第30話 向けられる悪意

 だけどその王妃陛下が、突然アリューシャ王女に話を振った。


「アリューシャさん、お話を聞かせてくださる?最近のあなたの成長ぶりは目を見張るほどだと、王太子殿下をはじめ皆が口々に言っているわ。素晴らしい教育係の賜物かしら。どう?ミラベルさんとのお勉強は楽しい?」


(っ!!き……っ、来たー!!)


 え?よりによって、今?この殺伐とした雰囲気の中で、今アリューシャ王女に話を振るのですかっ、王妃陛下……!


 と思ったけれど、むしろこの雰囲気だからこそどうにかこの場の空気を和らげようとしていらっしゃるのかもしれない。現にツンと澄ましかえってウィリス侯爵令嬢を嘲笑していたオルブライト公爵令嬢も、視線で殺すつもりなのかと思うほどきつい目つきで彼女を睨みつけていたウィリス侯爵令嬢も、他の女性たちと同様に一斉にアリューシャ王女の方を見た。


 ハラハラしながら隣を見ると、アリューシャ王女は落ち着きを保ったままにっこりと笑って答えた。


「はい、王妃陛下。ミラベルさんは博識ですし、とてもお優しい方です。ミラベルさんとお話ししていると、私もこんな素敵な女性になりたいなという気持ちが湧いてきて、前向きにお勉強に取り組むことができるようになってまいりましたわ」


(ほ……っ、褒めすぎです、アリューシャ様……!)


 アリューシャ王女があまりにも手放しで私のことを褒めるものだから、恥ずかしくて恥ずかしくて、顔から湯気が出そうだ。だってここにいる方々は、誰もが私よりはるかに素敵な上流階級の女性たち。この人たちから見れば、貧乏子爵家出身の私など相手にもならないだろう。

 そう思って縮こまっていると、王妃陛下がまぁ、それは素敵ね、などとアリューシャ王女の話に相槌を打ち、私に向かって言った。


「王太子殿下があなたをとても褒めていたわ。子爵家のご令嬢でありながら、高位貴族の女性たちにも劣らぬほどのマナーを身に着けていて、立ち居振る舞いもとても優雅だと。その上相手の立場や身分に拘らず誰にでも公平に優しく接することのできる素敵な女性だって。絶賛していたわよ。ふふ」

「……き……、恐縮でございます……」


 セレオン殿下が、王妃陛下にそんなことを……?

 嬉しい気持ちよりはるかに気恥ずかしさが勝り、私はますます萎縮してしまう。そこまで自分が突出したものを持っているとは思えないけれど。たしかに、マナーや知識に関しては時間の許す限り勉強して身に着けてきたつもりだ。学ぶことはとても楽しい。アリューシャ王女に、その楽しさを私が伝えられているのなら本当に嬉しいのだけど。

 王妃陛下の言葉に、周囲のご婦人やご令嬢方も感心したように頷きながらこちらを見ている。……茹で上がってしまいそう。

 その時、王妃陛下のそばに座っているオルブライト公爵令嬢が声高らかに言った。


「まぁ、それは本当に素敵ですわ。アリューシャ王女殿下とは随分と馬が合うようですわね。やはり出自が似通っていらっしゃるからかしら」


(……え?)


 あれ?今の嫌味よね……?と私の頭が理解した瞬間、すかさず私の向かいの席にいるウィリス侯爵令嬢が口を挟む。


「たしかに。も子爵家のご出身なのね。その階級の方々独特の雰囲気が馴染み深いものなのかもしれませんわね。あなたはどちらの学園を卒業されましたの?」

「……クルース子爵領内にある学園に通っておりましたが、家の事情で中途退学しました」


 嘘をついたって仕方ない。相手が意地悪を言いたがっているのは分かったけれど、私は真実をそのまま告げた。案の定、私の言葉を聞いたウィリス侯爵令嬢はまぁ、と大袈裟にリアクションして目を輝かせた。


「王都のレミーアレン王立学園ではないのね?なら知らないわ、地方の学園にまでは詳しくなくて。ごめんなさいね。そう、中途退学なさったの……。まぁ、お可哀相に。よほど家計が苦しかったの?」

「それでよく王女殿下の教育係になどなれたものだわ。あなたご自身はどうやってお勉強なさってらっしゃるの?まさか頭の中に思いついた絵空事を適当に教えていらっしゃるわけじゃないわよね?ほほほ」


 オルブライト公爵令嬢がウィリス侯爵令嬢の言葉に乗っかるようにそう言って笑った。じわりとお腹の底に不快感が湧き上がり溜まっていく。


「……退学する時に先輩方から使わなくなった教科書や参考書をたくさん譲っていただきました。それでずっと勉強を続けておりましたし、今は王宮内の図書館も自由に出入りさせていただいています。学園に通わずとも、勉強を続ける手段はいくらでもございますので」


 馬鹿正直にそう答えると、二人のご令嬢は声を揃えたかのようにまーぁ!と驚いてみせた。


「教材をお勉強を?感心だわぁ。国内で最も格式高い学園を卒業し、屋敷には教育係たちも常に控えているこちらの世界とはまるで雲泥の差ね。世の中にはいろんな方がいるものだわ。殿下も珍しかったのかしら。これまであなたのような方とは接してこられたことがなかったでしょうしね」

「こういったお育ちが王女殿下のお心を射止められたのね。それどころかセレオン殿下のお気持ちまで掴んでしまわれるなんて……。立ち居振る舞いというよりも、立ち回りがなかなかお上手でいらっしゃいますこと。ふふ」


 オルブライト公爵令嬢、ウィリス侯爵令嬢が次々と私に嫌味攻撃を繰り出してくる。……なるほどね。王妃陛下が「王太子殿下があなたを褒めていた」と仰ったことが、よほど気に入らなかったのだろう。こんなに大勢の高貴な方々が自分たちの一挙手一投足に注目しているというのに、取り繕う余裕もなく、私なんかに必死で突っかかってきて。


(貴族家の令嬢って常にアルカイックスマイルを浮かべて感情を表に出さず、お上品に振る舞うことが美徳じゃなかったかしら……?)


 と、心の中では呆れ返っていたけれど、そこは私も一応貴族令嬢の端くれ。引きつりそうになる口角をどうにか持ち上げて微笑みを浮かべ、静かにやり過ごそうとした。


 けれど、その時だった。




「いい加減にしてくださいます?聞き苦しいわ」




(……え……?)


 隣に座って大人しくしていたアリューシャ王女が、突然はっきりとした口調でそう言った。その声色には怒りが滲んでいる。


「私のことだけでしたらまだしも、ミラベルさんのことまで愚弄することは許しませんわよ」






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