第66話 嫌な予感(※sideセレオン)
「────様々な方面から熟考した末の、この決断だ。これまで並々ならぬ努力を重ねてきたであろう君に対して、申し訳なく思う気持ちはあるよ。……だが、この決定が覆ることはない」
「……。」
「私はたびたび、婚約者候補の君たちに、苦言を呈し、諭してきた。王家の人間に求められる役割、その使命。そして、民たちを敬い、慕い、守る心。それがいかに大切なものであるかを。……冷たく聞こえるだろうが、君に私の言葉が伝わったと思う日は、ついにやって来なかった。努力はもちろん認めているよ。君は優秀で、知識もマナーも完璧と言っていい。だが、王家の人間となるために必要な、決定的なものが欠けたままだった」
「……。」
「……そのことが、私の今回の決断に至った最大の理由だ。……納得してくれただろうか、ジュディ嬢」
「……。」
父である国王陛下が、オルブライト公爵経由で婚約者候補の件を白紙に戻すと伝えてから、数日。私の呼び出しに、ジュディ・オルブライト公爵令嬢は素直に応じ、この王宮を訪れてくれた。その美貌は健在で、今日も一分の隙もなく完璧な身だしなみで現れた。長い髪の一房すら乱れることなく、クルクルとゴージャスに巻かれてある。
だが、こうして向かい合って座り私が話をしている間中、彼女は一度も私の目を見ない。目の前の紅茶の注がれたティーカップを見つめたまま、まばたきさえしない。呼吸をしているのかと疑うほどに、身じろぎ一つしなかった。
表情を失ったその顔は、まるで人形のようだった。
「……。ジュディ嬢」
「……。」
私が呼びかけても返事もしない。さすがに不敬ではあるが、今はそれを咎める気になど到底なれない。性格的に難があり、アリューシャやミラベルに対してもかなり傲慢な態度だったジュディ嬢。だが、王家に嫁ぐために血の滲むような努力を続けてきたのは間違いない。そんな彼女に対し、今の態度を責め立てる気にはなれなかった。
「何か言ってくれないだろうか」
「……。」
「今回の王家の決定を、今すぐに受け入れろという方が無理かもしれない。重ねて言うが、君の努力は評価しているよ。父も、オルブライト公爵家にとって可能な限りの良縁を世話すると言っていた。信じて待っていてほしい」
「……。」
「…………。」
私が口を閉じれば、水を打ったように静まり返る室内。どうするべきか。このまま帰すのも気がかりだ。
その時だった。
次にかけるべき言葉を私が思案していると、ふいに目の前のジュディ嬢の唇が動いた。何か話してくれるのかと思い、私は彼女に注目する。
「……にが、…………よ……。……った、くせに……。……本心は……、……でしょうが……」
「……ジュディ嬢?」
視線を下げ、決して私とは目を合わせぬまま、聞き取れないほどに小さな声で何やらブツブツと呟いているジュディ嬢。その様子に不穏なものを感じた時、突然彼女が顔を上げ、微笑みを浮かべて私をジッと見つめた。
しかし、その瞳はあまりに冷たく、光がない。上がった口角とその冷えきった目の色のアンバランスさに、背中がぞわりと粟立つ感覚がした。
「このようにお時間を作ってくださいまして、お気遣いがとても嬉しゅうございますわ、セレオン王太子殿下。わざわざありがとうございました」
「……。……いや」
「セレオン王太子殿下の可愛い方は、もう王太子妃教育に入られましたの?早速取りかかりませんと、あの膨大な量のお勉強をこなしていくには、長い時間が必要ですものね。ふふ」
「……。」
「まぁ、とても優秀なお方だとは聞いております。王家の皆様のお気に入りでございますものね。私などよりはるかに良いお妃様となられることでしょう。今後はお幸せなお二人の姿を、陰ながら応援させていただきますわね。王家のますますの繁栄と、このレミーアレン王国の末永い栄華を心よりお祈り申し上げますわ」
そう言うと彼女は突然立ち上がった。そして椅子から離れ、私のそばまでやって来ると、大仰なまでのカーテシーをゆっくりと披露した。
そしてそのまま、部屋を出て行ったのだった。しばらくの後、私はそばに侍る腹心に声をかける。
「……。ジーン」
「ええ。ミラベル様の警護を強化いたしましょう。彼女もオルブライト公爵家の娘。滅多なことはしでかさないとは思いますが……、」
「ああ。そう思いたいところだが、どうやら納得していないということだけはよく分かった。ウィリス侯爵令嬢の前例もある。油断はできない」
「承知いたしました」
「……アリューシャの警護は」
「充分かと思いますが、今一度確認し、見直しておきます」
「……ああ。頼む」
深くため息をつくと、目の前の冷え切った紅茶を侍従が取り替えてくれた。熱い紅茶を喉に流し込みながら、嫌な予感に胸が騒いで仕方がなかった。
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