6 「じゃあ、私のことは凰ちゃんと呼んでくれるかな?」
翌日の朝8時。
僕が教室に入ると、すでに名浜さんは席に座っていて、一人で本を読んでいた。
その姿を見ただけで、僕は胸のドキドキが止まらなかった。
よし、言うぞ、言うぞ。「おはよう」って、いつも何気なく言っていたんだ。今日も言える。僕は歩きながら深呼吸をして、名浜さんの席の前で言った。
「お、おはよう、名浜さん」
言えた! しかもごく自然だった気がする!
名浜さんが呼んでいた本をパタリとしまい、僕の方を向く。そして、
「おはよう、結城恒河沙。やけに今日は元気がいいじゃないか。何かいいことでもあったのかい?」
にっこりと笑いかけてくれた。僕は昨日も見たその笑顔に、またしても心を射抜かれた。
「ま、まあね」
いいことっていうのが、昨日、名浜さんと理科室に向かう途中でたくさん話ができたこと――なんて言えるはずもなく。僕は返事を濁しておいた。
「もしよかったら、どんないいことがあったのか教えてくれないか? 私は魔王として、人間がどういうときに喜びを感じるのか、とても興味があるんだ」
「えっ?」
今日も朝から魔王キャラを貫き通す名浜さんはさすがだな、と思った。けど、とてもじゃないけど「いいこと」を教えるわけにはいかない。恥ずかしすぎる。
「昨日一緒に理科室で怒られた仲じゃないか。な、結城恒河沙。教えておくれよ」
意外なことに、名浜さんは僕の「いいこと」が知りたいようで、グイグイくる。それはそれで話が続くことになるから、ちょっと嬉しいんだけど、昨日から引っかかることが一つあった。
僕はランドセルを机の上に置き、中に入っていた教科書などを引き出しに入れながら言った。
「あ、あのさ」
「ん、どうした、結城恒河沙?」
「それ!」
「?」
名浜さんはきょとんとしている。ああ、その顔も可愛いんだけどさ!
「僕の名前、どうしてフルネームで呼ぶの?」
「フルネーム? 結城恒河沙のことを結城恒河沙と呼んで何が悪いんだい?」
「ふ、普通はさ! 結城とか、結城君とか……そんな感じで呼ぶもんじゃないの? タッくんは僕のことをゴウくんとか呼んでくれるし。結城恒河沙って呼ばれるの、なんか変な感じというか……」
「ほお、そういうものなのか。確かに、人間たちは名前を全て呼ばずに、下の名前だけで呼んでいることも多いな」
名浜さんはそう言ってうなずいた。
「では、恒河沙くんでいいかな?」
ご、ごうがしゃくん。そんなふうに呼ばれるのは初めてかもしれない。
「恒河沙はいいにくいんじゃない? タッくんが言っているように、ゴウくんでもいいんだけど……」
つい僕が呼ばれ慣れている名前を言うと、名浜さんがまた笑った。
「じゃあ、私のことは
えっ! お……おう……ちゃん?
僕は一気に顔が赤くなっていくのがわかった。女の子を名前でなんて呼んだことないよ……?
「じゃあ、改めておはよう、ゴウくん」
「あ……おはよう」
「あれ? 私はゴウくんと呼んだけどな? ゴウくんは私の名前は呼んでくれないのかな?」
「お……おはよう……お……」
「お?」
「おう……ちゃん」
「はっはっは、たかが名前を呼ぶだけでどうしてそんなに緊張する必要がある? 緊張しないよう、何度も練習してみるかい?」
「いや……やめておくよ」
名浜さんを凰ちゃんと呼ぶだけで、こんなにドキドキしてしまうなんて。
もう、これ以上は心臓に悪い。
あまりの恥ずかしさに、僕は名浜さんの顔を見ることができなかった。下を向いて名前を呼んだら、引き出しに中途半端に入っていた教科書がどさどさっと床にこぼれ落ちた。
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