第15話 アイドル狐の本性
中間試験を間近に控えたその日。
放課後、俺はいつものように部室に顔を出した。寮に戻っても暇なので入部してから毎日ここに通っている。読書したり、執筆してみたり、昼飯を食ったり、勉強したりと様々な用途で使っている。
文芸部の部室は狭い。
部屋を囲うようにして本棚が設置され、長机が中央に二台ある。それだけで部屋には空いた空間がほぼない。
しかし、庶民である俺はこの狭い感じが好きだった。
お嬢様とお坊ちゃまばかりが通う学園、その中にあって狭くて本が乱雑に置かれているここは非常に居心地が良かった。例えるなら豪華なレストランよりチェーン店のほうが慣れているから美味しいみたいな感じのアレだ。
「あれ、今日は西田君だけ?」
しばし一人の時間を過ごしていると、狐坂が部室に入ってきた。
「他の連中は寮で勉強するみたいだ」
「部長も?」
「ああ、伊吹もだ」
「……そっか。試験前だからしょうがないね」
お目当ての蒼葉がいないとわかり、テンションが下がっている様子だ。
我が文芸部だが、あれから話し合いをして部長は伊吹となった。
誰も反対せず、あっさりと決まった。
本人は「この面子の中で僕が?」と震えていたが、全員が伊吹を推薦したのだから仕方ない。というより、俺が伊吹を推薦したから全員乗っかってきた感じだ。
「じゃあ、今日は西田君とお喋りしよっかな」
「俺と?」
「ダメ?」
「別にダメじゃないけど」
現役アイドルと同じ部屋で二人きりか。
その事実に一瞬だけ気分が高揚したものの、こいつの気持ちを知っている身としては特に期待したりはしない。
大体、蒼葉が本命にしそうな相手に惚れたりしても待っているのは虚しい結末だけだしな。
「そうだ、あの時は助かったよ。ありがとね」
あの時とはカフェで相談に乗った時のことだろうか。
「俺は何もしてないぞ?」
「そんなことないよ。部活の話をしてくれただけで助かったんだ。同じ部活に入るのは盲点だった。これで自然に近づけるよ」
健気じゃないか。
純愛とか今どき流行らない気もするが、俺は嫌いじゃない。心情的には負けヒロインを応援したいが、ここまで純粋だと応援したくなるね。
「南野が文芸部に入るってよくわかったな?」
文芸部に入部した蒼葉だったが、その後ちょっと騒動があった。
蒼葉と同じ部活に入りたかった女子が数多くいたらしい。後で文芸部と知って驚いていた様子だった。
余談だが、退部するにも理由が必要だ。理由がなければ花の没収となる。多くの女子生徒が悔しがっていた。
「簡単だよ。西田君達の後を追いかけてたみたいだから」
「えっ――」
「ほら、西田君達が小早川先生に入部届を出してたでしょ。その様子を蒼葉が見て、先生に確認してたみたい。それで、自分も文芸部に入るってその場で言ってたの」
マジかよ。
気のせいではないのかもしれない。疑惑はあったけど、もしかしたらあいつは本当に俺を追いかけているのかもしれない。
これは意外と本気で俺に邪な感情を向けているのかもしれないな。
元親友だとバレていたら距離を開けるだろうし、獅子王の関係者だとバレていたら露骨に接触するのはおかしい。仮に予想通りだとしたら嫌すぎるな。
「ホント仲良しだよね」
「いや、全然仲良しではないぞ」
「またまたー、絶対仲良しだって」
誤解をされても困るが、狐坂の中ではそれで決定したらしい。
その後、しばし狐坂とお喋りをした。
お喋りといえば聞こえはいいが、大抵は蒼葉の話だ。昔の思い出とか、今の状況とか、隠す気のない好意を口に出していた。
「俺はそろそろ寮に戻る」
「まだ早くない?」
「静かな環境で勉強したいんだよ。じゃあな」
「しょうがないか。またね」
元親友の賛辞に嫌気が差したので部屋から出た。
しばし歩いたところであることに気付いた。
「ノート忘れた」
逃げるように退室したのでノートを忘れてしまった。失態だ。すぐに部室に戻った。扉を開けて――
「絶対逃がさないからな!」
えっ?
不穏な声が気になり、扉を開けずに室内の様子をうかがう。
「このクソ野郎、おまえから全部奪ってやる!」
誰かと喋っている感じだが、違う。室内にいるのは狐坂だけだ。声の直後にバンッと派手な音がした。どうやらイスを蹴っているらしい。
犬山に対してだよな?
狐坂と犬山の関係は良くない。部内でもしょっちゅう衝突している。しかしここまで嫌っているのは予想外だった。口喧嘩程度だと思っていたのに、誰もいない部室のイスを蹴るとか陰湿なことをしやがる。
「えっ」
違った。狐坂が蹴っていたのは蒼葉のイスだった。
「このクソ! くたばれ! 馬鹿にしやがって!」
その顔にはアイドルらしさなど欠片もない。恍惚に満ちた顔でゲシゲシと蹴っている。狂気すら感じた。
なにこれ?
状況を脳が処理できなかった。
よし、見なかったことにしよう。俺は反転して、足音を立てないように注意しながら歩き出す。
「ねえ、どこに行くのかな。西田君」
一歩踏み出しところで背後から声を掛けられ、心臓が高鳴った。
◇
そのまま部屋の中に連行された。
「見ちゃった?」
「……」
「先に言っとくけど、逃げたら叫ぶから。西田君に襲われましたって。この辺りには監視カメラもないし、どうなるかわかってるでしょ?」
「っ」
アイドル様にその発言をされたら俺は詰む。こっちは一般入試組の底辺だ。信用度では桁違いの差がある。
「それで、今見たのを誰かに言うつもり?」
「だ、誰にも言わないっ!」
「嘘吐き」
「本当だ。言ったところで俺にメリットがない」
「そんなことないでしょ。西田君は犬山さんに肩入れしてるみたいだしさ。私の弱味を握ったって情報流すんじゃないの?」
同じ負け犬同士なので肩入れはしているが、別に言うつもりはない。
そもそも今の行動と発言の意味がわからない。
「確認したいんだが、狐坂が蹴ってたのは南野のイスだよな?」
「見ての通りだよ」
「……罵声も南野に対してか?」
「もちろん」
「えっと、好きじゃないのか?」
好きな男のイスを蹴飛ばす意味が理解できない。
恐る恐る尋ねると、狐坂は笑みを浮かべていた。相変わらずアイドルなのに魅力的ではない貼り付けたような笑みだ。
「全然好きじゃない。あのクズは復讐対象だし」
「復讐?」
「ほら、前に教えたでしょ。私がフラれたって話。あれは本当なの」
「えっ――」
「許せないよね。だって、この私が告白したんだよ。世界一可愛いこの私が。しかもあいつ、私のこと全然覚えてないって。そんなのありえないでしょ!」
スイッチが入ったように狐坂が激昂する。
豹変したその姿に俺はごくりと息を呑む。血走った目には明確な悪意と殺意みたいなものがこめられていた。
と、同時に納得した。
カフェでお茶会している時に見ていたのはこの目だったのだと。
「昔は太ってたとかブスとか言ってなかったか?」
「謙遜に決まってるでしょ。私は昔から世界一可愛いんだから!」
「そ、そうだよな」
アイドル級に可愛い子がたった数年で劇的に変身とかありえないと思っていた。そりゃ最初から可愛いに決まっている。
「恥をかかせてくれたあのクズに復讐してやるの」
「……復讐か」
「そっ。惚れさせて、今度はあいつから告白させるの。その時に過去のことを全部暴露して『ざまあみろ』って言ってやるつもり。この学園に来たのもそのため。あいつがこの学園に入学するって調べるのに随分と苦労したんだから」
復讐、復讐か。
ある意味ではこいつも俺と同じだったわけだ。
復讐は俺にとって二番目の望みだった。勝ち組を目指していなかったら間違いなく復讐に走っていたと断言できる。
蒼葉の奴には俺だって復讐したい。大切な初恋を奪われてしまったわけだし、現在進行形で憎しみは持っている。
復讐はしたいのだが、それをしたら俺の生活はその時点で終わってしまう。後継者を害するような奴を会長は許さないだろう。
そうなったら負け組一直線だ。
俺が押し黙っていると、狐坂は深々とため息を吐いた。
「けど、予定狂ったな。本当は西田君を惚れさせて、利用するつもりだったのに」
「利用?」
「あいつ、理由はわからないけど西田君のこと特別に思ってるみたいだからさ。授業中もチラチラそっちのほう見てるんだよね。だから、友情も破壊してやろうと思ってたんだ。寝取られ友情破壊プレイとか結構良さそうじゃない?」
おいおい、邪悪すぎるだろ。
発言にドン引きではあるが、これで俺に接近してきた理由も説明できる。こいつは俺と蒼葉が仲良しだと思っていて、その友情を破壊するために接触してきたわけだ。
「一つだけ、復讐云々の前に訂正する」
「訂正?」
「俺はあいつが好きじゃない。むしろ嫌いな部類だ。友情とかないぞ」
これは本心だ。昔はともかく、裏切り者を好きになるはずがない。
「どうして?」
「どうしてと言われてもな」
事情は話せないのでそれっぽい内容を考える。
「あいつは獅子王会長の孫って噂だろ。おまけにめちゃくちゃイケメンだ。金もあって顔もいい。俺とは正反対の存在だ。見ててムカツクだろ」
「……小さい男」
「うるせえ」
おまえには言われたくない。
「けど、嫌いなら話は早いかな。手を組まない?」
「えっ」
「あぁ、心配しなくても大丈夫だよ。別に変なことはしないから。危害とか加えたら問題でしょ。あいつは獅子王のお坊ちゃまみたいだし、私としてもアイドルは続けたいからね。だから、ちょっと協力してくれればいいの。さっきみたいなのを黙ってるとか、仲良くなるために応援してくれるとかさ」
狐坂は簡単に言うが、とてもそれが本心とは思えない。
さっきから笑顔だけど目が全然笑ってないし。
「これは私の復讐だから。大丈夫、西田君に迷惑はかけないよ」
でも、俺に拒否権はない。
この話を他人にしても信憑性って意味でアイドル様とは比べ物にならない。一般人がアイドルの悪口を流していると呆れられて終わりだ。
「……いいだろう」
「ありがと。西田君って理解力が高くて素敵だね」
脅した直後に笑顔で褒めるとか、アイドルって怖い。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます