第16話

 屋敷へ戻り、広間へ続く廊下。

 イデルは、むずむずする背中に耐えかねて振り返った。

「なんでついてくる」

 問いかけられたこと自体が不思議だとばかりに、男はイデルの目を見つめ返す。こちらの方が不自然なものであるような態度が腹立たしい。

「あの娘のそばにいてやればいいだろう。なんだってずっと俺についてくるんだ」

 中身はともかく、外見は自分と同じ頃の青年に無言でつきまとわれるのは歓迎したくない。それについてくるわりには、イデルの問いかけには答えない。

 なんとも涼しい顔の青年に、喉までこみ上げた怒声をこらえた。大きく息を吸う。

 次第を確かめないうちにあの娘に怪我を負わせたことは後悔している。彼女が守っていたこの男にきつく当たるのはよそう。ゆっくりと息を吐き、扉を押した。

「イデル!」

「イデル様! シェリー様とナビエが殺されたって!」

 待ちかねた部族の仲間達がイデルを取り囲む。

「相手を見てねえんだって?」

「だが大街道で盗賊なんてものを知らねえやつのやることだ。すぐに……」

 イデルは表情を険しくし、首を振った。

「まさか放っておくわけじゃねえだろ!?」

「ちがう。盗賊じゃない。シェリーもナビエも、なにも盗られていない」

 仲間達は互いの顔を見合わせる。

「シェリーの命が目的だったのかもしれない」

「シェリー様を? なんでシェリー様を殺す必要があるんだよ!」

 それこそイデルの知りたいことだ。御者を殺し、ナビエを殺し、最後までシェリーを追った。

「今、ヒズ達が林に残って手がかりを探してる。おまえ達もあの街道周りのことを調べてみてくれ」


 詳細を補足し、いくつかの質問に答えたところで、仲間達はそれぞれの心当たりへと散らばっていった。見送りながら、一度息をつき、唇をしめらせる。

 相手の見当はつかないが、疑問や推測はある。相手はおそらく、シェリーが今日出かけることを知っていた。四頭立ての馬車と一騎の護衛、これらをはねのけて引き倒すにはそれなりの準備が必要だ。

「イデル様」

 顔を上げると、年輩の仲間がイデルの後ろを指差した。

「さっきから気になってたんですが、そこにいるのは客人ですかね?」

「ああ」

 気配のないせいですっかり忘れていた。気に食わないながら、紹介に手で示す。

「青国の旅人だ。シェリーとナビエ、それに御者を清めてくれた」

「そうですか、それは……」

 背筋を伸ばし、離れたところで静かに立っていた若い男に頭を下げる。

「そいつは白闇に食われてる。連れの娘がいて、彼女がやったんだろう」

 苦い顔のまま伝える。残っていた面々に、ああ、と暗黙の了解が落ちた。

「そうかい、かわいそうにな。おまえさん、名は? 口もきけねえかな」

 若い男に近寄り、親しげに問いかける。彼が面倒見がよいことは知っているが、イデルは止めようとした。どうせまともな答えは返って来ない。

「おれ?」

 しかし男は、言葉を受けて小さく首を傾げた。イデルは思わず凝視する。

「そうだ、おまえさんの名前だよ」

「おれ、リーゼ」

「リーゼ? そりゃなんとも、女の子みたいだな」

「うん。おれは、いやなんだけど」

 口調は幼く、やわらかい。表情は乏しかったが、こちらを拒絶している様子は見えなかった。

「いいじゃねえか、親からもらったんだろ? おまえさんは綺麗な顔してるし、よく似合うよ」

「そうかな」

「ああ。俺はデイダラってんだよ。おまえさん、シェリー様とナビエを送ってくれたんだろ? ありがとうな」

 まるで怒られているかのように、リーゼと名乗った若い男はうなだれた。

「おれ、ありがとうって言われるようなこと、してない」

「そんな顔しなさんな。しかたねえさ、ナビエって男はそりゃあ腕が立ったんだ。そんな奴が負けちまったんだから、な」

 デイダラはリーゼの肩を数度、叩いた。

「リーゼ、おまえは犯人を見ていないか?」

 慌てて問いかける。まともな情報は期待できないと決めてかかっていたが、彼の受け答えは思った以上にしっかりしている。

 最初の発見者は、しかし、小さく首を横に振る。

「そうか……」

 では、あの娘も何も知らないのかもしれない。残された手がかりの少なさに、イデルは焦りと苛立ちが強まる。

 妹と、大事な仲間を殺された。このままにする気はない。考えろ。シェリーが死んで得をするのは誰だ。

 リーゼがふっと顔をそむけた。そのまま、今来た廊下を戻りだす。

「どうした?」

 声をかけると、リーゼは少しだけ振り返った。

「クモ、おきた」


 リーゼの言う通り、娘はベッドの上で薄く目を開いていた。

 イデルは思わず眉間にしわを寄せた。ふわりと波打つ銀の髪とともにクッションに埋もれている娘は、死んだ妹が好んだおとぎ話の姫君を思い出させて、ここだけまるで自分の屋敷ではないような。

 重たげなまばたきで、彼女は不思議そうにイデルを眺める。まだぼうっとしているように見えた。

「乱暴なことをしてすまなかった」

 頭を下げると、驚いたようにまばたきをして体を起こそうとしたので、それは制する。

「俺はイデル=ザナクーハという。一族の当主で、この屋敷の主だ。あんたは……クモというのか?」

「はい。クモと申します。イデル殿、わたしの連れをご存知ありませんか?」

「リーゼか。そこにいるよ」

「リーゼ?」

「なんで聞き返すんだ?」

「あ、……いえ」

 イデルの真後ろで、ドアにはりつくようにしているリーゼを指すと、クモはぎこちなく名を呼んだ。

「……リーゼ?」

 彼は陰気なまなざしで、ドアから動かない。その様子の不気味さも滑稽さもまだ慣れず、イデルは成り行きを見守る。

 クモは困ったように黙ったが、やがてなにかに気づいたように笑った。そのままリーゼを手招く。リーゼは従い、ベッドのそばにひざまづいた。

「ごめん……クモ」

「どうして謝るの?」

 リーゼの視線をなぞり、クモは自分の頭に巻かれた包帯に触れた。まだ緩慢な動作と白い包帯に、原因であるイデルはやんわりと責められる。

「リーゼのせいじゃ、ないよ」

 クモはリーゼの髪をなでた。リーゼは少しの間クモを見つめると、ことりとふとんに顔をうずめた。


「……妙なふたりだとお思いですか?」

 眉間にしわが寄ったままだったことに気づく。

「ああ」

 取り繕うことでもないと思い、素直にうなずいた。

「亡くなられた方は、どなただったんでしょうか」

「妹と、友人だった。あの御者も古くからの付き合いだ」

 リーゼは動かない。まさか眠ってしまったわけではないだろうと思うが、わからない。

「そうでしたか」

 毛布の上に重ねられたクモの手には、爪や節に血がこびりついている。

「俺は妹達を殺した人間を許す気はない。あんたが見たことを教えて欲しい」

 クモはしかし、すぐに首を振る。

「なにも……妹さんの乗った馬車が、わたし達を追い越したのには気づきました。でもわたし達は歩きだったので、追いついたときにはもう馬車は倒れていて、誰もいなかったんです」

「誰もいなかった?」

 引っかかって尋ねると、クモはこくりとうなずく。

「……それならどうして、あんたはシェリー達を見つけたんだ?」

 てっきり、襲撃を遠くから目撃したのかと思っていた。

「もし怪我をして困っているなら、と思って」

「それでわざわざ捜したのか?」

 呆れた声が出た。クモは目を丸くし、まばたきをする。

「馬車が襲われたことはわかっただろう? それなのにのこのこと林に入ったのか。このリーゼを連れて」

 それとも、ただの事故だとでも思ったのか。馬車には矢も刺さっていたのに、それすら気づかなかったのなら相当なものだ。

 イデルはもう一度、あらためてクモとリーゼを見る。

「あんた達、それでよく青からここまで旅なんてしてこれたな。いったいどこへ行くつもりなんだ」

 イデルはこの地を出たことがなく、青国は地図でしか知らないが、六大国の中で赤と青はもっとも離れている。船旅が大半にしても、治安の悪い赤を歩くにはこのふたりはあまりに危なっかしい。

「それは」

 言いよどみ、クモは一瞬リーゼに視線を走らせた。

「あなたには関係のないことです」

 きゅ、と表情をこわばらせる。急に体を起こし、ベッドから脚を下ろした。

「お世話になりました。行こう、リーゼ」

「おい、急に動くと」

 忠告が終わる前に、クモは足の力を失ったようによろめく。ひじをとり、支えた。そのあとをどうするかは彼女に任せようとしたが、彼女はぴたりと止まったまま難しい顔をしている。

「そんなに軽い怪我じゃないぞ」

 ほとんど手加減なく、柄を後頭部に打ちつけた。逆上していたし、手がかりを得るならふたりの内ひとりがいればいいとも思っていた。

「まだ聞きたいこともある。しばらく滞在していってくれ」

 ベッドに座らせると、彼女はぱっとイデルから手を離した。気分を害したらしいことはわかったが、なんと言っていいかはわからなかった。

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