第四章 言葉は消えても契約は残る ⑦

「ルンさんはクロアさんと逃げれば良いよ。その代わり、ここで終わりだからね。次会っても、無視するから!」


 絶縁宣言にセリアルがオロオロし、スカートポケットからカイリが顔を出し、部屋の隅で様子を見守っていたりゅーのすけとりゅーこは寂しげに喉を鳴らす。


「クロアさん、一つ考えがあります。それにおつき合いいただけませんか?」


 拗ねるトーナに一瞥をくれてから、ルンはそう言った。


    7


 ヴィンジアの西側を訪ねるのは、一ヶ月ぶりだ。帝国軍の兵士に痛めつけられて以来の街の門は、やはり東の街と同じく騒然としていた。

 広い庭つきの屋敷が並ぶ大通りには、華美な外装の馬車が停まり、その後ろには物資を積み込むための大きな荷車がいくつも並んでいる。そしてその間を、使用人達が忙しなく行き交い、せっせと荷物を積み込んでいる。そんな光景が、通りの奥までいくつもいくつも続いていた。


「おい貴様!」


 そんな光景をクロアやトーナ達と見守っていたルンに、番兵が迫ってくる。威圧的な物言いで槍の尻で石畳の路を叩き、そしてルンを咎める。


「貴様、以前ここに来た東の商人だな? また性懲りもなく捨てられに来たのか?」


 嘲る番兵に、加勢が二人。同じ藤黄色のシャツに胴体を鎧で包んでいて、揃って恰幅がいい。


「ゴブリンまで連れてきて、今度は何だ? 金でも払って一緒に逃げたいってか?」

「お前ら平民を連れて行ってくれるわけないだろ。さっさと帰れ。また痛い目見たいのか?」


 挑発的な番兵達に、トーナが不快感を露にして、ホルスタ―に手を伸ばす。


「トーナちゃん、落ち着いて」


 ルンが窘めると、


「喧嘩売られに来たの? あたしもう帰りたいよ」

「落ち着いて。すぐに忙しくなるから」


 苛立ちを見せるトーナにそう笑みを返して、前へ向き直ったルンは声を張った。


「西の街の皆さん! 私は、異世界生命保険相互会社の、日笠月と申します。今日は避難をご予定の皆さんに、素敵な保険プランをご提案に参りました!」


 よく通ったその声に、使用人とそれに紛れた主人達が足を止め、ルンに関心を向ける。その一瞬を逃すことなく、ルンはさらに続けた。


「皆さんがこの街に置いていった財産が魔族に壊された場合、その全額を補填します。保険料は一〇〇〇万バルクの掛け捨て、今回限りの特別サービス! 一〇〇〇万払えば、家でも宝石でも金でも、何でも全額補填します! たとえ何億、何十億でも、異世界生命保険相互会社が全て!」

「な、何を言っているんだ、この大法螺吹きめ!」


 番兵が聞き咎めるが、その背後では住人達が一様に関心を向けている。

 東の街で流行りつつある、ホケンという商品のことを、彼らも知らないわけではなかった。ただ、そんなものの世話になるほど困ることはないから、興味がなかったのだ。

 だが今は命に関わる危機が迫っている。しかも、今の状況に憎たらしいほど噛み合っている提案がなされたとなれば、否応なく関心を向けざるを得ない。

 問題は、その内容に現実味があるかどうか。それをルンも分かっていて、期待に応えるべく声高に告げた。


「保障の財源は、こちらのクロアさんによる緻密な投資計画と、同胞への呼びかけで集まった資金になります。その額なんと二五〇〇億バルク!」


 トーナとセリアルは唖然としてルンを見つめていた。そんな話はしていない。ついさっき、数百億ですら準備できないと言われたばかりなのだ。

 明らかな嘘。詐欺。こんなこと、クロアが許すはずもないと思っていると、


「この男の言う通り、損失は私に担保できる用意がある」


 クロアは顔色一つ変えずルンに続いた。


「ただし、即日で支払うことのできる額には限りがある以上、契約が早い者から順番に補填していくことになる。つまり、損失をすぐに埋めたければ今すぐ契約が必要だ。逃げるのも保険をかけるのも、早い者が生き残る」


 力強いクロアの言葉に、早速門の近くの邸宅から小太りの男が近づいてきた。宝石商のロートンだ。


「今の話は本当かね?」

「本当です。掛け捨て保険なので一〇〇〇万は返還しませんし、今回限りの保障です。それでも良ければ、是非ご検討を」

「よし、乗った。ちょっと待っててくれ」


 ロートンが邸宅へ戻っていくと、続いて身形の綺麗な茶ひげの老紳士がやってくる。


「君、掛け捨てとはどういうことだね?」

「解約しても返還しない、ということです。この保険はメリディエスの魔族によって出た損害のみを補填しますので、他の人的被害等については保障しません。また、メリディエスの魔族が討伐された時点で、この保険は満了となります」

「要するに、メリディエスの魔族に襲われた分は補填してくれるんだな? なら良い、ちょっと待っていなさい」


 老紳士が戻っていくと、ルンは棒立ち状態の番兵に、


「これ、お前らにやる」


 ポケットから取り出したのは、くしゃくしゃの紙幣。金額にして一〇万バルク程度だが、兵卒にとっては大金だ。


「街で俺達のこと、触れ回ってきてくれ。たくさん連れてきてくれたら、もう少し払ってやるよ」


 三人は互いに顔を見合わせ、やがて堪えきれず笑みを漏らすと、金を掴み取って街の奥へ走っていった。


「ルンさん、どういうつもり?」


 事態を見守っていたトーナが堪りかねて訊いた。


「クロアさんも、そんなお金用意できないって言ってませんでした……?」


 セリアルも途方もない約束を前に不安げだ。


「君は優秀な商人だな。客の求めるものが何か、よく観察できている」


 ルンと並んで立つクロアは、表情を変えることなく賛辞を贈った。


「連中は一刻も早くこの街から逃げたい。だが資産が多過ぎて積み込むのに時間がかかってしまうし、金目のものを積み込めば移動は遅くなり、道中で夜盗や魔獣に襲われやすくなる。帝都に着くまでの間、護衛をつけても不安は拭えんだろう」

「だから補填してやると言って大金を払わせれば、簡単に信じてくれる。財源の根拠も示せれば、なおさらね」


 ゴブリンという種族は嫌われている反面、金に関しては絶大な信頼がある。具体的な投資計画も、出資者も訊かずに契約に乗り気になるのは、彼らが積み上げてきた信用によるものだ。


「で、これからどうするつもりだ?」


 クロアはルンの方へ向き直って訊いた。


「本気で払うつもりはないだろう?」

「ええ。あいつらには一バルクも払いません」


 ルンは笑みを湛えて答え、そしてトーナの方へ目をやる。


「トーナちゃんと私で、メリディエスの魔族を倒してきます。それでこの保険は終わり。契約件数分、保険料は丸儲けって寸法です」


 トーナの表情が明るくなっていく。クロアは飽くまで冷静に、


「勝算は?」

「トーナちゃんは神から好かれてます。私と違って、かなりの能力を与えられてますからね。だから、絶対に負けません」

「もし負けたら?」

「もし兆に一つで負けたら、回収した保険料は全部差し上げます。そこから死亡保険の保険金を清算して、残りは全部あなたのものです。手切れ金としては悪くないでしょ?」


 番兵の呼びかけと口コミが効いたのか、奥に並ぶ邸宅からどんどん身形の綺麗な男が出てきて、ルン達へ向かってくる。


「つまり手切れ金の金額が、君の価値ということだ。精々稼いで、私を後悔させてみると良い」

「善処します」


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