特別編 想いを伝えたくて

第24話 僕の決意

 二〇一二年 七月


 弘哉の実家で父・満の一周忌が行われた。

 家族だけが集まってしめやかに行われた法要を終え、弘哉は母親の信子が用意した麦茶を飲みながらくつろいでいた。

「まる福」の店舗を兼ねていたこの家も、近々取り壊すことになっていた。

 昨年中に壊す計画だったが、震災の影響で取り壊しを希望する家が多くて業者の手配が付かず、やっと目途がたったのだ。

 満の死後、一人でここに住み続けていた信子は、市内の高齢者向け住宅へと引っ越すことになった。


「はあ……ここにいられるのも今日が最後なんだな」


 弘哉は感慨深げに部屋の中を見回していた。

 荷物は全て移動済みで、満の仏壇と必要最小限の生活用品しか置いていなかった。

 思い返せば叱られたことばかりだが、それでも幼い頃からの思い出が詰まった場所がなくなってしまうことに、寂しさを感じずにいられなかった。


「おう、弘哉。お疲れさん」


 篤がハンカチで額を拭いながら部屋の中に戻ってきた。


「どうした? 浮かない顔して」

「だって、ここ、取り壊されるんですよね?」

「しょうがねえだろ。大規模半壊の認定を受けちまったんだ。またデカい地震が来たらひとたまりもねえよ。そうだろ、信子さん」

「そうだね……たまーに大きい地震が来ると、天井が落ちてきそうな感じがして身構えちゃうし眠れないんだよね」

「だろ? だから俺、信子さんのことが心配で、去年からずっと新しい住処を探してあげたんだ」


 篤は咳ばらいをして、俺が世話してやったと言わんばかりに自慢げに語っていた。


「ところで、弘哉……征之介さんから聞いたんだけど、あんた、征之介さんの娘さんと付き合ってるんだって?」


 信子は麦茶を飲みながら、上目遣いで弘哉に問いかけた。


「ああ、そう言えば去年の葬式の時、好きな人がいるって聞いたけど、その人のことか?」


 篤も興味津々に尋ねてきた。


「そうだけど」

「すごいな。お前の彼女って、弘哉を雇ってくれた人の娘さんだったのか。それは失礼なことはできないな。アハハハハ」

「そうなんだよ。征之介さんの顔に泥を塗るような真似はするなって、私からも言ってるんだよね。私までとばっちり食らっちゃうからさ」


 篤は信子と顔を合わせ、二人で笑い合っていた。

 すると弘哉は、座したまま神妙な面持ちで口を開いた。


「実はちょっと、その件で悩んでいることがあって」

「へえ、どうしたんだ? 相手のお父さんが認めてないのか?」

「いや、認めてはくれたんです。でも……」


 弘哉はそこから先の言葉がなかなか出てこなかった。

 りさ子との交際については既に征之介の許しを得ており、あとは正式に結婚し籍を入れるだけであった。しかし弘哉は奥手な性格もあってか、りさ子に結婚の意思を伝えられず、このままでいいのだろうかと、どこかもやもやした思いを抱え続けていた。


「どうした弘哉? さっきから黙ってるけど……」


 篤は、なかなか言葉を出せずもどかしそうにしている弘哉を、怪訝そうな表情で見つめていた。

 弘哉は視線に気づき、驚いて篤の顔を見据えた。その時弘哉は、忘れかけていた過去のことを思い出した。それは「うずま屋」に入店したばかりの頃、少ない給料を握りしめて訪れた篤の店で、「パートナー」である温香との馴れ初めの話を聞いたことだった。

 ひょっとしたら、篤は今の自分に何か有益なアドバイスをしてくれるのでは——弘哉は一縷の望みを賭けて、篤に話しかけた。


「おじさん、ちょっとだけ話があるんですけど、良いですか?」

「俺?」


 篤は自分の顔を指さして驚いたが、弘哉は頷くと、篤の耳元に手を当てた。


「ちょっとだけ、お知恵を借りたいんです。僕、自分から告白したくても、なかなかタイミングが計れないし、どうやって伝えたらいいのかわからなくて……」


 篤は顔をしかめて舌打ちをしたが、立ち上がって弘哉を手招きした。


「信子さん、悪いんだけど、男同士の話がしたいんだ。ちょっと席を外すわ」

「はいはい、どうぞ。どんな話か気になるけど、私は入らない方がよさそうだね」


 信子は笑いながら空になったコップを片付け始めた。

 弘哉は篤に肩を抱えられながら階段を上がり、二階にあるかつて弘哉が使っていた部屋に入った。部屋の中には何も無く、換気のため窓だけが全開になっていた。


「ここならば、話せるか?」

「まあ……多分」


 信子は食器を片付けており、二階に上がってくる様子はなかった。

 篤はドアを閉め切ると、弘哉と向かい合うように畳の上にしゃがみこんだ。


「実は僕、付き合っている彼女との結婚を考えているんです」

「ふーん、結婚?」


 篤は背中を丸め、頬杖を付きながら弘哉の話を傾聴していた。


「はい。社長は、将来僕が彼女と一緒にここに帰って来て店を再建することに最初難色を示していたんですけど、最終的にはそのことも含めて付き合うことを受け入れてくれたんです。あとは、僕の方からいつ正式にプロポーズするか、だけなんです」

「へえ、じゃあ、話が早いじゃん!」

「でも……どういう風にプロポーズすればいいのかなって。何度考えてもいい方法が思いつかなくて、おじさんに聞こうと思ったんです」


 すると篤は、口を押えながら噴き出した。


「バカか。そんな悩むことでもないのに」

「で、でも……」

「俺は酒を飲んだ勢いで『こんな俺だけど、よろしく』って感じでさ。下手な小芝居打つような真似はしなかったなあ」

「おじさんと僕は、それぞれ性格や積み重ねてきたことが違うから」

「あーもう、そんな深刻に考えても仕方がないだろ?」


 篤はうつむきながら悩む弘哉を見て、じれったそうに声を上げて捲し立てた。


「まったく、お前はもうちょっと男らしくなれよ。あれだけ兄貴にしごかれて、精神的には鍛えられたと思ってたんだけどさ」

「いえ、それがなかなか上手く行かなくて……気持ちを伝えられた所まではよかったんですけど」

「ん? じゃあお前、彼女との間にはまだ何も無いのか?」

「何も無いって……」

「鈍感だなあ、おい。何といえばいいのかなあ……心だけじゃなく、身体からだもちゃんと結ばれてないのかなって」


 篤は目を動かしながら、挑発的に問いかけた。


「いえ、それはちゃんと結ばれました」

「な、何だと?」


 篤は仰天し、のけ反ったまま後ろに倒れ込んだ。


「今年の冬、すごく寒かった日に彼女が僕の部屋に遊びに来まして。その時彼女は、寒いから風呂に入って帰るって言ってたんですけど、風呂から上がったら、帰るどころか、僕のことを誘ってきまして……」

「お? 何だよ、彼女の方が積極的じゃねえか。で、そこで結ばれたってわけか?」

「はい。訳が分からないまま、彼女に導かれるように……」


 弘哉はそこまで話すと、両手を組みながらちょっと言葉を濁していた。


「彼女は僕の身体を受け入れてくれて、僕も彼女の身体の温かさを感じて……彼女ことを、今まで以上に愛おしく感じたんです。彼女も、僕と一緒になれたことをすごく喜んでいました。その時僕は、そんな彼女を幸せにしたい。これからも一緒に生きていきたいって強く思うようになったんです」

「そうか……」


 篤は膝を抱えながら、感慨深そうな様子で弘哉の言葉に聞き入っていた。


「でも……そこから先、どうしたらいいか分からなくて、俺に相談したってことか」

「恥ずかしいですけど……そうですね」

「じゃあ、うちの店で全面協力しようか?」

「店で?」

「何のことはない。彼女を連れて、俺の店に来ればいい。そこで色々仕込んで、ある程度は整えてやるから、あとはお前が自分の口で自分の意思を伝えるんだぞ」


 篤は、自分の店に来るよう勧めてくれた。そして、弘哉の想いを叶えるために色々と作戦まで練ってくれた。


「ありがとうございました」


 弘哉は深々と頭を下げた。


「俺たちはあくまで御膳立てするだけだからな。あとはお前次第だ。そしてそれに対して、彼女がどう判断を下すかだ」


 篤は立ち上がると、弘哉の肩に手を置き、そっと立ち上がらせた。


「じゃあ、一階に戻るか。信子さんを寂しがらせてもまずいしな」

「はい」


 二人が部屋を出ると、階段の下にちょうど信子の姿があった。


「悪かったね、信子さん。話は終わったから、また一緒にお茶でも飲みながら色々話でもしようか」

「あら、終わりなの? 弘哉へのアドバイスだったんでしょ? なぜ結婚しないのかとか、どうやってプロポーズするのかとかって……違う?」


 二人は図星を付かれ、しばらく階段の上で硬直したが、篤は気まずそうな顔で「違うよ」と言いながらいそいそと居間へと戻っていった。


「ありゃ、違うの? そりゃ残念だね。せっかく仏壇にいるお父さんに良い報告が出来ると思ったのに」


 信子は舌打ちしながら、厨房で麦茶をコップに入れていた。

 もし満が生きていたら、今回の話をどう思っただろう?

「征之介さんに心配を掛けるな」と、生前から何度も言っていたけど……。



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