第26話 途方に暮れる(※sideヴィント)
「ハンス!おいハンス!いねぇのか!…………チッ」
この屋敷の最後の一人となった使用人の名を呼びながら、俺は乱暴な足取りで食堂や厨房を次々覗く。イライラする。頼みたい用事が山ほどあるのに、最近は呼んでもすぐに出てきもしねぇ。
「おい!!ハンス!!どこだ、クソッ」
まさか部屋で寝てやがるんじゃないだろうな?このクソ忙しい時に。買い出しも使いもあるし、洗い物も溜まってる。朝食はどうなってるんだ?一体何時になったら出てくる?
ズカズカと廊下を歩き、一階の突き当りにある使用人部屋の扉を蹴り上げると、その後すぐその扉を開けた。
「ハン……、……ス……」
……あ?
怒鳴りつけてやろうとした俺は、部屋の中を見てピタリと固まった。……荷物がない。ガランとした殺風景な部屋には、住人がいる気配がなかった。小さなクローゼットには一枚も服がなく、机の引き出しにも何も入っていない。ベッドシーツだけが丁寧に整えられていた。
「あいつ、まさか……。嘘だろおい。まさか……出て行ったのか……?!」
そのことに思い至った俺は、しばし呆然とした。最後の使用人が……行ってしまった。雇い主の俺に黙って。コソ泥のようにひそかに逃げ出したのだ。
「あの野郎……っ!!」
苛立ちがピークに達し、俺はその辺にあった椅子を蹴り上げた。頭では分かっていた。たしかに、もう何ヶ月もあいつへの給金は払ってやっていなかった。最初は言いづらそうにそのことを申し出てきていたあいつも、ついには何も言わなくなった。うちの状況を見て、支払いが難しいことは悟っていたのだろう。あいつが黙っているのをいいことに、俺ものらりくらりと交わしたままの状態でここまで来たのだ。さぞかし不満だったことだろう。
(だけど最後の使用人だったんだぞ……!いくら何でも黙って出て行くことはないだろうが!クソッ!!)
困った。心底困った。これでもうこの屋敷の中のあれやこれやをしてくれる人間が一人もいなくなってしまった。
領地の代官からも何度も苦情がきている。領民たちからここをどうにかしてほしい、これを何とかしてほしい、相談に乗ってほしい、奥様はどうしていらっしゃるのか、そう何件も苦情や相談がきているのに、なぜ放っておかれるのかと責められ続けている。そう言われても、領民たちが困っている問題をどう解決していけばいいのか、俺にはさっぱり分からない。全部死んだ父がやっていたことだし、ミラベルが嫁いできてからはほぼあいつ一人で全てを切り盛りしていた。しかも今ではもう、うちの金は底をつきそうなのだ。何とかの修繕費だの、どこそこの予算だの言われたところで、俺にはどうしようもない。
(……ああ、クソッ。ミラベルのやつめ……。どうせ行き場がなくてそのうち頭を下げて出戻ってくるだろうと思っていたのに……。あいつ一体どこに行ったんだ……?!)
俺やブリジットの金遣いにいちいち文句を言われることが鬱陶しくて、従順にさせようとあいつに暴力をふるうようになった。しかしあいつは俺に屈伏するどころか、最後の最後まで浪費を止めろと苦言を呈し、しかもついには紹介状も何も持たずにこの屋敷を出ていってしまったのだ。
意地を張りやがって。頭でっかちで本当に可愛げのないヤツだ。まぁいい。どうせ後悔してすぐに帰ってくるだろう。
そう思っていたが、あいつが戻ることはなかった。
「ヴィント!……何してるのよそんなところで。ねぇ、ハンスは?あたしお腹すいたんだけど!何で朝食作らないわけ?!あいつ」
ブリジットも起きてきて、寝間着姿のまま気だるげな様子で俺にそう問いかける。長く艷やかな黒髪も露わになった胸の谷間も色気満載だが、正直今はそれどころではない。
「……いなくなった。どうやら昨夜のうちにこっそり出ていったらしい」
「は……、えぇっ?!何よそれ!じゃあどうすんのよ食事は!……え、ちょっと待ってよ。洗濯は……?いや、買い物とか、送迎とかもどうするのよ。あ、あたしたち、これからどうやって生活していけばいいわけ?!……ねぇ、ヴィントってば!」
隣で俺の腕を掴んで揺さぶるブリジットに返事をすることもなく、俺は必死で考えた。
これからどうする?まさかここまで逼迫するとは……。あいつは、ミラベルはかなり上手くやっていたらしい。以前と同じように暮らしているのに、あいつが出て行ってから一気に雲行きが怪しくなった。……気がする。まぁたしかに、元々あいつが口うるさく言っていたようにうちの家計は火の車だったのかもしれんが。
(……癪に障るが、こちらから探して呼び戻してやるしかないのか……。頭を下げて態度を改めるなら、またうちで暮らしてもいいぞと。……しかし、あいつ一体どこにいるんだ?)
一番近い街まで出て探すか……?いや、いくら何でも効率が悪すぎる。かと言って、親も死んで社交界に知り合いもほとんどいなさそうなあいつの行方を知っている人物など……。
(……そうだ……。学園に通っていた時の知り合いはどうだ?そういえば、あいつ宛ての手紙が時々来ていたはずなのに、あいつが出て行ってからというものまるっきり来ないじゃないか。あいつがここを出たことや、次の行き先を連絡したからじゃないのか……?)
自分のひらめきに満足する。さすがは俺だ。あんな冴えない使用人代わりの女の知り合いを探す術を、こんなにもすぐに思いつくとは。
あいつがいなきゃうちは立ち行かない。仕方ない。こちらから声をかけてやるのはプライドが許さないが、今回だけは折れてやるとするか。
そう思った俺は、あいつの学園時代の友人らと連絡を取ろうとして……ふと気付いた。
(……そうだ……。俺はあいつの友人の名なんて、誰一人知らないんだった……)
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