第18話 お嬢様兎に連行された件
兎川夏蓮のことは昔から苦手だった。
昔というのは花冠学園に入学する以前の話だ。転校を繰り返していた時、数か月だけ同じ中学に通っていた。
名前が同じというだけで非常に嫌な思いをした。
周りの連中がアホみたいに騒いだり、比較してからかったりして、本当に鬱陶しかった。地獄みたいな生活の中でも特に嫌な記憶が残る数か月だった。
ただ、兎川自身に何かされたとかはない。
実のところ話した経験もなかったりする。俺は底辺オブ底辺だったし、超絶お嬢様である兎川との接点などあるはずがなかった。底辺のモブと、大企業のお嬢様が同じ名前だった。それだけだ。
花冠学園に入学してからも関係は変わらない。
当然、向こうは俺の正体に気付いていない。そもそも俺の存在など覚えていないだろう。接点など今後もないと思っていた。
「……辛い」
その兎川がペアダンスの相方になったわけだが、苦痛だった。
「ホントに苦しそうだね」
項垂れる俺を見て伊吹がそう言った。
「兎川の奴、妙にやる気満々なんだよ。顔を合わせれば練習に誘われる。でもって、練習では何度もダメ出しされる」
「具体的には?」
「動きがぎこちないってさ。指先とか、足運びとか、細かいところを指摘してくるんだ。本気で取り組もうって姿勢はこっちとしても望むところだけど、あれは厳しすぎる。折角のお祭り気分が台無しだ」
ダンスが好きなのか、あるいは下手な奴が許せないのか。兎川はあれこれと細かく指摘してきた。
この苦痛を共有したかったのだが、伊吹の反応は冷たかった。
「それくらいなら全然いいじゃない」
「良くないだろ」
「可愛い女子生徒と組めるだけで羨ましいよ」
「……」
「僕の相手は彼だよ」
伊吹は女子に囲まれている蒼葉を見た。
そう、伊吹と蒼葉がペアとなったのだ。
こうなった経緯は非常に簡単だ。ある女子生徒が男子とのペアダンスを拒絶したのだ。件の女子生徒は女子同士でペアダンスをすることになり、余っていた伊吹と蒼葉がペアとなった。
余談になるが、その女子生徒が断った理由はすでに結婚を約束した相手がいるからだ。結婚相手以外と踊るのはありえないという。
聞いた時は驚愕したが、先生もクラスメイトも誰も驚いていなかった。ここがそういった生徒が通うレベルの名門なのだと再確認した。
「お嬢様の細かい指導のほうがいいよ」
「それは……そうかもな」
「嫌ならチェンジしてくれてもいいけど?」
「遠慮する」
それは俺にとって最悪だ。他の男子ならともかく、あいつが相手とか最低すぎる。まだ兎川のほうがマシだ。
「じゃあ、間を取って俺と伊吹でダンスするとか?」
提案すると、鼻で笑われた。
「僕にメリットないよね。男同士で踊ることになるんだし」
「……だよな」
こっちからしたらメリットが多いけど、それを言うわけにもいかない。
「けど、兎川さんの印象変わったかも」
「どういうことだ?」
「冬茉の話を聞いてると意外に熱血な気がしてさ。ほら、普段の彼女はクールというか誰も寄せつけない孤高の存在って印象が強いから」
「確かにな」
伊吹と同じ感想だ。
クラスでの兎川は孤高のお嬢様だ。いつも一人で行動している。仲のいい生徒は少ない。というよりもいない。
「考えてみたら変だよね。彼女の実家って全国的に有名な企業だし、本人の容姿も一部の人には刺さりそうなのに」
「問題は性格だろ」
その意見に伊吹も同意した。
「距離を取りたがっているというか、意図的に誰とも仲良くなろうとしてないように見えるよね。自分から誰にも話しかけないし、声を掛けられても冷たい反応をしてるし。僕みたいな庶民にはわからないけど、元々そういうタイプなのかな」
「……」
中学の頃の兎川は全然違った。
俺と出会った時はいつも周囲に友達がいた。本人は別に興味無さそうな感じだったが、それでも拒絶とかはしていなかった。
それがどうだ。
高校で再会した兎川は誰に対しても突き放すような対応をしていた。入学からさほど時を置かずに誰も話しかけなくなった。
何気なく兎川のほうを見ると、目が合った。
「……」
「……」
慌てて視線を反らしたが、遅かった。イスを引いて立ち上がった兎川がこっちに近づいて来た。
ペアダンスの練習で植え付けられたトラウマのせいだろうか、あいつが近づくだけで体が震えた。
「今、どうして顔を背けたの?」
「別に何でもないぞっ」
「怪しいわね。まあいいわ、ちょっと話があるの。一緒に来て」
「ちょっ、待っ――」
待ってはくれなかった。
◇
人気のないところに連行された。
クラスで誰とも会話をしない兎川が俺を連行したところは中々に新鮮だったらしく、周囲からの視線が痛かった。
「話って何だよ。今日は練習休みだろ?」
「……」
「えっと、兎川?」
兎川は俺をジッと見つめている。
「安心しなさい。ペアダンスの練習なら休みよ」
素直に安堵した。
「まずは謝っておくわ。強引に連れ出して悪かったわね」
「いや、それは別にいいけど」
謝るくらいなら普通に呼び出してくれたら良いと思うのだが、口に出したら面倒になりそうだから辞めておく。
「あんた、南野蒼葉と仲良しでしょ?」
「仲良しではない」
「いつも一緒にいるじゃない。部活だって一緒だし。しばらく観察してたけど、南野が心を許してるのはあんたくらいでしょ」
「仲良しではない」
そこだけは断固として否定する。
俺の意志が固いのを確認したからか、兎川はため息を吐いた。
「認めたくないならいいわ。あんたが南野をどう思ってるのか何となくわかったから。で、そんなあんたに聞きたいことがあるの」
「何だよ?」
「南野蒼葉について教えてほしいの」
誰にも興味ない感じだったが、こいつも蒼葉狙いなのか?
さすがは勝ち主人公様だな。
少しだけムッとしたが、ここで腹を立てるほど子供ではない。
「教えてと言われても困る。さっきも言ったが、俺は別に南野と仲良しってわけじゃないからな。知りたいなら他の奴に聞いてくれ」
「他の奴って?」
「女子のほうがあいつに詳しいだろ。友達にでも聞けば――」
言いかけたところで強い敵意を感じた。
「友達なんていないから!」
「お、おお」
この話題は地雷っぽいな。
理由を聞きたいところではあるが、こいつが蒼葉狙いなら怒らせるのはまずい。大企業のお嬢様は嫁候補として最も釣り合う。可能性も高い気するし、未来の夫人と揉めたくはない。
などと考えていたのだが。
「質問を変えるわ。あいつに嫌われるにはどうすればいいのか教えて」
「……へっ?」
意味がわからず、俺は首を傾げた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます