第12話 大きな扇子の向こう
同日、午後一時。
王城近くの王立大庭園の一角、バラ園ではガーデンパーティが開かれていた。全体的に明るく開かれ、そしてのどかな趣向が凝らされたガーデンパーティは、貴族令嬢の間では参加すること自体がちょっとした流行となっている。
毎日のように開催されているガーデンパーティ、であればそこには——スカヴィーノ侯爵家令嬢アナトリアがいるだろう。そう見越してやってきたペネロペは、会場のバラ園であっさりと目当てのアナトリアを見つけた。
「ごきげんよう、アナトリア様」
もっとも奥まった角のガラステーブルで取り巻きの令嬢たちとともに紅茶を嗜む、鮮やかなハニーブロンドの淑女アナトリアは、ペネロペの声と姿を捉えるなり、必要以上に明るく振る舞った。
「あら、ペネロペ! ごきげんよう、ヴィンチェンツォは元気かしら?」
殊更大きくヴィンチェンツォの名前を呼ぶのは、周囲に親しいのだと印象付けるための抜け目ない策だ。通常であれば貴族令嬢が公の場で敬称もつけず男性の名前を呼ぶことははしたない、とされるが——親しいのだから当然、そのスタンスをアナトリアはまったく変えない。
ペネロペは顔色一つ変えず、にっこりと応対する。
「ええ、とても。大丈夫ですわ、エンツォお兄様は自分にはお厳しいですから、しっかり体を鍛えておりますの」
「それはよかった。さすがヴィンチェンツォですわ、立派な心がけね。でも」
でも。
アナトリアは憂い顔を見せて、しおらしくこんなことを言う。
「ねえペネロペ、何度お誘いしてもヴィンチェンツォったら我が家に足を運んでくれないのよ。何が悪いのかしらね? こんなに心を尽くして、好物ばかり揃えてもいらしてくれないなんて、私、悲しいわ」
アナトリアの落ち込む様子に、取り巻きの令嬢たちが口を揃える。
「おいたわしや、アナトリア様」
「こんなに尽くしてもあの方はまだ振り向いてくださらないのね」
「険しい恋路ですけれど、諦めきれませんわよね」
などとアナトリアを慰めはじめる。
その意図はアナトリアたちの結束を強めるだけではなく、周囲で耳をそばだてている人々へ聞こえよがしに言うことで、噂を作り出すことにあった。
心の中でペネロペは嘆息しつつも、さっさと行動を開始する。
ペネロペはアナトリアのドレスの袖を少し引っ張り、上目遣いに訴える。
「ねえ、アナトリア様。一つお願いがあるのですけれど、いいかしら?」
「あら……あらあら」
アナトリアは取り巻きの令嬢たちに目配せをして、この場から離れさせる。
ペネロペとアナトリア、二人きりになってようやく、ヴィンチェンツォに近づくチャンスを逃すまいと上機嫌を隠せていないアナトリアは、声を抑えてこう尋ねた。
「何? あなたが私に頼みごとなんて、初めてではないかしら?」
「実は」
ペネロペはほぼ無視して、用意していたセリフをたおやかに語る。
「お兄様が、タドリーニ侯爵家嫡男のベネデットという男性を褒めていたのですけれど」
すると、アナトリアはあからさまに驚く。
「あのヴィンチェンツォが他人を褒めるなんて、何かの間違いではないの?」
「私も信じられなくて……アナトリア様なら何かご存じかしらと思って」
ペネロペが、困りましたわ、私では興味があってもどうすればいいか……などと付け足しておくと、あっさりとアナトリアは罠にかかった。
「分かりましたわ、それとなく調べておきましょう。あなたに頼られるなんて貴重な体験ですものね」
ペネロペはすかさずアナトリアを褒めそやしながら、本題へ移行する。
「ふふっ、さすが頼りになりますわ。ああそれと、アナトリア様にお目にかかりたいという知人がいますの。明日、お時間はおありかしら?」
「明日? 急な話ね、でもよくってよ。未来の義妹の頼みですもの!」
誰が未来の義妹よ! と叫びたくなる心を我慢して、ペネロペはアナトリアへ愛想笑いを見せる。
これでいいのだ。明日の予定を確認し、ペネロペは適当なところで話を切り上げ、次の目的地へ向かう。
一時間後、王城の廊下を歩いていたタドリーニ侯爵家嫡男ベネデットの前に、一人の貴族令嬢が現れた。
大きな扇子で顔を隠し、物陰からそっと手紙を差し出している。ベネデットは周囲を見回し、自分以外の誰かがいないことを確認してから、顔の見えない貴族令嬢へ近づく。
大きな扇子の向こうから、儚げな声が聞こえてくる。
「ベネデット様、こちらをお受け取りになって」
間違いなく自分への誘いだ、と状況を飲み込んだベネデットは、疑問と警戒心はありつつも、どうしてもその誘いに乗らずにはいられない。なぜなら、ベネデットは貴族の一員で、貴族令嬢のお誘いを断るような無粋な男であってはならない、と躾けられているからだ。普段は冷静なベネデットでも、誰も見ていない場所、見知らぬ顔を隠した令嬢の頼みとあっては、無碍にはできない。
ベネデットは手紙を受け取り、なんの変哲もない封書の裏表を眺めて、こう尋ねた。
「君は?」
「私はただの使いですの、さるお方からベネデット様にお手紙を渡してほしいと頼まれて」
なるほど、とベネデットは内心まんざらでもなく、気分がよかった。
なにせ、ベネデットは婚約破棄したばかりで、すみやかに次の婚約相手を探さなくてはならない。その間、なぜか婚約者がいない男、として好奇と侮りの視線に晒される。そんな屈辱的な期間は短いほうがいい、だから言い寄ってくる女性がいればまずはどんな女性か、と興味を持っておきたい。
「君、これは」
ベネデットが手紙の主について、顔を隠した貴族令嬢に尋ねようとしたとき——すでに彼女は姿を消していた。王城の廊下の陰に隠れたのか、あるいは秘密の通路を通って、どこかの部屋に逃げ去って。
何にしても、普通とは違って俄然興味が湧く。手紙の主、女性の誘い。ベネデットは自分の胸が高鳴っていることを自覚する。
そこへ、ベネデットの友人が顔を見せた。ベネデットは咄嗟に、手紙を後ろ手に隠す。
「どうした? ベネデット」
「い、いや、なんでもない」
「ふぅん。まあいい、タドリーニ侯爵に頼まれた仕事はあと何が残っている?」
ベネデットは王城に来た名目から、少しばかり目を逸らした。
この手紙があるのだから、特に大した用事もなく王城で暇な貴族令嬢を見つけて品定めして、あるいは知り合ってみて、と面倒臭い婚約者探しは一旦中止したい。
「ああ、そうだな……忘れ物をした、取りに行ってくるから待っていてくれ」
そう言って、ベネデットは近くの休憩室へと引き返す。
手紙を読みたい。どんなことが書いてあるのか。
ベネデットは手紙への期待を膨らませていた。
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