閑話 南野蒼葉はとても頑張る

 花冠学園に入学してから一か月半が経過した。


 忙しさのピークを越えたその日、僕は現状を記録するためにノートを開いた。試験勉強で忙しかったのでしばらく手を付けていなかった。


「あれから結構な動きがあったし、全部記録しておかないとな」


 深々と息を吐き、思い出しながら書いていく。


 五月の初め――人生を賭けた長い高校生活が幕を開けたところまで遡る。


 犬山さんと接触した後、しばらく冬茉様の生活に変化はなかった。


 関わっている女子生徒は犬山彩葉さんだけ。女子だけでなく男子ともほとんど接触がない。北沢君と楽しそうにしているくらいだ。


 ここまでは予想通りだ。一般入試組は毎年こういった感じらしい。


 連絡先を交換した僕のことをどう思っているのだろう。友達とまではいかないけど、好印象は与えられているはずだ。挨拶もしてくれるし、会話だってしている。少なくとも嫌われてはいないはずだ。


 その後、ゴールデンウィークに突入した。


 クラスメイトに遊びに行こうと誘われたが、勉強を理由に断った。今後に向けてクラスの人達とも友好関係を築きたいけど、僕には重要な使命がある。


 観察と勉強。


 連休中、何度も冬茉様が暮らしている九号棟の近くまで行って動向を見守っていた。冬茉様の行動がわからないからだ。もし、街中で運命の出会いとかしたらと考えたら気が気じゃなかった。


 連絡先は交換しているけど、頻繁に連絡したら迷惑になる。情報収集していると知られるのもまずい。


 僕の正体がバレるのも問題だし、何よりも冬茉様のご機嫌を損ねるわけにはいかない。


 観察だけでも大変だったけど勉強もしなくてはならない。


 影武者である僕は周囲から獅子王の後継者として見られている。あまりにも不出来ではまずい。獅子王の名を汚すわけにはいかないのだ。


 ゴールデンウィークは何事もなく終わった。


 最終日は突然の来客があったせいで寮から出られなかったけど、恐らく大丈夫だろう。ゴールデンウィークの間、冬茉様はあまり外出していなかった。きっと最終日もジッとしていたはずだ。


 連休が明けると、部活動加入イベントがやってきた。


『小早川先生、文芸部に入部します』

『俺も入部します』


 こっそり冬茉様と北沢君の後を付けていくと、ちょうど入部届を出すところだった。


 小早川先生に確認した後、迷わず僕も入部した。


 入部したのは文芸部で、好都合にも先輩はいない部活動だった。これは助かった。もし冬茉様が先輩と接点を持ったら調べるのが一苦労だ。


 これで隅から隅まで冬茉様の交友関係を探れる。見落としがあったら最悪だ。一挙手一投足を見逃さないようにしなければ。


 同じ部活動に所属するのは全部で五人。


 僕と冬茉様、北沢君は男子なので除外する。というわけで、注意して動向を見守らなければならない女子生徒は二人だ。


 注意はするものの、中間試験があるのでしばらく動きはないだろう。


 そう予想していたが、ここで想定外の出来事が発生した。


 冬茉様は部活動が開始されてから中間試験開始までの短い期間でとある女子生徒と急速に仲を深めたのだ。


 相手は文芸部に所属している狐坂柚子――


 彼女は現役のアイドルである。国民的アイドルグループのメンバーであり、僕が密かに追っていたアイドルでもあった。入学式で姿を見かけたときはテンションが上がったものだ。


 追っていた理由はいくつもある。


 キレのあるダンス、伸びのある歌声、さらには抜群のルックス。元々アイドルが好きだった僕が追わないはずなかった。

  

 ただ、本当の理由は別にある。


「……何度見ても似てるんだよな。名前も同じだし」

 

 彼女は中学の時に転校していった少女にそっくりだった。


 誰にも言っていなかったけど、僕はその子に恋をしていた。忘れるはずがない。絶対に忘れられない初恋の相手だったのだから。


 彼女は転校する直前に告白してくれた。


 初恋の少女に告白される。本来ならそれは天にも昇る気分になる出来事だが、当時の僕はそれを断った。


 タイミングが悪すぎた。


 あの時の僕は精神的に参っていた。両親の会社が傾いていることに気付いた辺りであり、日に日に疲弊する両親の姿を見て心を痛めていた。正直、家族のこと以外は何も考えらなかった。


 それに、仮に付き合っても彼女は転校してしまう。現実思考だった僕は中学生で遠距離恋愛とか無理だと思っていた。


 程なくして彼女は転校した。あの時のことは今でも深く後悔している。


「……けど、やっぱり別人だよな。我ながら未練がましい」


 あの子とは苗字が違う。顔は似ているけど別人だろう。親が離婚なり再婚なりしているのなら苗字も変わるけど――


 いや、それでも違うはずだ。


 仮に同一人物なら僕にコンタクトを取るはずだ。何も言って来ないところからして他人なのだろう。


 そもそも僕が興味を持つことなど許されない。冬茉様の嫁選びの邪魔になるわけにはいかない。高校生の間は恋愛に興味を持たないと決めている。


 中間試験中ではあったけど、狐坂さんに接近した。


 だが、何故だろう。初対面のはずなのに狐坂さんは僕に対して含むところがあるらしい。睨まれてしまった。


 しかしそれは僕の勘違いだったようだ。その後は普通にクラスメイトとして仲良くしている。もしかしたら最初はナンパの類と思われたのかもしれないな。相手はアイドルなのでよくナンパされるのだろう。だったら仕方ない。


 部活も同じだし、このまま良好な関係を築きたいものだ。


 そして、中間試験が終わった。


 この試験がまた地獄だった。授業もハイレベルだったけど、試験の難易度が恐ろしく高かった。


 今後もあのレベルだと赤点を取ってもおかしくない。どうにか対策しないと。

 

 影武者と見極め役の両立。辛い役目なのは最初からわかっていたが、ここまで過酷だとは。

 

「……って、しっかりしろ。自分で決めたことだろ!」


 ぺしぺし自分の頬を叩き、自らを鼓舞する。


 中間試験が終わり、ようやく平穏な日々が戻ってきた。


 本日、大事件が発生した。

 

 冬茉様と狐坂さんが体を密着させていたのだ。抱き合っているといっても過言ではない状態だった。アイドルと体が触れ合う距離とか羨ましい――


「って、そうじゃない!」


 自分の思考にツッコミを入れながら、あの時の状況を振り返る。


 狐坂さんがこっちを周囲をチラッと見た後、冬茉様の体に自分の身を預けたのだ。すぐに離れたが、間違いなく彼女からのアプローチだろう。


 恐るべし、冬茉様。


 一般入試組なので学園内での地位は高くないのにアイドルを一瞬で堕とすとは。生まれ持ってのカリスマが成せる業だろうか。


 その後、入れ替わるようにして犬山さんと仲良くお喋りしていた。


 アイドルと学年首席。

 

 学年トップのルックスを持つ少女と、学年トップの知力を持つ少女に気に入られるとは本当に恐れ入る。


 狐坂さんの性格についてはまだ調査中だが、今のところ問題なさそうだ。


 狐坂さんは素直ないい子に見える。とはいえ、アイドルなので本心を隠すのが上手い可能性もある。今後も要チェックだ。


「……よし、これで大丈夫だな」


 ノートを閉じる。


 冬茉様の凄さに驚かされる。僕も負けてはいられないな。ただ頑張るだけでは全然足りない。とても頑張らないと。


「よし、勉強するか!」


 そうして僕は勉強を開始した。

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