堕ちる(BL)
ガシャン!
「……なんだこれは」
足もとにころがる割れて中身が漏れ出たガラスの小瓶を認識した瞬間、思考の海に沈みかけていた意識が、一瞬で浮上した。こめかみに、ズキン! と頭が割れるような痛みがはしる。それはどんどんひどくなり、激しい痛みに耐えられなくなってきた頃、シトラスに似た爽やかな香りが鼻腔を刺激した。その香りを嗅いでいると、まるで酩酊したかのような感覚に陥り、あれだけ痛かった頭痛が、すっかり治っていることに気がついた。
「……私は、一体……」
ぼうっとしていると、隣に座っているセディが心配そうな瞳で見つめながら、エドガーの乱れた前髪をそっとさらった。
「……セディ、私はおかしくなってしまったのだろうか」
頭を抑えながら真剣な表情で問いかけたエドガーだったが、問われたセドリックは瞳をまんまるにして、ぱちくりとまばたきしたのち、「ぷっ」と小さく吹き出した。
愛らしくクスクスと笑っていたセドリックは、「それは、僕のことが好きすぎておかしくなった、という意味ですか?」と妖艶に微笑んだ。
「……そ、う……なのか……?」
「違うのですか? だからこうして会いに来てくださったのでは? それとももう、僕のことはお飽きになられた……?」
「そんなことはない!」
「本当に?」
「ああ。愛しているよ、セディ」
「……よかった、ほんとうに」
セドリックは満足そうに微笑むと、エドガーの広い肩に、その小さな頭をそっとのせた。
「エド。ついに決心してくださって、嬉しいです」
「……決心?」
「はい。今日、会いに来てくださったのは、シルねぇさまとの婚約を破棄するためなんですよね? ……僕のために」
「……婚約、破棄……?」
その言葉を口にした瞬間、何故か車内に掛けてあるドライフラワーに視線を奪われた。これは、なんだったか……そうだ、花の名前は勿忘草。■■■■が好きだった花だ。■■■■が、すみれの香りをつけたと言っていた。シトラスの香りをかき消すように、かぐわしいほのかな香りを……。
「ねぇ、エド。こっちを向いて。今すぐ、キスして」
「……セ、ディ」
「お願い、早く。僕を……愛して」
不安げに揺れる空色の瞳を見ると、胸の奥がぎゅうっと締め付けられた。エドガーは、愛おしい想いが心の底から湧き出すまま、セドリックの小さくて肉厚な唇にキスをした。
「……っん、ふ、はぁ……っ、ン、ちゅうっ、エ、ふぁ、エドぉ……ん、ん、んぅ」
息継ぎする間もろくに与えず、甘く甘美なセドリックの舌を夢中で滑め
「ふ、ちゅ、はぁ、む、エ、エド……!」
さすがに息が苦しくなってきたのか、セドリックはエドガーの胸を押して、少し離れた。すると、とろりとした唾液がお互いの唇を繋ぎ、やがてぷつんと途切れてセドリックの口もとを汚した。
お互いに荒い息を吐き、とろんと溶けた空色の瞳と目があった瞬間、もう一度キスをしようとして止められた。なぜ? と表情で訴えると、「ふふっ」といやらしく笑ったセドリックが、小瓶に入ったピンクの液体を口に含んだ。それはなんだと問うより先に、セドリックと唇が合わさり、舌を伝って流しこまれた甘ったるい液体を、こくりこくりと嚥下した。不安になってセドリックを見ると、唇の端に残った液体を赤い舌がちろりと舐め取った。
「安心して、これは2人が気持ちよくなれるものだから」
「こんなものなくても、十分気持ちがいいのに?」
「ふふっ。……あのね、エド。今日は最後まで……シて」
そう耳もとで囁かれ、自身がピクリと反応した。その僅かな刺激にセドリックは、「ぁん、」といやらしく声を漏らす。
「いい、のか……?」
「……うん。だって僕の為に婚約破棄を申し出てくれるんだもの。僕はいま、愛おしい気持ちが抑えきれないんだ」
そういうとセドリックはエドガーの両肩を持ち、膝立ちのまま背伸びをした。
「ねぇ、エド。もっかい、きす、して?」
そのかわいいおねだりに口を開けることで答えると、セドリックが舌をいっぱいに伸ばして、とろりとろりと、甘い唾液を流し込みながら、舌を絡ませてきた。それをためらうことなく、こくりと飲み込んでみせ、赤く色づいた扇情的な唇に噛みついた。
「ふっ、う、エド……ちゅ、ん。ボクの、ァん、こと……っは、む、ぅん……ぁ、す、すきぃ……?」
小さな口と舌で、エドガーを翻弄しようとして失敗し、逆に翻弄されながら愛を乞うてくるセドリックがどうしようもなく愛おしい。
「ん、愛してる。君だけを、愛してる」
エドガーの言葉に満足したのだろう。セドリックは瞳を弓なりに細め、唾液でてらてらと光る唇をぺろりと舐め取った。
「ねぇ、ここでシてもいいけど、せっかく僕のハジメテをあげるんだから、場所を移さない?」
「……そうだな。続きは我が家でするとしよう」
道中も楽しむために目隠しのカーテンを閉めようとした時、あのドライフラワーが目に映った。エドガーはそれを乱暴に鷲掴むと、窓の外へと投げ捨てた。その瞬間、
『わすれないで』
誰かの声が聞こえた気がしたが、甘い唇と再び口づけを交わせば、そんなささいなことは泡のように消え去っていた。
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