魔法使いの章

ラト・ケイリア節 第三期 ハルバン

天候:晴れのち雷

昨日の雪はすでに明け方の熱波によって消失した模様。南門の魔法陣は正常に動作。

東門の防風壁の修繕は順調。但し警戒すべし。ラト・ケニアス節の二の舞にならぬように。

『研究資料』の解析については遅々として進まず。肝心の単語を(あるいは別のなにか?)を解読出来ない。しかし魔物の言葉には一定の規則があるはずである。昨日見つけたのは


 ただでさえ短すぎる日誌は、窓を叩く音によって中断された。

 魔法使いはペンを机に置き、溜息のような吐息を一つ零して椅子から立ち上がった。決して狭くもなければ広くもない部屋には本や書類が山のように積まれている。半分ほどは魔法書だったが、もう半分は語学研究や魔物の生体に関するものだった。

 窓に近付き、木枠を軽く押す。その向こう側で待っていた双子の少女に魔法使いは微笑みかけた。


「おはよう。今日はなんだい?」

「今日は凄いのよ。とっても凄いの」

「特別だもの、魔法使い様は」


 同じような見た目をした金髪の少女たちはそういって笑う。年齢は十歳。そばかすの浮かんだ頬や少し丸みを帯びた鼻は、数年も経てば彼女たちの可愛らしい悩みになるかもしれない。しかし彼女たちはいまのところ、そういったものよりは日々の変化を楽しむのに夢中なようだった。


「白パンよ、魔法使い様」

「それに甘い甘いお茶も」


 二人がそれぞれ差し出した籠には、今口にしたばかりのものが入っていた。この二人の役目は魔法使いに朝と昼と晩、食事を届けることである。この国の平和を維持するために尽力する魔法使いのために。


「これはすごいな。白いパンは久しぶりだよ」

「この前、魔法使い様が作った風がなくても回る風車で作ったんですって」

「前は風車も水車も強風で壊れちゃってたから黒いパンばかりだったもの」

「魔法使い様は旅の時は白いパンは食べたの?」


 また始まった、と魔法使いは苦笑した。この双子が母親から半ば強引に、食事を届ける係を譲り受けたのは暦の上では二節ほど前だった。仲良くやってきては、殆ど毎日のように、魔王を討伐した時の話を聞きたがる。かつて勇者一行として魔王討伐の任務を請け負っていた魔法使いにとって、その無邪気なまでの質問は苦痛でもあり救いでもあった。双子が聞くのは武勇伝などではなく旅の途中で何を見たかだとか、何を食べたかだとか、その程度の差し障りのないもので、魔法使いにとっての苦い記憶は刺激されずに済んでいた。


「王様からの支給金があるときは豪勢な食事をしたものだけど、魔王のところに近くなるとそのお金もなかなか届かなくなってね。酷いときだとパンどころじゃない、その辺の木の実を磨り潰して焼いて食べたものさ」

「美味しいの?」

「いいや、全く」

「パーケッタみたいなものかしら?」

「見た目は似ているが、お菓子のように甘くもなければしっとりもしていないよ」


 双子の話し相手をしているときだけ、魔法使いは自分の犯した罪を忘れられた。

 魔王の住まう城に乗り込んだ時、もはや魔王たちは人間の行いに絶望してしまっていて、殆ど投げやりな態度だった。だが勇者たちはそれを、自分たちの経験値が上がったからだと勘違いした。そこまでの道中も良くなかったのかも知れない。いくつかの町や村で、一行は魔物の討伐を請け負うことがあった。魔物を倒して人々に感謝されることで、彼らは自分たちが魔物より優位なのだと思い込んだ。城に乗り込んだ時の一行は、もはや「世界を救う」などという大義名分は飾りとなってしまっていて、「魔物を裁く」という意識にすり替わっていた。

 魔法使いは逃げ惑う魔物を片っ端から燃やし、凍らせ、雷で貫いた。そうして辿り着いたのは、城の地下にある実験施設だった。


「魔法使い様は甘いものお好きよね」

「私たちも甘い物好きなの」

「だから今日のお茶はうんと甘いのよ」


 実験施設には驚いたことに人間がいた。近くの村で行方不明になっていた学者の青年で、てっきり掠われてきたのかと思ったら、自ら此処に留まっていると言った。その時、彼らの中に生じたのは疑問や困惑ではなく、怒りと正義感だった。

 青年は魔王を倒してはいけないと言った。魔物の生態系が崩れるからと。魔物が増えているのが天変地異の原因だと誤解していた勇者たちはその言葉を誤解した。この青年は魔物側の人間で、自分たちが裁く対象であると。まだ何か言おうとした青年を殺したのは魔法使いだった。罪の意識はなかった。青年が庇おうとした何かの装置を粉々に壊した。

 それが世界を救うための装置だったのではないかと気がついたのは、魔王を倒して暫く経った後だった。


「これ飲んで解析頑張ってね」

「応援してるわ、魔法使い様」


 全てが間違いだったと知った後、魔法使いは魔王の城に行って可能な限りの資料と装置の欠片をかき集めた。半分以上は自ら焼いてしまったのと、残っていたものも殴り書きのようなものが殆どだったので、何を書いてあったのかすぐに解析することが出来なかった。

 その間にも止まらぬ天変地異は人間を容赦なく襲った。魔法使いは混乱する王都を逃げ出して、研究のためと称してこの田舎町に腰を据えた。小さな町を高い柵と魔法陣で防御し、人々のためにいくつもの装置を作り出した。住民は魔法使いに感謝してくれるが、それを素直に受け入れるのはまだ先のことになりそうだった。


ラト・ケイリア節 第四期 トリオン

天候:雪(晴れ)

『研究資料』の解析にめざましい進歩あり。最初に不要とした「試し書き」を確認したところ、頻繁に書かれている文字があることを発見。それを魔物にとって書きやすい文字であると仮定すると、これまでの解釈に一部過ちが生じることがわかった。

もう少しで全ての資料の意味が繋がる。しかし油断は禁物。


 魔法使いにとって魔王討伐後の二年間は死にたくなるほどの憂鬱とした日々だったが、今日だけはそれが少し和らいでいた。長らく悩んでいた問題が解決しそうな兆しがあったからである。これはずっと昔、魔道学院で友人たちと古文書を囲んで話し合い、三節を費やしてようやく解読出来た時と似たような感触だった。友人たちは既に誰もいない。一人ぐらいは残っているかもしれないが、だとしても今の魔法使いには会う資格がなかった。


「魔法使い様、おはようございます」

「今日は凄いわ。卵があるの。新鮮な卵よ」


 いつものように双子が食事を届けにきた。最近は白いパンを皆当たり前のように口にすることが出来ている。かつての平和な世界に比べるとあまりに矮小な出来事ではあったが、それでも住民たちは喜んでいた。

 彼らは自分たちのその喜びが、魔法使いによってもたらされたのだと信じている。実際には、それより前に平和を奪ったのが魔法使いであることも知らずに。滑稽だと、愚かだと、誰かが自分を貶してくれることを魔法使いは願っていた。しかし現実は残酷に魔法使いに微笑みかける。


「魔法使い様、広場の街灯は直ったの?」

「あれがないと明日のお祭りが真っ暗だわ」

「あら、暗くても松明を使えばいいのよ。昔はそうしていたって言ったわ」

「昔ってどれぐらい?」

「うんと昔よ。きっと二十年ぐらい前のことだわ」

「大昔ね」


 双子が交互に喋るのを魔法使いは優しく見守る。


「街灯は直すけど、少し間に合いそうにないかもしれないな。だから町長は松明を用意するそうだよ」

「残念ね」

「でもお祭りが中止になるよりはいいわよ」

「雨だったらどうするの」

「魔法使い様がどうにかしてくださるわ」


 双子が期待を込めた眼差しで魔法使いを見上げた。是とも否とも言えず、困った魔法使いはごまかすように双子の頭を撫でる。


「明日はお祭りだからって、あまり夜更かしをしたりお母さんを困らせてはいけないよ」

「わかっているわ」

「私たち、最近はとても良い子なのよ」

「良い子じゃないと魔法使い様へのお使いが出来ないわ」


 ねぇ、と双子はいたずらっぽく笑うと、そのまま踵を返して仲良く去って行った。

 魔法使いはそれを見送って暫くぼんやりしていたが、ふと『研究資料』の新たな解法をひらめくと、それが消え失せないうちに慌てて机へと向かった。


ラト・ケイリア節 第四期 サザー

天候:

最悪だ。

私は勇者ではない。

だからこそ、皆を救ってみせる。


 魔法使いは広場に立っていた。真夜中だと言うのに生ぬるい風が吹いていて、背中にじっとりとした汗が浮かんでいた。

 全てはもはや手遅れだった。そんなことは二年前にわかっていた。わかっていてなお希望に縋り付いたのは他ならぬ自分である。でもそれは世界のためではなくて自分のためだった。自分が嬉々として殺した青年や壊した装置に対する罪悪感を少しでも減らすための独りよがりな行為だった。


「世界を救う術はある」


 魔法使いは自分の霊力を両手に溜めた。世界最強の魔法使いと言われて鼻高々になっていた時と全く同じ霊力値だった。両手にそれぞれ雷と炎を出現させて町を見回す。明日の祭りのためなのか、あるいは明かりをあまり使えないからか、既に殆どの人間が眠りについているようだった。

 解析した結果はあまりに残酷なものだった。

 装置は魔物にしか使えないこと。魔王によって作り出された魔結晶がないと動かないこと。装置によって魔物の魔力を増幅させることで、人間の霊力と釣り合いを取ろうとしていたこと。

 魔力と霊力の釣り合いを取ることでしか世界は救われないこと。

 魔物は人間を殺す気は全くなく、共存を理想としていたこと。


「霊力と魔力の釣り合いが取れればいいんだ。そうすれば天変地異は終わる。そんなのはわかっていたことじゃないか」


 世界に残った僅かな魔物。多く残された人間。

 魔物が増えるのを待っている間にも天変地異は更に酷くなる一方だろう。

 ならば残された道は一つしかない。


「勇者がいないのなら私が世界を救うしかない。それしかないんだ」


 魔法使いはそう言って両手を掲げた。空に魔法陣が浮かび上がり、町全体を覆っていく。町長の家も家畜小屋も双子の家も、彼らが見る明日も、抱く希望も隠した絶望も全て。

 魔法使いは自分が世界を救える喜びに微笑みながら魔法を発動した。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る