第21話
「何でこうなったのだろう。」
シロは朱音の元から去った後、ひっそりと木陰に隠れ考えていた。
「あの時……。」
魚人が倒れその血を見たその時に、シロの中で何かが弾けた。それはとても獰猛な感情。怒りではない。とても黒い感情。そうそれは、
「殺す。アレを殺したい。殺さずにはいられない。」
犬としての本能なのか、はたまた別の何かなのか分からない。が、その感情のまま魚人を噛み千切った。
「お姉ちゃん、とても驚いていたな。」
シロは朱音の事をお姉ちゃんと呼んでいた。魚人を殺し終えた後すぐにシロは正気に戻っていた。そして、自分がした事も理解していた。
「お姉ちゃんにあんな顔をさせてしまった。」
驚きと戸惑いの表情。それもそうだ。突然大きくなり、魚人を噛み千切った。シロは自分の事を温厚な性格だと思っていた。そしてそれはお姉ちゃんもそう思っていたに違いない。それが突然の凶行。それを実際に行った自分ですら信じられない。あれは本当に自分の意思だったのか?違う何かがやったのではないのか?とも思った。しかしその時の感情や感触をシロは覚えている。自分がやった事に間違いない。そしてそれが突然お姉ちゃんに向くかも知れない。
「怖い。自分がお姉ちゃんを傷つけてしまうかも知れない。」
それが堪らなく怖かった。咄嗟にお姉ちゃんの元から逃げ出してしまった。去り際に見たお姉ちゃんの顔はとても悲しそうだった。
「けど、」
自分の中にあったあの獰猛な感情。それがもしお姉ちゃんに向いたら。
「僕は自分を止めれるとは思えない。」
このまま知らない所へ行こうか?しかしシロの脳裏に浮かぶのはお姉ちゃんの笑う顔。
「別れたくはない。けど……。」
どうしたらいいだろうか。分からない。
「そう言えば港でも危ない事が起きてるって言っていた。お姉ちゃんも行くのだろうな。もしお姉ちゃんが危ない目にあったら嫌だ。傷つくかも知れない。最悪死んでしまう事だってあり得る。でもそれは僕がまたああなってお姉ちゃんを狙う事だって可能性はある。助けに行きたい……けど……。」
シロは葛藤しながら歩き始めた。何処とも当てもなく。すると、
ガサッ
茂みから音がした。考え事をし過ぎて何かが近づくのに気がつかなかった。
「何じゃお前は?」
茂みから現れたのは年老いて薄汚れた毛の長い老犬だった。
「飼い主とはぐれたのか?」
「あ、いや、違くて……。」
「何じゃ?逃げて来たのか?」
その言葉にシロは答えなかった。
「やれやれ、まあ何か知らんが食べ物を調達に行くぞ。お前も手伝え。」
「え?あ、はい。」
シロは老犬の言われるままに後を着いていく。老犬が向かったのは海岸だった。
「あ、今、海は危ないよ。」
「そうかの?しかし町でゴミ箱を漁ると追いたてられるしの。」
老犬は何か食べれる物がないか探して歩く。
「若いの、どうしてお前は飼い主の元を離れた?見た所大事にされとっただろう?」
「それは……。」
「飼い主と離れるのはしんどいぞ?食べ物も探して回らないとイカンし、何より会いたい人に会えない、撫でても貰えない。自由気ままなんて言うが実際は良い事なんて1つもないぞ。」
「おじいさんも元々は飼い主が居たの?」
「そうじゃ。ワシの飼い主もなかなかの年寄りじゃってな、ワシがまだ若い頃に死んでしもうた。」
「死……。」
「あの頃は飼い主の死を受け入れられんかった。死んだ事は知っていた。しかし、死と言うものを理解していなかった。他の人間がワシに食べ物を持って来たりしてくれていたのだが、ワシはその人間が飼い主を何処かにやってワシと会えなくしたのだと思い込んだしもうた。その人間を恨んでいたんじゃ。今にして思えばワシを保護しようとしていたんじゃろう優しい人だったんじゃろうな。それを受け入れていたら、もっと違う生き方も出来ただろうがな。」
老犬はしょぼんと尻尾を下げた。
「そうしたとしてもやはり最初の飼い主、おじいさんに会いたいと思うのじゃろうな。」
老犬は空を見上げた。シロも同じように思うようになるのではないかと思う。
「お姉ちゃんに会いたい。」
「お前の飼い主か?会いに行けばいい。場所が分からんか?」
「ううん。」
シロは首を降った。
「なら会いに行け。会う事が出来ない理由があるのか?何を躊躇う必要がある?」
「僕は……、お姉ちゃんを傷つけてしまう、いやもしかしたら殺してしまうかも知れない。」
「何故じゃ?」
「僕は自分の衝動を抑えられなかった。それがお姉ちゃんに向いたらと思うと。」
「何じゃ、犬としての本能かの?」
「犬としての本能?」
「そうじゃ。ワシらは狩りをして生きて来た種族じゃ。食う為には相手を殺す必要がある。」
「そうだね。確かに食べる為に殺す必要はある。けど、僕に起きた衝動はそれなのかな?違う気がするよ。」
「それはワシには分からん。しかし、犬は人間と生きて来た歴史がある。それは大事な仲間や家族には相手を殺したいという本能が起きなかった証明なんじゃないかのう。」
「そうなのかな。」
「そうともよ。お前さんがそのお姉ちゃんとやらを大切に想うのならばその心配は要らないのじゃないかのう。」
「でも僕はもしお姉ちゃんを傷つけたらと思うと怖くて。」
「しかしもう傷つけただろうよ。」
「え?」
「飼い主から逃げて来たんだろう?離ればなれになって傷つかん飼い主ではないじゃろう?」
「そうか。僕はお姉ちゃんの心を傷つけてしまっていたんだ。」
脳裏に浮かぶ去り際の朱音の顔。思い出すと張り裂けんばかりに胸が痛い。
「許してくれるかな?」
「戻って来たら喜んでくれるだろうよ。そら、行ってこい。」
その言葉にシロの気持ちは決まった。
「ありがとう。おじいさん。」
シロは一目散に走った。朱音が向かっているだろう港に向けて。
「そうだ。何があっても僕がお姉ちゃんを守るんだ。お姉ちゃん、無事でいてね。」
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