新米薬剤師のちょっと怖い心霊体験
加藤 佑一
第1話 立ち塞がる男性
薬剤師の仕事の一つに薬局にお薬を取りに来るのが難しい方の為に、ご自宅にお伺いしてお薬をお渡しする『在宅患者訪問薬剤管理指導』という業務がある。
指導って付くので難しい業務のように聞こえるがそれほど難しい業務ではなく、お薬の管理は問題なくできているかとか、毎日きちんと飲み忘れなくお薬を飲めているかとか、お薬を飲み忘れた時の体調はどうだったとか、なぜ飲めなかったのかなどを会話をしながら聞き出し、問題なく継続して服用できるようにサポートをするのが目的である。
新しくお薬が追加になった場合は、大きい錠剤で飲みにくかったとか、それなら半分に割ってきましょうかとか、粉砕しましょうかとか、散剤に変更してみましょうかとか継続しやすいように意見を聞いてサポートするのが主目的である。
意見を聞いて持ち帰って代替え案を提案すれば良いので、新米の僕でも一人で出来そうな業務である。
この話は配属になって間もない頃、ご高齢の女性宅を任せてもらう事になり、引き継ぎを兼ねて先輩薬剤師と一緒に訪問したときの出来事です。
僕はそれまで心霊現象とは縁遠い生活を送っていました。ホラー映画や心霊番組は好きでついつい見てしまうが、見てしまった夜はシャンプーをしていると妙に後ろが気になってしまったり、トイレに行けなくなってしまうタイプだ。
先輩に連れられご高齢の女性宅を訪問したのをきっかけに、僕の心霊体験は始まったのだ。
その日は厚い雲が広がり湿度が高くジメジメしていて、爽やかとはいえないような陽気の日だった。
湿気の高い日はお薬を小分けにしてくれる機械に散剤が粘りつきやすい。僕はエアコンの除湿機能を強めに設定すると、お薬が触れる部分の粘り気を拭き取り、アルコール消毒を済ませ作業を開始した。
エアコンを強めに設定したので女性の職員が調剤室をスゴスゴと退散し始めた。調剤室とはお薬を保管管理し調整を行う部屋だ。
その性質上どうしても温度は低めの設定になってしまう。夏場は外気との温度差からまるで冷蔵庫の中にいるかのようにヒンヤリしていて、気持ちいい空間という感じを通り越して寒いと感じるくらいだ。
今勤務している調剤薬局はそれほど大きな建物ではない。調剤室の冷気は待合室にまで流れ込み『寒い』と時々お叱りを受けてしまうことがある。
『仕方ないだろ、こっちだって好きでこの温度にしているんじゃないんだよ』と言い返したくなるがグッと堪えなくてはならない。本当にストレスだ。
これから向かうご高齢の女性は朝7種類、昼3種類、夕5種類のお薬を服用している。朝昼夕と印字したパックにそれぞれのお薬を分け終えると、先ほど退散した女性薬剤師を呼び、間違いがないか確認してもらう。
確認を終えると、僕は急いで先輩が用意してくれた車へと乗り込んだ。
乗り込んだ車内はこれまたエアコンが効いていた。いつから車の中で待っていたのだろうか、雲は暑く直射日光はそれほどキツくないが、車の中は蒸し風呂状態だ。エアコンを強めにしたくなるのも分かる気がする。
僕の体は冷え切ったままだ。少し悴んだ手を擦り合わせている間、2〜3分も走らせていると目的の女性宅に到着し、先輩は車を降りるとインターホンを鳴らした。
僕はその間に持参したお薬を整え直し先輩の後を追いかける。先輩は慣れた感じで玄関から入って行き、居間のドアを開け中にいるであろう女性と二言三言会話している声が響き渡ってきた。
僕も『お邪魔します』と、声をかけ後を追うように部屋に入ると体が冷えて温まっていないからなのか、それともこの部屋特有の気配のせいなのか全身にゾワゾワと悪寒が走った。
腕には鳥肌が広がっている。部屋には生暖かい空気が広がっているというのに鳥肌が止まらない。
先輩に鳥肌がバレないように腕を擦り上げながら、迷惑にならないように注意しながら、ゆっくり、ゆっくり近づいていくと先輩はその女性に僕のことを簡単に紹介してくれた。
僕が女性に挨拶をしていると先輩は持ってきたお薬を取り上げ、朝、昼、夕のどのタイミングで飲むお薬なのかすぐに分かるように小分けに出来る、通称お薬カレンダーなるものへセットしようと向かって行った。
しかしどういうことなのだろうか?
お薬カレンダーの前には一人の白髪の男性が両手を広げた状態で、立ち塞がっているではないか。
僕はあの方は何をされているんだろうと思い、じっと見つめていると、『どうかしたのかい?』と声をかけられた。
その方は今日は体調が良くなく食事が摂れなかったとのことで、朝の分のお薬は飲んでいないとのことだった。
「食事出来なかったんだけど、お薬は飲んだほうがいいのかい?」
との質問を受けたのでお薬の内容を確認してみた。お薬の中には血糖降下薬も入っているので食後の方が良いとお伝えした。
「お昼食べられるようでしたら、朝の分お飲みになって下さい」
お昼のお薬は1日3回服用するお薬だったので朝、夕にも同じ内容のものが入っている。お休みしても問題ないだろう。
「夕食のお薬は寝る前にでも飲んでいただければ大丈夫です」
そんな話をしている間も先輩の方が気になって仕方がない。
先輩は白髪の男性がまるで気になっていないかのようにお薬カレンダーにお薬をセットしだした。
そこでまた『ギョっ』としてしまった。
目の前で何が起きているのか理解するのに時間がかかった。
先輩はその白髪の男性の体をすり抜けお薬をセットしているのだ。
白髪の男性は睨みつけるような目を先輩に向けている。
その間も女性に話しかけられていたので、僕は必死で平静を装い会話を続けた。
「よし終わった。帰るぞ」
先輩はそう言うと女性に挨拶をし、僕の手をグイっと引っ張って外に連れ出した。
「お前、霊感とかまるでないとか言ってなかったっけ?」
霊感!?
もう頭の中がグチャグチャで何が何だかわからない。今のは心霊現象だったのだろうか?
心霊現象にしてはまるで人がいるかのようにはっきり見えていたし、足もあったし、どういう表情なのかもはっきり見えた。
「お前、今日はもういいよ。帰って頭冷やして明日また出直して来い」
先輩はそう言うと僕をそのまま自宅まで送ってくれた。
次の日、頭の整理がつかないまま出勤したのだが、先輩は昨日の出来事の詳細を教えてくれた。
昨日見たのは女性の数年前に亡くなられた旦那さんで、薬を持っていくといつもあんな感じで立ち塞がって来るんだとか。
先輩は長年連れ添った妻に早く会いたいと思っていて、お薬を飲ませたくないんじゃねーのって言っていたが、僕は違うのではないかと思った。
その女性はジェネリック医薬品を飲んでいた。
ジェネリック医薬品とは先発医薬品の独占的に販売できる期間が終了した後に販売できる、同じ有効成分で効能効果が一緒のお薬だ。
その上、安上がりで済むものなので大変お得なのだが、中には安い薬なんて信用できないって言う人もいる。
後日、流通の影響でジェネリック医薬品が手に入らなくなってしまった時、先発医薬品で調剤し持って行った時は白髪の男性の姿はみられなかったのだ。
なので、もしかしてと思った。
仏壇の前にはあの男性の遺影が飾られていた。そこに手を合わせ事細かにジェネリック医薬品のことを説明するとそれ以降、白髪の男性の姿を見ることはなくなったのだ。
僕は亡くなっても、妻を心配して僕達の前に姿を現していたんじゃないかと思う。
「しっかしお前、これから大変だぞ」
先輩は僕を見てそう笑っていた。
薬局にお薬を取りに来れないということは、それ相応の事情を抱えているということになる。
要するに死期が近い方のご自宅にお伺いするということは、それ相応の心霊体験を経験することになるだろう。と、言われてしまった。
新米薬剤師の僕にとって、なんとも不安だらけの船出になってしまった。
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