第一章 自殺は他殺より神を困らせる ⑧

 月明かりが照らし出した穴の中に転がっていたのは、死体だった。数は一〇や二〇どころではない。甲冑を着たものに、シャツしか着ていないもの。老人もいれば、子供もいる。全員頭を叩き割られて、手足を切り落とされ、或いは顔の一部を食いちぎられている。壁や床には血糊がこびりついて、そこかしこでハエが羽音を立てて飛び交っていた。


「っ……!」


 胃からこみ上げるものに耐えかねて、ルンは穴から離れ、そして嘔吐した。吐き切って顔を上げると、トーナも穴の中を察したのか、こちらに背を向けて蹲っている。

 漫画かアクション映画のような大立ち回りに興奮し、倫理制限の解除に託けて、完全に忘れてしまっていた事実を、ルンは思い出した。

ここは異世界。ここは現実。そして、ここは死地。凶悪な化け物を相手に戦うことに、アトラクションのような安全の保障などありはしないし、ゲームのように死んだらやり直し、などという都合の良いシステムは存在しない。ドワーフの斧をまともに食らっていれば、自分もトーナも、この穴に放り込まれていたのだ。


    6


 クラウ達討伐隊が到着した時、彼らの反応は思ったより好意的だった。


「ペルグランデを倒すなんて、お前ら思った以上にすごいな。こりゃあ俺の最年少一等団員記録、トーナちゃんに更新されちまうな!」


 無茶をしたことを叱るか、報奨金の分け前で揉めるくらいは覚悟していたルンは、クラウの思いがけない称賛に目を丸くした。


「怒らないのか?」

「怒るって?」

「偵察だけって約束だったのを討伐したから……もっと何か言われるかと思ってた」

「そんなことでいちいち怒ったりしないって。自衛団俺達は軍じゃないし、お前らも俺の部下じゃないんだから、そんな細かいことまでごちゃごちゃ言わねぇよ」


 懐の広さに感心しきりのルンに、クラウは続けざまに「ところで」と切り出した。


「分け前なんだけど、半々で良いか? お前らに全取りさせてやりたいところなんだけど、こっちも人手を出しちまったしな」


 討伐隊はクラウのパーティに二等団員を組み合わせた、総勢二〇名弱。これだけの人員を真夜中に動員してもらったのだから、むしろ半分ももらうのは申し訳なさすら覚える。


「そりゃあ、もちろん。そうだ、もし良かったら剣の使い方とか、教えてもらえないか? トーナちゃんに頼りっぱなしってわけにもいかなそうだし」


 凄惨な現実を目の当たりにした以上、丸腰で後ろから見ているだけ、なんて甘い考えは持てなかった。最低限の自衛はできるようにならなければ、死んでしまう。


「じゃあ俺が直々に教えてやるよ。今日の取り分は、免許皆伝までの指導料ってことでどうだ?」

「あぁ、それで頼む。ありがとう」

「良いってことよ。ペルグランデの討伐報酬は一〇〇〇万バルクに引き上げられてる。だから半分の五〇〇万、お前とトーナちゃんで山分けしとけ」


 そう言ってクラウは力強く肩を叩いた。彼の懐の広さに感動すら覚えていると、パーティメンバーのクロードが駆け寄ってきた。


「死体を運び出すの、もう少しかかりそうだ」

「数が多いのか?」

「それもあるけど、バラバラにされててね。人手が全然足りないよ」


 クロードがクラウを連れて行き、二人と入れ替わるように、二等団員が担架を担いで目の前を横切った。

 布を被せた遺体の手が、担架の揺れではみ出す。薬指の指輪を認めて、ルンは団員に声をかけた。


「なぁ、ちょっと」

「あ? 何だ、新入りか。お前、大手柄だったな。大したもんだ」


 足を止めた二等団員が労うように言った。ルンは相槌も打たず、担架に乗る死体へ目をやる。


「この遺体は?」

「団員のだよ。俺達もよく知ってるやつだ。子供もまだ小さいのに、かわいそうにな」


 団員は重苦しいため息を吐いた。


「自衛団からお金って出るのか?」

「報奨金のことか? それは心配ない。帰ったらすぐに満額払われるさ」

「いや、この人にだよ。見舞金とか、保険金とか」

「ホケン? 何だそりゃ」


 面食らうルンに、団員は首を傾げる。


「まぁ葬儀代くらいは出るよ。積み立ててるしな」

「それだけ? 子供の養育費とかはどうするんだ?」

「そんなの自衛団で面倒見れないって。もう良いか? お前らも帰り支度しろよ」


 ルンの質問責めを煩わしげに躱すと、団員は担架とともに洞窟の入り口へ向かっていった。


「この世界、保険ないのか……」


 考えてみれば、当然のことなのかもしれない。生前世界で知られている保険が登場するのは、近世後期に入ってから。日本では明治時代にやっと誕生したシステムだ。この世界に存在しないとしても、不思議ではない。

 それなら、自衛団の団員が大黒柱の家庭は、稼ぎ手を失った後どうするのか。家族を亡くした悲しみに打ちひしがれているところへ、貧しさが追い打ちをかけてくるのではないか。女手一つで家計を支えなければならず、子供は将来の選択肢を奪われてしまうことになるかもしれない。


「ルンさん」


 不意に背後から、トーナが声をかけた。振り返ったルンを見上げるトーナは、幾分疲れている様子だった。


「眠いから、馬車に戻ろうよ。あたしもう疲れた」

「あぁ、うん。分かった」


 あの大立ち回りを演じたのだ。疲れていない方がおかしな話だろう。

 ルンはトーナと一緒に洞窟を出た。森を抜けて、隊列を組む五台の馬車の最後尾に乗り込むと、そこでトーナは気が抜けたようにため息をついた。


「初仕事にして大手柄だよ、ルンさん」

「そうだね」

「あの化け物の報奨金、知ってる? 一〇〇〇万だよ。クラウさん達と半分ずつに分けても、五〇〇万になる。結構な大金じゃない?」

「だと思うよ」

「いや~、あたし達大金持ちになれる日も近いね」


 眠そうな顔のまま、妙なハイテンションで話すトーナ。疲労から来る睡魔と興奮状態がせめぎ合っているのだろう。


「トーナちゃん」


 ポケットから出てきて、膝の上で丸くなったカーバンクルを、うとうとしながら撫でるトーナに、ルンは思いついたままに提案した。


「会社作ろうと思うんだけど、一緒にやらない?」

「何の会社?」

「生命保険会社」


 閉じかけた目を開けたトーナは、ルンの方に笑みを見せた。


「ルンさんの前職じゃん。成功しそうだね」

「うん。興味ない?」

「あたしは自衛団で良いけど、兼業できるのかな?」

「どうせしばらくは金ないから、自衛団やりながらになるよ。商品開発と営業は俺がやるし」

「そっかぁ。じゃあ、あたしが社長でも良いなら、やりたい」


 ルンは迷うことなく頷いた。


「俺は経営者とか向いてないから、良いよ。トーナちゃんが社長なら広告塔にもなりそうだし」

「やったね。これであたしもJK社長の仲間入りだ」


 得意満面のトーナに、しかしルンはつまらないことを指摘した。


「この世界、女子高生って概念あるのかな?」

「あるでしょ~……なかったら、それっぽい略称考えて」


 一抹の不安を覚えたトーナに、ルンは少し考えてから、


「J(ジョン・ウィックばりに)K(キレのあるアクションをする)社長とか?」

「う~ん……ダサいけど、まぁ良いや」

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