最終章
第一話 甲賀忍者出陣
その日、甲賀の里は朝から雪となっていた。温暖な気候が続いていたが今朝は冷え込みが厳しくなり雪が降り出してきたようだ。
雨戸を開け庭に出ると一面うっすらと雪化粧となっていた。冬が深まるにつれ、今年もさらに降り積もることとなるのだろう。
雪が降り積もれば湧水が豊富になる。今年のように日照り続きの年になったとしても水資源に困ることはなくなる。
雪が多いということは、また次の秋も豊かな実りを迎えさせてくれることになるだろう。
縁側に腰を下ろし降り続いてる雪を眺め、ゆるりとした時を過ごすのも良いかもしれない。
「お頭、体が冷えますよ」
若い衆が茶を入れ私の下に集まってきた。これまた気の利いたことをしてくれる。礼を言うと照れ笑いを浮かべながら拙者の両隣に座っていく。
降り続く雪を眺め、茶を飲み、若い衆と語り合うのも良いかもしれない。
「お主達はこれからどうする。武功を立て、江戸に行きたいか」
拙者がそう問うと三人とも大きく頷いた。やはり、若い衆には里のゆったりとした風は合わないらしい、賑やかで活気のある風が吹く場所を好むようだ。
拙者の頭に夏見の存在が過った時、里に近づく何者かの気配が感じられるようになった。
馬の蹄の音、雪を踏みしめる音が近づいてきている。しかもかなりの数である。この里にいかなる用があっての事なのだろうか。
屋敷の前まで来ると門の前で佇んでいて、中に入ってくるような様子は見せなかった。
懸命な判断だろう。一線を退いているとはいえこの屋敷は甲賀忍者の屋敷だ。不用意に入って仕舞えば、からくりの餌食になりかねない。
若い衆を迎えに出し奥の間へ通すよう言いつける。
奥の間で屋敷を訪れた男の顔を見て驚愕した。
松平伊豆守信綱。
江戸幕府老中の突然の来訪に心穏やかではいられなかった。拙者等の力を借りに里を訪れたということは疑いの余地もないだろう。
それはつまり、拙者等の力を借りなくてはならない程の、一大事が起きているという事でもある。
よほど急を要しているのだろうか。伊豆守は拙者が要件をお伺いする前に話し始めた。
「島原の火を鎮火させる事ができず困窮しておりまする」
島原の火とは夏見の言っていた民の乱の事だろう。幕府軍でも鎮火させることができないとは如何なることなのだろうか。
「敵総大将は天気を操り、雷を起こし、突風を巻き起こせると聞く」
首謀者は切支丹信者と聞き及んでいたが、それではまるで忍術使いではないか。
「其方方と近い存在なのかもしれませぬ」
伊豆守もその者の正体に察しがついているようだった。それ故、拙者等の里を訪れたということか。
「拙者等の力が必要ということでしょうか」
「左様」
夏見は戦場を求め日ノ本中を飛び回っていた。まさか江戸幕府老中の方からお誘いが来るとは。これは里の者達にとって願ってもない好機だろう。
「しかし、天気や雷まで操るとはいささか信じられません」
「事実にございます」
拙者が伊豆守に疑問を投げかけると、襖の向こうから低く小さな声なのに聞こえやすい声が聞こえてきた。
声の大きさは小さいのに妙に聞き取りやすい声。特徴的なこの声の主は一人しかいない。
「夏見、戻っていたのか」
「はっ」
襖を開けると夏見は頭を下げ端座していた。中に入るよう促すと更に一度頭を下げてから入室してきた。
先程の言葉の意味を詳しく問うてみる。
「拙者は目の前で雷を起こす現場に居合わせました」
この言葉に伊豆守も驚きの表情を向け夏見を凝視しだす。
目の前で光り輝いたかと思うと稲光が上空へ舞い上がり、光の矢となって板倉重昌様を討ち取ったとのことだった。
「信じられん」
「紛れもない事実でございます」
発雷の術。
聞き及んだことはあるが、実際に使った者がいるなど聞いた事がなかった。
他にも空を朱い色に変えたり、川の上を歩いて渡ったり、突風を巻き起こし兵を吹き飛ばしたり、怪我や病を治癒させる事もできるとか。
「それが事実であれば相当な使い手であるぞ」
空の色を変える術など聞いたことがない。それに塵旋風の術や治癒の術まで使えるのか。
水の上を歩く水術は里の者でも使えるが、他の術を使える者は里にはいない。つまり、その者は里の者より実力が上ということになる。
「拙者の金縛りの術も利きませんでした」
「夏見殿と申したな、それではお主は敵大将と相対したと申すのか」
「はっ」
伊豆守は唸り声を上げ、興味津々に状況を詳しく教えてくれと懇願し出した。
これから相対しなくてはならない敵大将の情報を、少しでも聞いておきたいと思ったのだろう。
その者は術が全く利かない様子で平然としていて、周りにいる者への術の効果も低減させる事ができるようだとのこと。
夏見の術中下にあるというのに、その者の近くにいる者は術の効果が薄れ、平然と動けるようになるとか。
「其方の術は確かなものなのか?」
「はっ、その者から離れた者へは拙者の術は有効でしたので、その者が私の術の大きな弊害になっていることは無違いないと思われます」
「左様か」
伊豆守は腕を組み唸り声を上げながら天を仰いだ。
金縛りの術が利かぬのであれば敵の動きは封じられない。その上、敵の使う術、発雷の術や塵旋風の術を封じる手立ては思い浮かばない。
その話が誠なら、本当に里の者の誰もが手に負えない状態ではないか。
敵大将の術を封じる方法はない上に、こちらの術を封じられてしまうのでは抗う方法がないではないか。
「ただ術者はまだ未熟な子供故、術を使いこなせてはいないようです」
唯一ともいえる有益な報告だった。
そうなると状況は急を要する様だ。使いこなせる様になって仕舞えば手の打ちようがなくなってしまう。
こうして拙者等甲賀忍者は日ノ本を切支丹の進行から守るべく、島原の乱に参戦することとなった。
武功を上げれば江戸城に取り立ててもらえることになったのだが、相手は得体の知れない忍術使いだ、失敗すれば死は免れないだろう。
拙者達にとってこの戦は諸刃の剣のようだ。
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