遥か遠き理想だとしても

鈴汐タキ

一章 英雄を目指す者

プロローグ


 "剣を振る"

 "非才なる我が身にはそれしか道がない故に"

 

 浅黒い狼のような魔物の鋭い爪が首元を狙って襲い来る。身体全体を捻るように逸らしながら、こちらも刃を魔狼の首に突き付けた。

 躱しきれず首元から血飛沫が噴き出るのと共に痛みが全身を駆け巡るが、こちらは命を奪いきったのだから充分な対価だろう。


 もう、何匹目だろうか。

 三十は確実に斬った。多いとは聞いていたが、予想以上だ。

 身体の至る所に傷ができて、出血も止まらない。

 全身の感覚が鈍くなってきているのがわかる。


 だが、まだ腕は振れる。剣は握れている。

 何千何万と繰り返してきた動作が染みついたこの身体はまだ動けると言っている。

 

 少しぼやけた視界で辺りを見回すと、同じ狼のような奴が数匹、その奥に、藍色の毛をした熊のような魔物が一匹。

 繁殖した魔狼の討伐だったはずだが、匂いか音かで釣られてきたのだろう。

 自分の血と、獣の血で全身に塗れてしまっている以上、戦わずに逃げれるような道理はないだろう。


『リオン、知ってるか?魔王を倒した英雄ユウリは剣技も魔法も最強だったらしいぞ』


 幼き頃、俺の親友ーレオがそう言った。

 人助けが好きで、誰からも好かれる太陽のような少年だった。よくやるな、と思いながら俺も共にしたのを覚えている。


 遡ること400年ほど前。

 魔族とその王が残る八つの種族を狂わせ、この世界を混沌の中に落とし入れた。

 種族の違い、国の違い、思想の違い。そして、際限ない欲望。

 彼らの思惑通りに進む中で突如として現れたのが英雄ユウリだ。


 武勇と叡智、そしてその善性をもって、瞬く間に他種族を纏め上げた彼は魔族とその王を討ち果たした。

 それ以降、諍いはあれど平和へと進むこの世で英雄ユーリは誰もが憧れる存在になった。

 

 そしてそれは。

 親友も例外ではなく、ユウリのような英雄になってみせると焦がれていた。


『リオンと俺の二人ならさ、越えれると思わないか?』


 レオの無邪気な言葉に、過去の俺は二つ返事で言葉を返した。

 孤児院で共に育った俺達は誰よりも互いのことを知っていた。そして、お互いの事を誰よりも信じていた。


『だから、英雄なろうぜリオン。俺達二人で英雄に!』


 赤毛を風に揺らした親友は幼さが残った端正な顔立ちを綻ばせ朗らかに笑っていた。

 余りにも楽しそうに語る彼の顔は、何年経っても脳裏に焼きついてる。

 それに当てられてしまったのだろうか。

 目標などなかった空っぽの俺に、親友の言葉はひどく突き刺さったのを覚えている。


 その日から俺たちは二人で鍛え続けた。剣を、魔法を、技術を、知識を。

 剣聖も、大賢者も、騎士王も、英雄も越えて俺達二人が頂きに立つ事に疑いなどなかった。


 英雄になる条件なんて知らないし、もう魔王も魔族もこの世界にはいないだろうけど。

 それでも、登り続ければきっと、二人で英雄と呼ばれるような存在になれるのだと、瞳を輝かせていた。


 だが、現実はそう甘くはない。


 血の滲むような修練を重ねようとも、どれだけ知識を蓄えようとも、手に入れることの出来ないものがある。


 人は須く生まれてもって決まっているのだ。

 才に選ばれた者と、それ以外と。


 珍しい話ではない。

 どこにでも良くある話だろう。

 一人は選ばれた者で、もう一人は違ったというだけの話。


 いつも隣にいたはずの男はいつの間にか背中も見えなくなった。

 目指していた景色は靄がかかって、焦がれた憧憬は抗いようの無い現実に侵食されされていく。

 

 この身は決して英雄の器にはなり得ないと知っている。知ってしまった。


 だけど、それでも。


 "剣を振る"

 "愚鈍たる我が身にはそれしか許されない故に"

 

 牙を、爪を鋭く光らせながら獣が迫る。

 疲弊した身体で避けきれない、多少の傷は貰うしかない。


 斬って、斬って、斬って。

 繰り返す事に身体中を痛みが駆け回るが、その感覚すらも鈍くなってきていた。

 視界は曇る一方で、足元すら覚束ない。


 なのに、妙に身体の感覚が冴えている。


 まだ腕は振れている。

 振った刃は迫る獣の命を刈り取れている。


 一際、大きな咆哮が聞こえた。

 あの藍色の毛をした熊のものだ、見ずともわかる。気づけば魔狼は全て死んでいた。

 後は、あのデカいのを殺れば依頼は完了だ。なんなら、追加報酬でも貰えるだろうか。


 血を流しすぎて体から熱が冷めていってるのが嫌でもわかる。なのに、いつに無く調子がいい。

 剣が馴染み自分の手を振るかのように扱える。


 死に体で格好の餌食に見えたのだろうか、何の躊躇いもなく突っ込んできた魔熊の左腕を切り落とす。

 残る右腕での一撃をもらってしまい、庇った左腕が嫌な音を立てて潰れた。

 不思議とそれほど痛みは襲ってこない。


 大丈夫だ。

 まだ、右腕が生きている。

 研ぎ澄まされていく感覚が目の前の獣を刈り取る方法を教えてくれている。

 

 腕が斬られて、漸く餌が敵に見えたか、魔熊からの圧がより一層強くなった。

 吠えて、唸って、こちらを見据えた熊の眼からは、殺意が余す事なく伝わってくる。


 「―――――――――――――あぁ…こいよ」


 どれだけの苦難があろうとも。

 どれだけの試練があろうとも。

 どれだけの絶望があろうとも。


 例え不可能だと知っていても、無謀だと気づいていても。

 あの約束をしてしまった日から、俺は止まることができない。

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