Side 絢
唯くんにアパートまで送ってもらい、部屋の前で別れた。
部屋に入って私は着替えもしないままどさっとベッドに倒れこむ。
はー、緊張したぁ……。
私は昨日からのことを寝返りを打ちながら思い出す。
同級生に内緒にしていたことがバレたと思ったら、それが人気アイドルの雪宮唯だったなんて誰が想像できただろう。
しかも、その人からお芝居を習うことになるなんて。
彼の前では平常心を装っていたけれど、内心ずっとドキドキしていた。
「大好きで尊敬してる芸能人がさっきまで私と喋ってたんだもんなぁ」
そう。雪宮唯は私が一番大好きな芸能人。
私が役者を志すキッカケになって、私が救われた作品の主演だったんだもん。
彼の役に何度ときめいて、心を奪われたことか。
そんな人が私の夢の手助けをしてくれるなんて、どれだけ幸せなことか、彼には想像もつかないだろう。
でも、もしそんな素振りを見せてしまえば、この関係も終わってしまうかもしれない。
だから私は必死に昂る気持ちを抑えていた。
私は起き上がって、本棚に置いてある漫画を一冊手に取る。
それは『花咲く君へ』というタイトルの漫画。
何度読み返したかわからないその漫画はもうボロボロで年季を感じる。
「桜ちゃんと一緒に読んでたな……」
パラパラとページを捲りながら、幼馴染で仲良しだった女の子と一緒に読んでた記憶を思い出す。
桜ちゃんは小学生の時に親の仕事の都合で引っ越しちゃって、それ以来会っていないし連絡先もわからないけれど。
それでも私の大切な思い出だ。
そしてこれが唯くんが主演を務めていたドラマの原作。
最初は好きな漫画の実写ドラマ化なんて桜ちゃんとの思い出を汚されると思っていたけれど、そんな悪印象はすぐに消え去ったっけ。
主人公の相手役の男の子の演技があまりにも私の理想とぴったりすぎて。
そこからは毎週このドラマが楽しみで楽しみで仕方なかった。
部活で怪我をして、辛いことばかり起きた時期の唯一の光。
「もしこのドラマがなかったら、今頃地元で引きこもってたかもしれないなんて、唯くんは気づかないよね」
本を閉じてぎゅっと胸に抱えて、彼に想いを馳せる。
この二日で雪宮唯への印象がガラリと変わった。
ドラマの後から、彼が出ている作品は一通り見た。
雪月花の曲だってCDで集めたくらい彼を追いかけた。
だから、公園で彼の素顔を見たとき一目で気が付いたんだ。
雪宮唯だって。
今思えば、生で一目見るだけでも言葉を失ってしまうくらい大ファンの彼を相手に、あそこまで図々しくお芝居を覚えてと食い下がれたなと、自分自身にドン引きしてしまう。
いや、そもそもあの時はクラスメイトに自分の秘密を知られてしまったことに動揺して、さらにその相手が雪宮唯だなんて頭混乱してまともな思考ができるわけない。
だから仕方ないよね、うん。
なんて誰に向けてるわけでもない言い訳を頭のなかで並べてしまう。
「ダメだダメだ。こんなことしてないで、オーディションで演じるシーンを探さないと」
私は頭を振ってごちゃごちゃになっていた思考をリセットしてコミックを開いた。
「ここのシーンも好きだし、このシーンもいいし……あー、迷っちゃうなぁ!」
コミックの好きなシーンを読み返して、頭を悩ませる。
好きなシーンが多すぎるのも困ったものだ。
「あ、ここのシーン、桜ちゃんが好きだったところだ」
一巻のラストで主人公の女の子がヒーローの男の子に恋に落ちるシーン。
クールで一匹狼だった男の子がナンパされてる主人公を助けて一緒に手を繋いで街中を逃げる。
そしてナンパ男たちから逃げ切ったあとに大笑いする男の子の姿を見て恋に落ちるところで終わる。
普段笑わない男の子がお腹を抱えて笑うというギャップにキュンとしてしまう主人公。
今思えば、すっごくチョロいなーって思ってしまうけれど、当時は私も桜ちゃんもこの主人公みたいにキュンキュンしてキャーキャー騒いでたっけ。
特に桜ちゃんは。
「そういえば桜ちゃん、今何をしてるんだろ」
コミックを読んでいるとまた昔の記憶が蘇ってくる。
そういえば最後に会った時、東京に引っ越すって言ってたけど、今でも東京に住んでるのかな?
もしかしたら、都内に行ったら偶然出会えたり?
当時からスマホがあれば連絡取れるんだけどなー。
まあ、もう何年も会ってないし、彼女のほうは私のことなんて忘れてるかもしれないけど。
今でも元気でいたらいいな。
「ああ、また別のこと考えちゃってた。集中して探さないと」
気を引き締めなおして、別の巻を手に取って演じるシーンを吟味する。
しかし、作品を読むのに没頭したり思い出に浸ってしまったりと、ピックアップし終わった頃にはもう日付が変わってしまっていて、寝不足確定になったのだった。
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