6話
「えっと……、何か、お手伝い出来る事がありますか?」
ポットはもう十分過ぎるほど増えているので、史岐は新たな仕事を探す事にした。
「じゃあ、ポットに挿すプレートを作ってもらおうかな。そこにサインペンがある」匠がブルーシートの隅を指さす。「どの歯が埋まっているか、見てすぐにわかるようにしたいんだ。出来る?」
「ああ、それなら大丈夫です」
史岐はサプリメントケースの下に挟んであった複写紙を取り出して広げた。悠長に書き込んでいる余裕がなかったので「犬」や「臼」など、歯の種類を特定する為に必要な最低限の文字が書いてあるだけだが、スマートフォンで調べれば情報の不足は補えるだろう。
右の手前にある第三大臼歯から順番にプレートを作っていると、途中で強い視線を背後に感じた。
振り向くと、匠が口を半開きにしてこちらを見ている。
「何? それ……」
「妹さんが、数えるのに便利だからと」
「あそう……」匠は明らかに事態を飲み込めていないぼんやりとした様子で、一度は作業に戻ろうとしたが、すぐに、我に返ったように険しい表情で史岐を見た。
「使いづらいな」
「そう思います」考える前に言葉が口をついて出た。
「あとでネットで何か、適当な画像を探して印刷してくるよ」
「助かります」史岐は、利玖の口腔内検査の結果を記録した青の顕色剤から努めて目を逸らしながらため息をついた。「本当に……」
プレートが半分ほど揃った所で真波と利玖が戻ってきた。
真波はポットと茶櫃を、利玖は大きさの割に軽そうな段ボール箱を抱えている。彼女はさっきと服装が変わっていて、薄手の黒いシャツに、褪せた赤色の上着を羽織っていた。色だけでいえば薩摩芋に近い。
古びているし、多少子どもっぽいデザインだが、可愛らしい刺繍があって、明らかに学校指定のジャージではない。昔、この家で着ていたものか、と史岐は思いを馳せた。
「各自で休憩を取ってね」ポットと茶櫃を畳に置いて真波が説明した。「スティックタイプのインスタントしかないけど、カフェラテとかココアとか緑茶とか、色々集めてきたから。ジュースが良ければ、段ボール箱にペットボトルがあるわ。好きに取っていって」
「小腹が空いたらおやつもどうぞ」利玖が段ボール箱の蓋を開けて、古今東西和洋様々な菓子類が取り揃えられているのを示す。
真波は、ポットの電源コードを伸ばして部屋の隅のコンセントに接続すると、史岐と匠の作業場にやって来た。
今は二人とも窓際に場所を移して、プレートが出来たポットから順に種を埋める作業を始めている。
「これね」真波は窓際まで進み、サプリメントケースの横で膝を折った。「ふうん、どれどれ……」
真波はサプリメントケースに手を伸ばし、切歯の形をした小さな種を取り出した。顔に近づけ、様々な角度から眺める。
「堅いね」そう呟くと、真波は種を手のひらにのせ、指先で転がして感触を確かめた。「それに、すごく軽い。こんなに丈夫な殻があるのに。果肉が薄いのかしら。ツバキとか、チャノキの仲間かな? 最初にたくさん水を与えてやる必要がありそうね」
次に、真波は種をのせた手のひらを耳に近づけて目をつむった。そうしながら爪の先で優しく殻を打って音を聞く。
「……殻の厚さは均一じゃないわね。こんなに妙な形をしているのだから、当然かもしれないけれど」
「
「アサガオ」真波が手のひらを耳につけたまま振り返って微笑む。「それくらいなら、書庫まで下りていかずとも母屋に本があるわ」
佐倉川家の『書庫』は地上にあるものではない。
付近のいくつかの川に注ぐ水の流れを辿ると、澄んだ地下水がこんこんと湧く巨大な鍾乳洞に行き着く。その鍾乳洞は、佐倉川家の私有地の中にあり、おそらく彼らにとって何よりも大切な宝である。
彼らの祖先は鍾乳洞の内部に手を加え、人が安全に往来出来るようにした。それだけではなく、岩壁を掘り、部屋を作って、そこに膨大な数の本を収めた。──ヒトの歴史や技術、言い伝えを記した本だけではなく、普通のヒトには感じる事すら出来ない世界や、そこに生きるモノ達について記した本を。
書庫の存在を知るのは、物の怪や妖といった異形のモノに関わって生きるごく一部の人間のみだ。
そして、彼らに対しても、基本的には公開されていない。佐倉川家の人間の許しがあって初めて、中に入る事が出来る。史岐は、利玖との縁があって、去年の秋に内部を見る機会に恵まれた。
さらにその数か月後には、地下水流から書庫を通って母屋に入り込んだ「つごもりさん」という妖をめぐる騒動に巻き込まれ、微力ながら、彼らへの対処に力を貸した。
利玖との出会い方が非道いものであったにもかかわらず、今、こんな風に温かく迎え入れてもらえるのは、その時の功績あってのものだと彼は考えている。
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