第3話 炎と煙の魔女

「……色気付くのは悪くねえけどよ。んな妄想している暇あんのか?」


 いつの間にか背後に立っていた真彩が、呆れた顔でブフーッと煙を吐き出す。


「ぬあっ!か、母さん!父さんとの話盗み聞かないでよ!ってうわ!マジで時間やばい?」


 慌てて立ち上がり、荷物を取りに部屋に駈け出そうとする。すると、真彩はムンズと慶志朗の襟首を掴み、


「初日から遅刻なんざさせられねえから送ってやるよ。荷物はもう車に積んである」


 スパーッと煙草を吸いながら真彩が言い――慶志朗の顔が見る間に青ざめて行く。


「い、いいよ!まだダッシュすれば十分間に合うし……」

「遠慮すんな。これから一人暮らしするガキへの餞別代りだ。それにタマには飛ばしてやらねえと、アタシの『599』がヘソ曲げるしな」


「だ、だから、一人じゃ無くてちゃんと同居人が……だから送らなくていいってば!」


 ワタワタと言い訳して逃げようとする慶志朗だが、真彩は顔に薄笑いを浮かべ彼の襟首を掴んだままガレージへ引きずって行った。


 真彩の職業は恋愛小説家と経営コンサルタントの二足の草鞋だ。片親であるにも関わらず、一般の家庭よりも遥かに高収入を得ており、割と裕福な家庭を築いている。


 そんな彼女の趣味は煙草の他にドライブ。真紅のフェラーリ599GTOを駆り、豪快に飛ばして行く様子から「炎の魔女」と呼ばれる走り屋として県内に名を馳せていた。


 三黒須学園は慶志朗の自宅からは県を跨いでおり、電車で約1時間半、そこからバスで三十分かかる場所にある。全寮制で無ければとてもではないが通えない。


 その道程を、真彩はドライバーグローブを嵌めサングラスをかけ、咥え煙草のまま鼻歌交じりに、販売当時フェラーリ社内最速の公道仕様車であった性能を遺憾なく発揮させている。


 殺人的な横Gに先程まで慶志朗は悲鳴を上げていたが、今ではゲッソリした顔でシートに凭れてピクリとも動かない。


 空を飛びそうな速度で走る車窓の景色はまるで滝の様に後に流れて行き、もう何処をどう走っているのか皆目見当が付かなかった。


「よっしゃぁ着いた!どうだ一時間切ってやったぞ!余裕で間に合ったぜオイ!」


 愛車を飛ばしてテンションが上がったのか、興奮気味な口調で真彩が慶志朗に語りかける。が、彼は蒼い顔で白眼を剥いて居た。


「ったく……だらしないガキだねえ。それでもアタシの息子か?」


 合計二時間かかる距離を五十八分で走り抜けた「炎の魔女」は呆れたように呟くが、そんな新幹線みたいな速度で車を走らされたら、大抵の者はこうなるだろう。


 何とか意識を取り戻した慶志朗を車外に放り出し、ついでに彼の荷物も一緒に放り捨てる。


「そら。さっさと行ってきなガキ」

「あ……う、うんありがとう母さん……って、降りないの?」


「何が?」

「何がって……今日入学式だよ?出席するから送ってくれたんでしょ?」


「ハッ。何だ、高校生にもなってまだ親が居ないと入学式にも出れねえのかテメエは?」

「別にそう言う訳じゃ……」


「なら後はテメエで何とかしな。自分で勝手に選んだ学校なんだからヨ」


 真彩は鼻で笑って煙草の煙を豪快にはき出す。


「母親様は忙しいんだ。なんせ、今日の午後には原稿上げなきゃならんのだが……まだ十二ページ真っ白だ!今度原稿落としたら言い訳利かねえからよ」


 真彩は経営コンサルタント業の方を殆ど他人にまかせっきりで、執筆に本腰を入れている。恋愛小説家としては結構有名らしく、定期連載も持っていた。


 慶志朗も、何度か真彩の本を読まされた事が有ったが、何故こんなに口の悪い女性が小説だと普通の会話を書けるのか、極めて不思議に思った物だ。


「……それに下手に顔出すと、色々面倒なんだよ……」


 最後の言葉は口の中で小さく呟いただけだったので、慶志朗にはよく聞き取れなかった。不思議そうな顔で見て来る慶志朗に真彩は、


「何でもねえよ。んじゃガンバレや息子。せいぜい高校生活を満喫してきな」


 そう言ってウインドゥを閉めると、二度アクセルを空吹かしして、耳障りなスキール音を残し弾丸の様に走り去ってしまった。


 校門に続く道の真ん中にポツンと残された慶志朗は、暫く呆然と立ちすくんでいたが、大きな溜息を一つ吐くと、「よし!」と自ら気合を入れて新しく通う事になる学園の校門に向き直り、予定よりもブッチギリで早く到着した為、周囲に人影が殆どない道を歩き出した。


「今日から僕は生まれ変わる!つまらない人生から、波乱に満ちた人生を歩むんだ!」


 少年はまだ見ぬ学園生活に胸を膨らませ、瞳を輝かせながら新たな生活のスタートを切る為、校門をくぐった。が、門を超えてすぐ立ち止まる。


「……やっぱり、波乱万丈な人生より平穏無事な一生の方がいいなぁ……疲れそうだし……」


 僅か三秒で己の未来設計を修正した慶志朗は、再び新たな生活に向けて歩きだした。


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