見ても見渡す限りどこも海。」
船に乗る前は景色を眺めたりとかを楽しみにしていたのだが実際は直ぐに飽きた。陸地が見えている内はまだマシだった。出航して2日目にもなると見渡す限り海となり景色が変わる事はなかったのだ。
「はあ、何かゲームでも持って来たら良かった。」
そう言っても朱音が持っている携帯ゲーム機と言えば画面も白黒の縦長の機械だ。乾電池で動く物で父親が持っていたのを譲り受けて使っていた。かなり古い物なので果たして持って来たとしても動いたかどうかは怪しかった。
そう呟いている横ではこれも日課となっている自衛隊員達とシロによる追いかけっこが行われている。
「シロは楽しそうで良いな……。」
と言うのも暇をもて余した隊員達が多く居るのでシロは何処に行っても人気者だ。やはりこういう閉鎖的な空間での動物は人気になるようだ。
「馬場さんに退屈になると言われていたけど、これは予想以上だったよ。」
あまりにも退屈なので朱音は馬場の言っていたトレーニングルームに行ってみる事にした。
「シロ!」
シロは朱音に呼ばれて駆けつけて来る。それを見た隊員達はシロと遊ぶのを終わりだと判断し、休憩がてらその辺に座りこんだ。
「トレーニングルームに行ってみない?」
「ワウ?」
そう言われたシロは座りこんだ隊員達をチラッと見た。
「ワフン。」
「え?行かないってどういう事?」
朱音はシロは当然ついて来るものだと思っていた。
「ワフウン。」
「遊ぶ?まだここで遊ぶって事?」
「ワン。」
「もう、しょうがないな。いいよ、なら私だけで行って来るね。それでも良い?」
「ワン。」
シロは大きく頷いた。そして座りこんでいる隊員達の元へと駆けて行った。
「すいませーん!シロ、もっと遊びたいそうなんでお願いできますー?」
朱音は大声で隊員達に話しかけた。それを聞いた隊員達は大きく手で丸を作っていた。
「シロー、あまり迷惑かけないようにねー。」
そう言って朱音はその場から立ち去った。朱音とシロが離れるのを隊員達は気にしない。何故ならば既にシロは勝手に1匹で船の中を自由に歩き回っているからだ。そんなシロの様子を隊員達はよく見ているので主人と離れて行動する事はいつもの事なのである。そして隊員達はそんなシロの事をよく可愛がっていたのだ。
「ワウン。」
自分達の元へと駆け寄って来るシロを隊員達は温かく嬉しそうに迎えるのであった。
さて、朱音はと言うと
「ここがトレーニングルームか。」
初日に馬場に推され過ぎたので逆に行きたくないと思っていたのだが、こうもする事がないとちょっと覗いてみようかという気分にもなってくる。
扉を開け中を覗くと様々なトレーニングマシンが置いてあり、それを使い鍛えている人達がたくさん居た。
「お、朱音」
「あら?朱音ちゃん。」
声がした方を振り向いて見ると
「馬場さんに高遠さん……。」
馬場はトレーニングウェアに身を包みいかにも鍛えてますという感じでシャツは汗で濡れていた。
「高遠さん……。何で?」
遠藤はと言うとトレーニングルームだけあって服装はトレーニングウェアだ。しかしトレーニングルームに相応しくない物をその手に持っていた。
「何でご飯を持っているの?」
高遠はその手に白米が入った茶碗と箸を持っていた。
「私は今モグモグタイムなの。」
「ここで?」
「朱音。何も言うな。無駄だ。意味なく疲れるだけだ。」
馬場がその会話を止めようとするが、
「筋肉を眺めながらのご飯。美味しいわよね。」
同意を求められても困る。意味が分からない。筋肉を眺めながらのご飯?
「ほら、あそこのベンチプレスしている人。あの大胸筋だけでご飯3杯はいけそうよ?」
大胸筋でご飯3杯?一体何を言っているんだ?
「あの、えーと……。」
「朱音。相手にするな。相手にしたら負けだ。」
「はあ、良いわ。」
高遠は周りを眺めながら本当にご飯を食べている。その表情はご飯を食べているような表情ではない。ご飯さえ食べていなければどこか色っぽくさえ感じる。
「馬場さん、こんな事を許していいんですか?」
「仕方がないんだ。こいつの行動を誰1人として止める事は不可能なんだ。」
そう言って馬場は首を降る。確かに高遠のこの奇行を咎めようとする人は皆無だ。
「俺達も最初は止めようとした。しかし……。思い出したくもない。」
どうやら何かあったらしい事は分かった。分かったが、
「知らない方が良さそうだね。」
「すまない、そうしてくれ。」
馬場がどこか少し青ざめた表情で答えた。しかしご飯だけとは美に関して五月蝿そうな高遠にしては栄養のバランスも何も無い食事内容だな。それがあまりにも気になり
「高遠さん。野菜とかも摂った方が良いですよ?」
「そうね。そうなのよ。分かってはいるのよ。でもね、筋肉をおかずに食べるご飯に他の物はどうしても邪魔なのよ。」
どういう事だろう?高遠の言う事の意味がさっぱり理解できない。
「栄養バランス悪いですよ。」
「だよね。だから筋肉ご飯は1日に1回と決めているの。そうしないと食べ過ぎてしまうし、肌も荒れちゃうから。」
筋肉ご飯。聞いた事も無い新たなワードが出てきた。
「あら?」
気付けば高遠の持つ茶碗が空になっていた。
「もう1杯だけ。」
そう言うと高遠はその場を立ち壁際へと歩いて行く。高遠の向かうその先には
「炊飯器……。」
高遠は炊飯器の蓋を開け茶碗にご飯をよそう。朱音は疑問に思う。
「トレーニングルームって炊飯器って置いてある物なの?」
「あれは高遠の私物だ。」
「え?ごめん、たぶん聞き間違えたんだと思う。」
「あれは高遠の私物なんだ!」
何故か泣きそうな表情で馬場が叫んだ。駄目だ。理解できない。とそこに遠藤が戻って来た。お茶碗には山盛りの白米が。
「あ、そうだ。朱音ちゃんの分を忘れてた。ごめんね。今すぐ入れて来るから。」
「え⁉️いや、大丈夫です。お茶碗もありませんし。」
我ながらナイスな言い訳だと思った。
「心配しなくても大丈夫よ。ちゃんと朱音ちゃんの分のお茶碗はあるから。」
え?何て言った?私の分のお茶碗がある?何で?どういう事だ?
「朱音ちゃんがいつ来ても大丈夫なように用意してたんだ。」
いつから私は筋肉ご飯を食べる事が決定していたんだろう?分からない。私には分からない。
「あ、そうだ。そろそろシロを迎えに行かなくちゃ。」
わざとらしく手を打ってそう言った。と、そこに
「あらシロ。来たんだ?」
タイミング悪くシロがこのトレーニングルームに現れた。
「あ、シロ。自分で来たの?さ、行こうか。」
そう言ってシロとトレーニングルームを出ようと試みる。しかしシロはそんな言葉を無視してルームランナーの方へと向かって行く。
「おーい、シロ?」
「ワウン。フン。」
「運動した方が良いって……この状況を分かって言ってる?」
「そうか、シロも鍛えた方が良いって言ってるんだな。さあ朱音!遠慮せずにその俺にその体を預けてみろ。とても良い汗をかかせてやる。」
「何か言いまわしがイヤラシイんですけど?」
「馬場君?駄目よ。朱音ちゃんは私とモグモグタイムよ。それに鍛えるなんて論外よ。」
「朱音は鍛えたいよな?だからここに来たんだよな?」
「違うわよね?ここには筋肉を眺めに来たのよね?」
「いや、あの、どっちも違うくて、ただ退屈で……。」
このトレーニングルームと言う所は私なんかが来てはいけない所だったんだ。きっとそうだ。朱音はフラフラと出口の方へと向かう。しかしそれを
「待て、朱音。」
馬場がその手を掴み引き留めた。
「鍛えに来たんだろう?」
そう言う馬場の表情は今までに見た事も無いような笑顔だ。
「違うわよね?私と一緒に筋肉ご飯よね。」
いつの間によそったのか分からないがその手には新しいお茶碗に白米が盛られていて、それを朱音に差し出して来た。
「朱音。」
「朱音ちゃん。」
「「どっちを選ぶ?」」
「あー!もう!どっちも選らばない!逃げる!」
そう言って朱音はダッシュで扉から出て行った。
「駄目だ。あそこは魔境だ。いくら退屈でも2度と行くもんか。」
朱音が急ぎ部屋へと逃げ帰っているのを余所にシロはルームランナーを使い満喫していた。
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