第59話 巡り合わせ

 夫人が声をつまらせると、フラウド伯爵家の応接間は水を打ったように静まり返った。


 私もアリューシャ王女も、何も言葉が出ない。ただ歓喜に震えながら、気付けば互いの手を痛いほど強く握りしめていた。


「……貴重な話をありがとう、フラウド伯爵夫人。念のため、最後に一つ確認させてほしい。あなたがメイジーさんから見せてもらったというそのネックレスは、これで間違いないだろうか」


 そう言葉を発したセレオン殿下の声は、少し掠れていた。ジーンさんがスッと前に進み出て、私たちが囲んでいるローテーブルの上に二つのルビーのネックレスを置き、そっとケースを開いた。


 おそるおそる覗き込んだフラウド伯爵夫人の瞳が大きく見開かれ、その目にはみるみる涙が溜まり、そして溢れた。夫人は両手で口元を覆うと、ああ……、と声を漏らした。


「……間違いございません、殿下……っ。これです。これはあの子の、メイジーの宝物のネックレスですわ……!ああ……、アリューシャ王女殿下は、本当にメイジーの……。それに、こちらは……、この月の……」

「ああ。これはこちらにいるミラベル嬢のものだ。彼女が母君から受け継いだものだ」

「……こんな……こんなことが……!ではお二人は、メイジーと、彼女の姉上の……。ああ、メイジー……!」


 それ以上は言葉にならず、フラウド伯爵夫人は顔を覆った。いつの間にか私も、そしてアリューシャ王女も、堪えることのできない喜びの涙に頬を濡らしていた。


「ミ……ッ、ミラベルさん……っ!ミラベルさん……っ!」


 しゃくり上げながら私の名を呼ぶアリューシャ王女を、私は思い切り抱きしめた。淑女のふるまいだとか、不敬だとか、そんなものは全部どこかへ吹き飛んでしまった。


「アリューシャ様……、やはりあなたは私の、血の繋がった家族だったのですね……!ずっとあなたのことが、可愛くて仕方なかったのも、守ってあげたいと思っていたのも、きっと私たちのこの繋がりがあったから……」

「ミッ、ミラベル、さん……っ!ほんとに、ほんとにあたしの、お姉様だった……!ふぇぇぇ……」


 アリューシャ王女はとめどなく涙を零しながら、絞り出すような声でそう言い、私の背中に回した腕で痛いほどしっかりとしがみついている。

 決して離れ離れにならないようにと願っているかのように。


 私は彼女を抱きしめたまま頭を撫でながら、その髪に自分の頬を寄せた。


「母たちが、あなたと出会わせてくれたのですわ。母とメイジーさんの想いがきっと、私たちを出会わせてくれた……。私があなたを、そばで見守っていけるようにと……。きっと、そうです、アリューシャ様。私の、大切な妹……」

「う……、うわぁぁぁ……ん!!」


 溢れる想いに心が決壊したかのように声を上げて泣くアリューシャ王女の、そのか細く震える体を、私はずっと抱きしめていた。


 セレオン殿下の優しくて大きな手のひらが、私の頭をそっと撫でた。




  ◇ ◇ ◇




「それにしても……、不思議な巡り合わせもあるものですねぇ……」


 帰りの馬車の中、身を寄せ手を握りあう私たち二人の姿を見ながら、向かいに座っていたジーンさんが感心したようにポツリと漏らした。

 今この馬車の中には私とアリューシャ王女、そしてセレオン殿下とジーンさんの四人だけだ。


「まさかあの日街中でアリューシャ王女殿下を助けてくださった女性が、王女殿下と血の繋がった従姉妹同士であられたとは……」

「ああ、本当に。人生には時に説明のつかないような運命的な出来事が起こるものだな。導かれるべくして出会ったのだろう」


 二人の会話に曖昧に微笑みながら、私は隣でピッタリと寄り添っているアリューシャ王女のお顔を見下ろしていた。この子は国王陛下と母の妹の間にできた子だったのか。本当に、何とも言えない不思議な気持ちになる。

 ふいに、先ほどフラウド伯爵夫人が言っていた言葉がよみがえる。


『メイジーは芯が強く、自分の確固たる意志を持った子でした。決してその場の雰囲気に流されたり、おざなりに殿方との時間を過ごすような子ではありません。最後に私に残してくれた手紙にあったように、きっと彼女は、あのお方に熱烈な恋をしたのでしょうね……』


 胸がじんわりと熱くなる。

 正妃様や側妃様のいる一国の王に恋心を抱いた、母の妹。

 離れてからも、ひそかに彼女の生活を見守っていたという国王陛下。

 

(男女の関係の真実なんて、当事者にしか分からないもの。でもきっとその時の二人には、確かに愛があったのだと思うわ……)


「ミラベルさん」


 その時、ずっと静かに私にくっついていたアリューシャ王女が、ふいに口を開いた。


「はい、どうなさいました?アリューシャ様」

「……これからもずっと、私のそばにいてくれる?」

「……ええ。もちろん」


 私がそう答えると、アリューシャ王女の瞳からはまた新たな涙が一粒零れた。


「……母を失ってから、ずっと憧れていたの。一生切れることのない家族の絆に。……あなたに初めて出会って、助けてもらって、頭を撫でてもらった時、心から願ったわ。もしもこの人が、あたしのお姉様だったらなぁって。それくらい、あたしは最初からあなたが大好きだった。……神様に感謝するわ、心から。あと、お母様たちにもね」

「……ふふ。ええ、私もです」


 アリューシャ王女の頬をそっと拭いながら、私もそう答える。

 向かいに座っているセレオン殿下が若干寂しそうに口を挟む。


「アリューシャ。家族ならここにももう一人いることを忘れないでくれよ」

「分かってるわよ。あと、もう一人もね。……でもミラベルさんは特別なの」


 そう言うとアリューシャ王女は私の腕を掴み、ますますしっかりと身を寄せてきた。セレオン殿下と私は苦笑する。


「やれやれ。やはり姉妹の絆には敵わないな」


 姉妹の、絆か……。

 きっとお母様は会えなくなってしまったメイジーさんのことを、ずっと大切に想っていたんだろうな。

 そしてメイジーさんも。


 二人の再会は叶わなかったけれど、その想いは私とアリューシャ王女にちゃんと受け継がれた。


(お母様、メイジーさん、私この子を大切に守っていくから。心配しないでね。ずっとそばで支えていくわ──────)


 私に許される限りの時間を使って。


 けれど。


 幸せな真実を知った今、ほんの少しの不安が胸をよぎる。


(それって、いつまでなんだろう……)


 私がアリューシャ王女の教育係としておそばにいさせてもらえるのは、一体いつまでなのか。まさか何十年も王宮に置いてもらってこの子のそばにいられるわけじゃないだろうし。

 お役御免となって王宮を去る日が来れば、もう私たちは王女様とただの一介の子爵令嬢。簡単には会うこともできなくなるんだろうな……。


(……ううん。もういい。今はそんなことを考えるのは止めよう。せっかくこうして私たちの深い縁を知ることができたのだから)


 胸の中にふいに浮かんだ一抹の寂しさを振り払うように、私はアリューシャ王女の髪に、もう一度そっと頬を寄せた。






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