騎士団長の息子、グラッドの放逐
騎士団長のゲルハルトは、元辺境伯家の傍流の家柄である。
平民の身分だったが、騎士としての強さを見込まれて、辺境伯の養子に入ってから伯爵家へと婿入りしたのだ。
王都の守備を任されて騎士としての強さを以って騎士団長へと昇進した男で、実力主義の騎士団の中でも信頼が篤い。
だが、息子の一人は、その騎士道精神を勘違いするような男だった。
「お前が守るべきは、その男爵令嬢とやらではない。婚約者のミラディ嬢だ」
何度も父や兄に忠告は受けていたけれど、グラッドは聞き流していた。
オレリア伯爵家はゲルハルトが婿入りしたレーヴェン家とも繋がりが深い家で、領地も近いし王都の邸宅も隣同士なのである。
しかも、一人娘。
次期伯爵を継ぐか、夫に継がせるか。
どちらにせよ親しい家柄が良いと、嫡男でなく歳も近かったグラッドが選ばれた。
ミラディとは幼い頃から一緒に育ってきて、夕焼けの様に赤い髪に、紅玉の瞳の美しい少女だが、グラッドにとっては親友のような姉妹のような、そんな近しい存在だった。
見た目は美しいが活発な少女で、あどけなく笑い、馬にも乗れば剣も振り回すような彼女は、しかしグラッドにとって、女性という枠ではない。
家族として考えるのならば、別に婚姻してもいいと思っていたが、恋愛めいた気持ちは一欠けらも無かった。
そして学園で出会ったアリス・ピロウは華奢でふわふわとした女性だった。
少し頼りない所も、甘えてくるところも、大袈裟にグラッドの剣を褒める所も、何もかもが新鮮で愛おしかったのだ。
アリスのようなか弱い美少女に頼られて、グラッドは舞い上がってしまった。
更に彼女の交友関係は、王太子まで含んでいて、王太子からも卒業したら近衛騎士にも誘われていたので、余計にのめり込んでいた。
自分に幸運を呼び込む女性であり、可愛らしく甘えん坊で、少し足りない所も可愛いと思える女性で。
でも、同じ女性には評判は悪い、とアリスが涙ながらに言えば、嫌がらせから守るべく常に誰か「友人」が側にいるようになった。
でもそれは、「友人」の婚約者の不興を買う事になり、度々叱責されるようになる。
特に酷いのはイライザ・エリンギル伯爵令嬢で、人目も憚らずにマーティンを呼びつけると、節度を守るようにと何度も高圧的に警告していた。
他人事のようにそれを眺めていたが、ミラディ本人から言われる事はなくても、父や兄達に苦言を呈されるようになり、うっとおしく思っていた頃、ミラディが中庭に現れたのだ。
文句を言いに来たのか?と警戒したが、彼女は鮮やかな髪を靡かせて、首を傾げた。
「グラッド様は、アリス・ピロウ様を愛していらっしゃるの?」
「……ああ。でも今は友人だ」
愛とまではいかないが、少なくともミラディに関していえば、家族愛で恋愛ではない。
恋愛かという問いかけだと思って、グラッドは頷いた。
しかし、そこには王太子も居る。
将来は側妃になるかもしれないから、その時は近衛騎士として守る心算だったし、恋人ではないから友人と付け足した。
だが、ミラディはふうん、と素っ気無く返す。
「友人?にしては距離が近いと思いますけど、まあいいですわ。王太子殿下がピロウ男爵令嬢をどうする気か分かりませんけれど、貴方はピロウ男爵令嬢から離れるつもりはない、という事でよろしい?」
確認するように聞かれて、グラッドはああ、と頷いた。
「分かりましたわ。お気持ちを聞けて良かったです。では、末永くお幸せに」
にっこりと微笑んだその姿は、幼い頃より大人びていて、それでいて美しかった。
それから先ミラディは、一切グラッドと言葉を交わす事はなかったのである。
夜会の誘いも、その他の交流も、全て途絶えてしまった。
いつも一緒に食事を摂っている中庭に向かおうと、廊下を移動している時、久しぶりにミラディを見かけた。
令息達に囲まれているミラディは、咲き誇る薔薇の様に美しく、目を奪われる。
だが、同時にモヤモヤと心の中に何とも言えない感情が渦巻いた。
「ミラディ」
思わずグラッドは声をかけていた。
呼ばれたミラディは、大輪の薔薇のように綻ばせていた顔を、スッと淑女の冷たい笑顔へと変貌させる。
「何か御用でもございまして?」
棘というほどではないが、冷たく返されて、思わず何も考えられずにグラッドは口にした。
「その男共は何だ」
「何って?友人ですけれど?」
友人、にしては距離が近いんじゃないか、と言いかけて、前に中庭で会話した事を思い出し、グラッドは歯噛みした。
そして、低い声で言い募る。
「仮にも婚約者がいるのだから、その様な真似は控えるべきだ」
「あら?友人とお話しているだけで、咎められる謂れはないのですけれど。アリス・ピロウ男爵令嬢はいつも、周囲にそう仰っていますでしょう」
一瞬、怯んだ様に口を噤むが、グラッドは更に言った。
「アリス嬢には、婚約者はいない」
「でも周りの殿方には全て、婚約者がおりましてよ。その方達の目にどう映っているか、お考えになったことはありまして?いえ、いいですわ。あったら出来ませんもの」
「ぐ……」
拳を握り締めたグラッドに、笑顔でミラディは続けた。
「それに、わたくしの婚約者は他の方に愛を捧げておりますの。だから、わたくしも他に愛すべき方を探しておりますのよ?ですからご心配には及びませんわ。では失礼致しますわね」
ぽかんと口をあけたグラッドは、ミラディとミラディを笑顔で囲む令息達を見送った。
俺がアリスに愛を捧げているから?
ミラディは他に愛を捧げる?
俺ではなく?
だとしたら、そこに結婚の意味はあるのだろうか、とグラッドは考える。
今まではミラディとの結婚は決まったものだと思っていた。
もしアリスが手に入るなら、解消しようとも思っていたのだが、望みは薄い。
だから、ミラディと結婚して、家庭を持って。
アリスと王太子に剣を捧げるのも良いと思っていたのだった。
愛するアリスと結ばれないならば、美しい薔薇のようなミラディでも良いと。
そして中庭での一件。
虐めの首謀者だとばかりにレンダーが罵っていた婚約者のオリゼーは、アリスと王太子を祝福する言葉を伝えて、まるで最初から王太子とは何の関係もなかったとでもいうように、振り返らずにその場を後にした。
そこで、アリスは正妃になる可能性も出てきたのだ。
グラッドがもっと世間を知っていれば、それは難しいと分かるのだが、グラッドにとってアリスと結ばれる可能性が断たれた瞬間である。
やはり、ミラディと結婚するしかない。
でも結婚するならば、他に愛する人間を探すのはやめさせよう。
都合の良い事を考えながら、グラッドは邸宅へと帰った。
そして、待ち構えていた父親に、盛大に殴り飛ばされたのである。
「お、親父殿、何を……っ」
「お前とミラディ嬢との婚約が解消となった。身に覚えはあるな?」
ある。
散々、兄と父が口を酸っぱくして言って来たのだから。
でも学園の事ならば、学園内では誰も何も言ってこなかったから。
そのまま無視していた。
「いや、でも。今日、アリス嬢はオルブライト嬢に代わって、レンダー王太子のお相手になったのですから、俺は、近衛騎士としてお側仕えをするのです」
「ほう?だとして、それがミラディ嬢に何の関係があるというのだ?」
父に聞かれてグラッドは、額や鼻から流れる血を拭いながら考えた。
ミラディは……え?……何の関係?
「ミラディとは…ですから結婚の約束が……」
「ああ、だから。お前はピロウ男爵令嬢を愛している、と言ったのだろう?お互いに気持ちも無く、家同士繋がる利点がある訳でもない。お前有責で破棄されなかったのは、我が家とオレリア家が殊の外親しかったから温情をかけて貰ったにすぎない。だからこそ、私はお前を除籍とする」
「じょ…除籍?そんな……!」
貴族籍を抜かれてしまったら、王太子の近衛騎士にはなれないし、平民として生きていかなくてはいけない。
まさか、そんな大事になるなんて思っていなかった。
たとえ婚約破棄になったとしても、まさか、貴族でなくなるなんて。
ミラディは言っていた。
私も愛すべき方を探す、と。
ならば、まだミラディの愛は自分にあるのではないか?
「……ま、まだ間に合うのではないですか?ミラディがまだ愛する相手を探しているならば……っ」
「フン。だとしてもお前がその相手になる事はないから、断られたのがまだ分からんか。それに婚約解消の話を持ちかけられたのは数ヶ月前だ」
グラッドは父親に冷たく鋭い眼で見下ろされて、その事実に瞠目した。
だから、一切の交流が無かったのかと。
「なあ、ミラディ嬢がお前から離れた時、お前は自由になったと思ったから彼女に対して何も行動を起こさなかったのだろう?今更お前が男爵令嬢とは結婚出来ないから、結婚してくれなどと、どの面を下げて言う。手にした宝の価値も分からんで投げ捨てるような男に、誰が娘を嫁がせたいものか」
小さい頃から手にあった紅玉は、何よりも美しかったのに、それを捨ててしまったのだと。
今更ながらに気づいて、グラッドは呆然とした。
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