第29話

 別府が死に、入院していた病院が襲撃され、看護師と、数年前から行方不明になっていた女が殺害された。藤崎も毒を盛られたが回復した後、行方がわからなくなっている。犯人もまだ捕まっていない。

 それぞれの管轄は慌ただしくなっていたが、茉莉は別の詐欺事件の捜査があるので関わることはできない。鷹岡の姿もない。別府の遺体は葬儀屋が預かっているそうだが、後継者の巽が襲撃されたのもあり、葬儀は未定となっている。


 しかし、茉莉は翌日、休日で天神の百貨店に来ていた。担当していた事件の主犯グループが検挙され、一段落ついたのだ。だから、“自分へのご褒美”という名目で、佐々木や嘱託職員の年下の女の子たちを見習い、女子力向上のため、ハイブランドのメイクコーナーへやってきた。

 まずは伝説的なファッションの女帝、元祖赤リップの老舗のメイクアップカウンターで勝負メイクに使うリップスティックを選ぶ。が、ここの赤は茉莉には似合わなかった。塗ってもらって鏡を見た瞬間、コレは無いと思った。似合わなさ過ぎてショックを受けた。

 たぶん、上瀧なら見なかったフリをしてそのままどこかに行ってしまうだろう。それでは困るのだ。茉莉が女子力を上げる目的は、上瀧を誘惑するためだ。

 自分のためなら生ビールを買うか、焼き鳥屋へ直行している。手間のかかる化粧をしたり、見栄えのいい下着を買おうなんて思わない。

 しかし、出鼻をくじかれ、自分には化粧が似合わないのかもしれないと少し落ち込んだが、しばらく色んなブランドを見て周り、聞き馴染みのある国内大手のブランドに寄った。

「こんにちは。なにかお探しですか?」

「えっと、口紅を……」

 なんといったらいいのかわからず、少し焦ったが、店員はにこやかに頷いた。

「かしこまりました。こちらへどうぞ」

 と、カウンターのスツールに案内される。全体のメイクを軽く直してもらい、好みの色を聞かれて、よく分からず答えられずにいると、店員が肌色で似合う色がわかる機械の診断を勧めてきたので、それをやってベースからポイントまでのメイク道具を一式購入した。全部で四万円程かかったが、やってもらったフルメイクが気に入ったので、久しぶりに練習しようと思った。いつもと違う自分に俄然テンションが上がった。上がったついでに勝負下着とデートを想定したカシュクールワンピースとローヒールのストラップシューズも購入した。勝負下着は自分史上最多レースのサックスブルーのフロントホックにバックが総レースのものを選んだ。全てを身につけ、着ていたものを袋に包んでもらい、道すがらゴミ箱に捨てた。着飾るのは高校生以来かもしれない。自分のために散財する快感を覚えた。

 気分が高揚していてもどかしいのでタクシーに乗り、上瀧の事務所の近くで降ろしてもらった。


****


「上瀧さん、また来とーとですけど……」

 事務所に着くなり丸山が部屋の奥を目で指しながら困惑気味に言った。

「マル暴の奴か」

「いや、あの女ッス」

 上瀧は頷いて丸山の肩を叩き、ちょっと外に行けと万札を握らせ、他にいた二人も集金と偵察にやらせた。

 奥の部屋のソファに座り、上瀧が入ると振り向いた女は、前回よりずっと身綺麗で小洒落ていて少し色めいていた。

「久しぶりやん。どうしたとや」

 上瀧が目の前のソファに腰を下ろすと、茉莉はニカッと笑った。

「上瀧さんに会いに来たに決まっとろ」

「なんで? 転職か?」

「転職?」

「夜の仕事」

「それやったら求人誌読むし。私が転職したら上瀧さん養ってやれんやん」

「いらん世話たい」

「そぉ? 上瀧さん、専業主夫に転職どお?」

「米研いだこともねぇとにや?」

「覚えていけばいいやん」

「あと二十年早けりゃな。で? そげん洒落コケて何しに来たとや」

 煙草に火をつけてふんだんにふかし、煙を吐く。

「こないだの続きしよ」

「こないだの続き?」

「えー。言わすん?」

 上瀧はソファにもたれかかり、茉莉を眺めながら、紫煙をゆったりと吐く。ゆらゆらと揺れる煙から覗く粘膜の艶やかな色がいやらしいと茉莉は思う。薄い唇に、喫煙者のくせに白い歯して、鋭い眼光と目のそばの傷と不釣り合いな清潔感がずるい。

 茉莉は自ら横抱きされるような形に、上瀧の上に腰を下ろすと、カシュクールの胸元を指で引っかけて見せる。

「新しい下着。今度はちゃんと可愛いの着けてきたっちゃん。見たい?」

「ほう、そりゃ見てやらんとな」

「見るだけ?」

「見とっちゃあけん、脱いでみせろ」

「いやーん! えっちぃー!」

「アホか。お前が言ったっちゃろーが」

「もっとでれでれしてよ。なんでそんな表情乏しいと?」

「お前んとこの怖いオッサンの顔がチラついてしもうて無理やね」

「えっ誰? みうさん? 伊川さん? 連絡あったん? マジ? なんて?」

「本気で言いよーとや、それ」

 上瀧は茉莉の胸元を乱雑に暴き、フロントホックを外す。寄せて締めつけられていた乳房が弾けるように現れた。

「盗聴器とかないよ。私、今日休みやし、別府組の捜査に一つも関わってないもん」

「俺にそれ信じろって言うとや」

「嘘ついてないし、なんも持っとらんもん」

 上瀧は茉莉を退かして立ち上がると、向かいに置いていた彼女のバッグの中身をソファの上にぶちまけた。財布と小銭入れとスマホとくしゃくしゃにされた百貨店のレシートと護身用の金属棒が出てきた。

「ほらね」

 上瀧の背中にのしかかり、耳輪を甘噛みする。

「次は下半身も調べてみる?」

 舌先で耳の軟骨をなぞると額の辺りを手で押し返された。

「お前、こんな時に本気でやりに来たとや」

「なんか騒がしいみたいやけど、私に関係ないもん。上瀧さん、私んち来る? 灯台もと暗しで案外見つからんで済むかもよ」

 といって、茉莉は上瀧の下唇を食むように噛んだ。

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