第4章 選択の時

第26話 変わり果てた町

 二〇一八年 四月


 春の訪れが遅い東北地方の小さな町も、桜が満開になる時期を迎えた。

 弘哉は仕事の休暇を利用し、朝早く自宅のある栃木市を出発して、愛車のジムニーを繰ってこの場所へとやってきた。

 震災を機に店じまいした実家の料亭「まる福」を再興させようと決心して以来、資金調達のため奔走していたが、ようやく開業資金の目処がついた。

 今日は久しぶりに現地に行って、どんな店にしようか構想を練ろうと考えていた。


 以前は町のあちこちで見かけた震災で壊れた建物は次々と取り壊されてマンションや駐車場に代わり、周囲の景色は一変してまるで別な町に来たような感覚に襲われた。

 町は福島第一原子力発電所事故の処理を行う関係業者の最前線となり、作業関係者が全国各地から押し寄せて大きな賑わいを見せていた。

 また、原発周辺から避難してきた人たちが高額な賠償金を元手に町内で土地や家を買い求めていた。

 逆に元々この地に住んでいた住民は、震災により家が壊れ、生業を失い、あるいは原子力発電所事故による放射線拡散を忌避して、次々と他所の土地へ引っ越していった。

 わずか数年の間に大きく様変わりしたこの町の片隅に、ぽつんと何もない空き地があった。その場所には、亡き父・満が営んでいた老舗料亭「まる福」があった。

 震災により店が壊れ、ほぼ同時期に満が持病を悪化させて亡くなり、長年この町で根を下ろしてきた「まる福」は後継者がいないまま、店じまいして取り壊されてしまった。その後土地は何の活用もされることなく、ずっと空き地になっていた。

 空き地の前に車を停めると、弘哉は車を降りた。

 四月になり気温が上がっているせいか、空き地の所々には既に草が生え始めていた。

 弘哉は草を見つけると、片手で次々とむしり取っていった。


「はあ……今年もあっという間に生えて来たなぁ」


 弘哉はため息をつきながらその場で佇んでいると、背後から誰かが近づいてきた。


「何やってるんだい? あんた」


 振り向くと、一人の老女が小さなカートを押しながらこっちを見つめていた。


「ひょっとして、晴子さん?」

「あれ、あんた、弘哉君がい?」

「そうだよ。久しぶりに帰ってきたんだ」

「……帰ってきたって、もうこごにあんたの家がないのに?」

「うん」


 すると晴子はカートをその場に停め、皺だらけの顔をしかめて弘哉を睨みつけた。


「あんた、こご、何とかできねぇのが?」

「はあ?」

「だがら、こごの土地、早く何とかできねぇのがって。草だらけで、夏になると蚊とか蜂とかいっぱい集まって来て、こごいらの人間はみーんな迷惑してんだど?」

「あ……」

「信子さんは近ぐに住んでるみてぇだけど、たまーに草を刈りにくるぐれぇで、ほとんどほったらかしなんだど? そのくせ私らが『早く誰かに売っちまえ』って言っても『こごの土地は絶対売らねぇ!』って息巻いてよ。 『駐車場にすれば使う人もいるしあんたにも金が入るんだぞ』って言っても、ぜーんぜん聞いてくれねえんだ。町会長さんもしびれきらして、度々市役所に相談してんだがんな!」

「……」


 弘哉は何も言い返せなかった。ようやく資金の目途は立ったものの、いつここに建物を建てられるかまでは、まだ断言できる状況では無かった。

 晴子はうなだれる弘哉に容赦することなく言葉を浴びせた。


「あとはあんたしかいねえんだ! あんたが何とかしろ! 若いからって逃げるようなまねはすんなよ!」

「分かってます……何とか早く解決できるようにします」

「早く? それはいつ頃がい?」

「……わかりません。でも、早くしたいと思っています」

「わがんね? ふざけんなっ! 私らはいづまで蚊や蜂に刺されるのを我慢しなくちゃいけねえんだ!?」

「……すみません」


 弘哉はひたすら頭を下げるしかなかった。晴子は憤慨しながら、カートを押してその場から去っていった。


「何とか早くしてあげたいけど……」


 弘哉はそう呟くと車に乗り込み、市街地を突っ切って海岸沿いへと走り抜けた。車窓からは、春のやわらかな日差しに照らされて輝く海の上に何艘かの漁船がゆっくりと動いているのが見えた。

 しばらく海岸沿いを走ると、前方には古びたコンクリート造りの魚市場と小さな漁港が見えてきた。

 停まっている車はまばらで、周辺を歩いている人の姿はほとんどなかった。


「こんにちは」


 弘哉は市場の人たちに声を掛けた。

 市場は競りの時間を終え、閑散としていた。震災以降の東北沿岸の漁業の現状はテレビ報道や「うずま屋」に出入りしている業者からの話でそれなりに把握はしていたものの、実際はどうなのか? 弘哉はたまたま場内に残って競りの片づけをしていた業者を見つけ、声を掛けた。


「こんにちは、ちょっと話してもいいですか?」

「どちらさん?」

「以前、市内で『まる福』という店をしていた政井満の息子です」

「あっ! 満さんか~! 俺はここで卸問屋している小野田おのだと言うんだけど、あの方には昔本当に世話になったよ。息子さんがいたって話は聞いてたよ。確かに顔つきが満さんに少し似てるな?」

「アハハハ、ありがとうございます」


 どうやら小野田はかつて満と懇意にしていた業者のようだ。この人ならば、それなりに漁業の現状を話してくれるかもしれない。


「ところで、最近の取引の状況ですけど……地元の魚は出回っているんですか?」

「一応試験操業で獲れた魚も出しているけど、競りに出しても数が少ないし、入札する人も少なくてな……みんな口にはしないけど、まだ放射能のことを気にしてるのかもな。出回ってるのは、ほとんどが房総だの青森の方だの遠くで獲れたやつなんだよな。近海物よりかは安心・安全かもしれないけれど、鮮度は低いから競りをやってもいまいち盛り上がらなくて困っちまうんだよなあ」


 小野田はもどかしそうな様子で、手にしていた帳簿をめくりながら現状を話した。


「わかりました……やっぱり現状は厳しいですね」

「そうだね。漁協も行政も頑張ってくれてるんだろうけど、一度疑心暗鬼になった人達の気持ちを納得させるのは本当に大変だよ。俺らも、仕事していて張り合いを感じないんだ。ほんの数年前までは、この辺りに足の踏み場もない程に魚が置かれて、会話が聞き取れないぐらい盛んに競りが行われていたんだけどな……」


 小野田はそう言うと、深いため息をついた。


「おいおい、セイさん、どうしたんだい? 元気ねえなあ」


 真後ろから、野太い声を上げながら何者かが二人の間に入ろうとしていた。


「なんだ、ゲンさんか。今日も暇なのかい? 暇なら後で掃除でも手伝ってくれよ」

「ああ、何でもやるわい。ただ、ちゃーんとコレは頂くぞ」

「わ、わかってるよ。今度少しだけ上乗せしておくから」


 男は、満と仲の良かった漁師のゲンさんだった。

 ゲンさんは「あ~暇で仕方がねえわ」と言いながら、大きくあくびをした。


「あれ? セイさん、この若いあんちゃんは誰なんだい?」

「政井満さんの息子の弘哉君だよ。こっちに帰って来ていたんだって」

「おお、あん時の! いやあ、随分男前になったなあ。あん時はまだあどけねぇ顔してたのによぉ!」


 ゲンさんは弘哉の肩に手を掛けると、全身を強く揺さぶった。以前会った時よりは白髪が増えたが、日焼けした顔と太い腕は昔と変わらず、その見た目で弘哉は圧倒されそうになった。


「ゲンさん、今日は船をださなかったの?」

「ああ、ほんのちょっとだけ、な。この辺りの海をぐるーっと回って、軽く網で掬って、それで終わったよ」

「まあ、まだ試験操業だから仕方はないけど……張り合いないよな、それでは」

「んだ。こんな遊びみてぇな漁なんか、正直やってらんねえわ。獲った魚も安く叩かれるからほとんど金にもならねえし、母ちゃんにも『こんなんで生活できるか!』って怒られるしよ」

「ごめんよ。試験操業も徐々に拡大するみたいだし、上手く行けば数年で全面解禁になると思うから、もうちょっとの我慢だと思うからさ」

「ならいいけどよ。俺はもうこんなの、耐えらんねえわ。最近は漁よりもパチンコやってた方が楽しいし、金になるんだわ」

「そりゃダメだぞ。前も一度やりすぎて借金したんだろ? あの時は俺も協力して何とか返済したけど、今度また借金をこさえたら、俺はもう助けねえからな」

「へえ、偉そうなこと言いやがってよ。ここでブラブラしてる暇あるなら、上に掛け合って、自由に漁させろって言ってけろ! ここらの海は安全ですよーって、もっと声をでかくして言わねえと、勘違いする奴らが増えるばかりで頭にきちまうがらよ」


 ゲンさんは舌打ちをすると、恨めしそうに独り言を言いながら、港の方へと去っていった。


「ごめんよ、嫌な思いさせて。ゲンさん、今日はゴキゲン斜めみたいだな」


 小野田はそう言うと、かばんから缶コーヒーを取り出し、弘哉に手渡した。


「またいつでもここに来てくれよ。いずれ漁も出来るようになってもっと賑やかになってるはずだから」

「……はい」

「どうしたんだ、元気ねえな。ゲンさんのことは気にすんな。あの人は昔から気分屋だから」

「いつになるかは分かりませんが、僕、『まる福』を復活させようと思っていまして……」

「な、何だって?」


 小野田は弘哉の言葉を聞き、目を丸くして驚いた。


「でも……難しいですよね。こんな状況では。僕、今は違う場所に住んでるので、こっちの状況を甘く考えていたかもしれません。それじゃ、失礼します」

「ごめんよ……せっかくこっちに戻って来てくれるのに、つれない話ばかりで」


 弘哉は缶コーヒーを手に、にこやかな顔で手を振った。

 市場の前に停めていたジムニーに乗り込み、スマートフォンを取り出すと「着信あり」の表示が出ていた。

 そこには、妻のりさ子からのメッセージが届いていた。


「やっほー、そっちはどう? 写真あったら送ってくれるー? 光樹こうき莉奈りなも、パパがどこにいるのってしきりに聞いてくるからさ」


 メッセージには、りさ子とともに手を振る二人の子どもの写真が添付されていた。

 弘哉は苦笑いしながら車の外に出ると、港に立ち、スマートフォンを自分の方に向けた。


「パパは今、海にいるんだよ。ごらん、海ってこんなに青々としてきれいなんだよ」


 弘哉はメッセージを打ち込み、自撮りの写真を添付してりさ子に返信を送った。


「それ以外は何にもない……けどね」


 弘哉はスマートフォンを仕舞い、髪の毛を何度も片手でかき乱すと、車のエンジンをかけ、閑散とした港を一気に駆け抜けていった。

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