Matrix Ma:GEAR

千崎 翔鶴

0.囚人番号五八六〇番

 円を描くようにぐるりと並んだ人間の視線が、突き刺さる。まるで「お前が悪いことをしたのだ」と言わんばかりの視線に晒されるのは、これで五度目になるだろうか。

 ぱたりぱたりと、耳元で羽ばたくような音がする。右手で右肩をとんと叩けば、重みのあるものが肩の上に乗り、しゅるりと尾が首の後ろに添った。

小郷こごうユギト」

 パーカーのポケットに、両手を突っ込んだ。ゆらりと視界の中で黒い紐が揺れている。

「これで何度目だ」

「さあ? 五度目くらい?」

 首を傾げたところで肩の上にいた毛玉に、もふりと触れる。ぎにゃ、という潰れたような抗議の声は無視をして、その柔らかさを堪能した。

「八度目だ、この、バカ者!」

 右から左へと突き抜けていった大声が、きぃんと脳を揺らす。

 ユギトは五度目だと思っていたから正直に答えたのに、いつもいつもこれだ。毎回毎回こんな風に怒鳴られてもユギトの中には何も残らないし、むしろすぐさま忘れようと心に誓うことになる。

 よし今回も、さっさと忘れてしまおう。どうせそんなことを思わなくとも、寝て起きて明日になったらすっかり忘れているだろうけれど。

GEARギアもまともに使えないくせに、相方サイドキッカーを置いて突出するなと何度言えば分かる!」

「あいつがちんたらごしゃごしゃと何かやってるのが悪い。僕は二度もあいつに言ったんだ、さっさとしろって」

 情報がまだ足りないだの準備だの、一応ユギトはこれでも前回より待ってやったのだ。多分五分くらいは、待った。けれどいつまで経ってもその準備とやらが終わらないから、とっくに準備ができていたユギトは相方を置いていっただけだ。

 さっさと帰って眠りたかったというのは、立派な理由になるだろう。何せもう時刻は深夜を回っていて、良い子は寝る時間だった。

 睡眠不足は、大敵だ。何ならユギトは、毎日十時間は寝たい。残りで十四時間できっちりやるべきことをやれば、何も文句は出ないだろう。

 そう思っているのに、こうしてユギトの前にずらりと雁首を並べたお偉方というのは、それでは満足しない。それにしても毎回毎回一人の欠員もなくこうして並ぶのだから、お偉方というのはどれだけ暇なのだろう。

「だいたいあんたらも毎回毎回飽きないで呼び出すけど、僕はいつも通りこう言うからな。そろそろこれ言うのも飽きてきたけど、あんたら飽きないの?」

「小郷!」

「じゃ、一応。『オベリスクをへし折れれば、それで問題ないだろ?』」

 ユギトの目の前に、大きな窓がある。窓の向こうには今日も今日とていつもと変わらない、目にも鮮やかで気持ちの悪い紫色の空が広がっていた。そこには真っ白な電光をまとう黒い雲が、いくつもいくつも浮かんでいる。

 そして窓の中央には、緑色の光を放つ、天にまで届きそうなほどに高い巨大な柱が一本。四角くて先が尖ったその柱は、常と変わらずそこに君臨している。

「で、あんたらが次に言うのはアレだろ? いつもみたいにほら、『お前の相方サイドキッカーが辞表を提出してきた。貴重なギアユーザーをどうしてくれる』ってやつ。僕、いつも言ってると思うんだけど。GEARにだけ頼ってGEARでしかオベリスクをへし折れないみたいなこと言うからこういうことになるんだって」

 このやり取りをするのも飽き飽きだ。

 目の前の老人が机の上で両手を組んで、深々とため息をついている。ユギトは何も間違ったことを言っているつもりはない。そうやってGEARでしかやれないと思い込んでいるから、準備だ何だでどんどん対応が遅れていくのだ。

 あんなもの、GEARに頼らずともへし折れる。それが分かっていない方が悪い。

「別に僕はいつでもクビにしてくれて構わないんだけど。まだしないわけ?」

「できるわけがないだろう!」

 再度の大声に、ユギトはついあくびを漏らした。くあ、と大きく口を開けて、さすがに真正面であくびをするのは火に油かと横を向く。

「小郷!」

 そんな風に一応気を遣ったというのに、結局また怒鳴られた。いつも思うが、そんなにも怒鳴ってばかりで、喉が痛くならないのだろうか。

「所長、落ち着いてください」

 怒鳴っている老人を宥めるような声は、老人の隣に座っていた男だった。これはいつもと流れが違うなと、そんなことをユギトはあくびを噛み殺しながら考えた。

 そもそもここで目の前の老人以外が口を開いたのは、初めてかもしれない。

「小郷、とりあえずお前の次の相方サイドキッカーは決まっている」

「へえ珍しい。いつもは何日かして、次の生贄が送られてくるのに?」

 単独行動を許さない以上は、相方が必要になる。いつもはこうして呼び出されて、しばらく謹慎を言いつけられて、それから次の相方という名の生贄が決まるが、今日はもう決まっているのだという。

 次はどんな可哀想なギアユーザーだろうか。

「入りなさい」

 ガァっと自動扉が開く音がした。ずるずると何かを引きずるような音を立てながら、何かが近付いてくる。ポケットに手を突っ込んだまま後ろを振り返れば、何本ものベルトが巻き付けられた、真っ白な筒。

 辛うじて鼻から上と、膝から下は見えている。けれどあとは白い筒に覆われて、その上からベルトで拘束されて、その足首には足枷と鎖。

「……何これ。拘束具?」

 これはまたとんでもないものが出てきたような気がする。

「『解除許可』」

 ばちんばちんと音を立てて、ベルトが外れていく。ずるりと蛹から羽化でもするかのように現れたのは、白と黒の縞模様の服を着た、やせっぽち。

 落ちくぼんだ暗い目が、ただじっとユギトを見ていた。


「囚人番号五八六〇番。コレがお前の、次の相方サイドキッカーだ」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る