097 イスカの告白

 あわてて目元を拭い、セキレイはぱちぱちと瞬きをする。

 目の前にいたはずのシコは見えなくて、代わりに男子の背中が広がっていた。

 がっしりではなく少し細めの体格に、少し崩れた黒髪で。

 走ってきたのか肩を上下させている、その後ろ姿は――。


「下地くん……帰っちゃったんじゃ」


「ごめん。どうしても、気が気じゃなくて……」


 イスカの黒い瞳がちらりとセキレイを見て、ばつが悪そうにするりと逸れた。

 その流れで前に向き直る。呆気にとられているシコに向かって、ゆっくりと口を開いた。


「……天乃さんの素は腹黒なんかじゃない。むしろその逆だよ」


「――――あぁ、あんた金魚のフンか。天乃セキレイの善人アピールで構ってもらってるくせに、王子様気取り? 陰キャは身の程を弁えな」


 すっかり調子を立て直し、第一声から高火力をぶつけてくるシコ。誇張と事実を絶妙に組み合わせた口撃の切っ先はギザギザした鋭さで、心を抉りにかかる。

 以前のイスカなら――そもそも人と関わらないので言われることもないが――ここですでに心が折れていただろう。


 だが、今のイスカは違った。


「金魚のフンでも王子様でもない。僕は天乃さんの友達だ。彼女のことを何も知らないのに、勝手な憶測で話すのはやめなよ」 


 イスカの心に、卑屈さはもうない。

 あるのは、好きになった人と並んでも恥をかかせないくらい、しっかりした人であろうとする想い。


 セキレイを支え、そして守るという、固い意志のみであった。


「憶測? じゃあなに、あんたみたいのに完璧美少女が素を打ち明けたってこと? 信じらんない」


「そうだよ。大間さんは、なにも知らないってことだ」


 じゃああんたは、天乃セキレイのことをなんでも知ってるわけ? 知ってるからアタシが間違ってると?

 その言葉に、イスカはいいやと首を振る。


「なんでもは知らない。だけど天乃さんの過去や、完璧であろうと努力してきたことは知っている。完璧じゃないところだって知っている」


 無邪気で天然な性格も。

 動物が好きで、少し飛行機オタクなところも。

 人一倍優しくて、人の気持ちに敏感で、自分を犠牲にしてしまうところも。

 

「――僕はそういうところを全て引っくるめて、天乃さんが好きだ。だから大間さんが言っていた、誰も素の天乃さんを好きな人はいないというのは間違っているよ」


 セキレイの視界が、再びぼやける。

 けれど今度は、目の前を覆うような霧ではない。

 きらきらした光のベールがいっぱいに広がって、次々と溢れ出す。


「下地イスカ、だっけ。ちょっと優しくされたくらいで惚れちゃってさ、童貞くさいっつーか? あんた自分が天乃セキレイと釣り合うって本気で思ってんの?」


「釣り合うもなにも、僕は完璧美少女を好きになったわけじゃないから関係ないんじゃないかな」


「…………はぁ?」


「――僕は天乃さんという女の子が好きだから」


 言い切ったが不思議と、恥ずかしさは感じない。

 むしろ清々しさと、高揚感が心のほとんどを支配していた。

 皆の前で言ってしまったという申し訳なさも少しはあったが、ここで引くという選択肢はそもそもない。

 覚悟を決めて、イスカは振り返る。


 好きな人は白髪を風になびかせ、そこにいた。


「――――天乃さん」


 セキレイは袖で目元をこしこし擦る。

 きらりと光るまつ毛が揺れて、少し潤んだ虹彩が覗いた。

 吸い込まれそうな深い青が、夕日を映してどこまでも、空のようにひろがっている。

 それはとてもきれいで、愛おしくて。


 自然とイスカは微笑んでいた。

 あれだけ悩んでいた言葉を頭で組み立てることもせず、ただ気持ちだけが、口から出ていく。


「――あなたが好きです。僕の隣にいてください」


 そして右手を、そっと伸ばした。

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