第14話

 馬車は横倒しになって、人も馬もいない。ただ、今の今まで、ここでなにかが起きていた気配が残っている。

「離れましょう」

 リルザ様は馬車を大きく避けるように歩き出す。倒れた馬車、壊された扉、周囲に飛び散った血。

「クモ」

「女の子が乗っていたんです」

 事故で怪我をしたのなら、彼らがここを離れる理由が思い当たらない。

「……今、まだ、生きているかも」

 リルザ様は、少し離れたところに広がる林を見た。

「林への侵入者は西へ抜けて行きました」

 一瞬、意味がわからなくて、まばたきをする。リルザ様を見ると、彼は右手の指先をわたしのほうへはじいた。

 その指の動きに呼応するように、風がふわりとわたしの頬をなでる。

「私は風の加護を受けています。風の精霊が、教えてくれました」

 風の加護?

「馬車に乗っていた者は、すべて殺されたそうですよ」

 すべて。リルザ様の不思議を疑うまえに、言葉を理解した指先が温度を失くしていく。

「うそだ」

「え?」

 突然、子供の声がした。

 わたしはうつむきかけた顔を跳ね上げて周りを見回す。でも子供の姿はない。

 開けた街道には、わたしとリルザ様、それに倒れた馬車しかない。

 リルザ様も目を見開いて、驚いた表情をしている。

 ……違う? なに、この表情?

「そんなの、うそだ。この目で見なきゃ」

 再び、子供の声。

 でも言ったのはまちがいなく、リルザ様だった。事態を一瞬で受け入れることができない。

「リルザ様?」

「しんじない」

 目の前にいる、わたしを見ていない。どこを見ているの?

 彼は顔をかばいながら、腕を払った。まとわりつく霧から逃げるように。

「しんじない、おれはもうしんじない!」

 追い詰められたその声に、さっきとは違う恐怖がわたしの体を走る。

 これはなに? リルザ様に、なにが起こっているの。

「ああ、あああ!」

 かすれながら搾り出される声。苦しげな低い悲鳴。自分を抱きしめながら地面に膝を突く。倒れこみ、頭を地面に押しつける。

 ふるえる腕を伸ばして、彼の背に触れる。

「闇のにおいがする」

 闇のにおい? わたしは魔法がわからない。華姫がそばにいてくれても、私自身は魔法が使えなければ精霊を感じられたこともない。

「風の精霊が、教えてくれるんですか……?」

「やめろ、泣き女! おれにささやくな!」

 尋ねたとたん、鋭く振り払われた。地面に転がって腰をうつ。痛みをこらえながらリルザ様を見上げると、彼は今度こそ驚いたように、膝で立ったまま呆然とわたしを見ていた。

「ごめん」

 おそるおそる、わたしの手をとる。冷え切った手。

「ごめん、クモ……ごめん……」

 わたしの手に額をつけ、うなだれた。水のような冷たい汗。

 名前を呼ばれたことに驚きながら、彼の手をもう片方の手で包む。

 言葉も見つからかったし、話すこと自体もいけないように思えた。もしかしてわたしの声が、彼の厭う泣き女の声に聞こえたのなら。

 リルザ様が顔を上げ、様子をうかがってきた。

「……おこってる? いたかった?」

 笑顔を作って、首を振る。

「ここはいやだ。はやくいこう、クモ」

 リルザ様がわたしの手を引く。でもわたしは、叶えてあげたかったけれど、うなずけない。

「ごめんなさい」

 わたしが話しても、リルザ様はもう取り乱さなかった。

「すぐに戻りますから、ここで待っていてくれませんか?」

「どうして?」

 答えに困って目を泳がせると、彼はまっすぐにのぞきこんでくる。

「おれのいったことがしんじられないから?」

「いいえ」

 叩き返すように否定する。

「いいえ。……旅人の、儀式です」



 ***



 林をさほども進まないうちに、あたりに血のにおいがまじるのがわかった。この陽気のせいもあるんだろうか。赤はやっぱり、緑よりもずっと暖かい。

 地面に広がる血だまりの中に、中年の男性がうつぶせに倒れていた。

 駆け寄り、彼の元にしゃがみこむと、ついてきたリルザ様がつまらなさそうに言う。

「もう死んでるよ」

 おなかを中心に、大きな血だまり。生きているかもと思っているときは触れることにためらいがなかったのに、亡くなっていると思ったとたん触れることがこわくなった。

「おくにまだいる」

 言う通り、少しいったところにまた遺体があった。今度は若い男性。口元をおさえる。息を止め、衝動をやりすごす。

「つよかったって、いってる」

「……つよかった?」

「何人か、ころしたって」

 あまり詳しく説明する気はないみたいだった。リルザ様は先に進んでいく。

 地面に倒れている傷だらけの男性は、立派な体格の戦士に見える。最後まで戦って、相手に一矢を報いたのだろうか。

 深呼吸をして、リルザ様を追いかける。しばらく歩くと、女の子が倒れていた。

「もっと、らくにころしてやればよかったのに」

 歳は十代後半? 二本の矢に貫かれて、背には剣が突き立てられていた。剣はなんの飾りもない無愛想なもので、彼女の華奢な体をさらに小さく見せた。

「……馬車は、襲われたんですね」

 馬車を倒されながらも、三人は林に逃げた。最初に中年の男性が殺され。次には、あの若い男性。彼はこの女の子の護衛だったのかもしれない。女の子はよい服を着ていた。

 渇ききった喉を、無理やり飲み込む。まとめていた髪の上から帽子をかぶった。

 彼女の体から矢の一本を抜こうと引っ張ってみて、でも、鏃のえぐる感触に手が止まる。しかたないから、できるだけ根元で矢を折った。

 貫いた矢は2本でも、たくさんの矢傷のせいで体中に血がにじんでいた。逃げる彼女に何本も矢を射かけたのだと思った瞬間、胃が苦しく熱を持つ。

 剣の柄に手をかける。矢も抜けないくせに無理だと思ったけど、この剣が彼女の無念をここに縫いつけている気がした。

「……っ」

 やっぱり、力が足りない。左右に動かして傷口を拡げれば抜けるかもしれないけど、どうしてもためらわれる。

 もたもたしていると、リルザ様がわたしをどかした。剣にたいしてまっすぐな位置を取ると、彼女を見たまま、片手を額につけた。緑の祈り、と思った次には、リルザ様は彼女の背に足をかけ、一気に剣を引き抜いた。

 流れ出した血にあせって、とっさに彼女のものらしいショールを傷口にあてる。血はすぐに止まったようだった。すでに散々流れていたからだと、血にひたった彼女の半身を見て気づいた。

 涙があふれた。嗚咽を殺しながら彼女を抱える。でも、こんなに細くて小さな彼女なのにとても重たくて、引きずるようにしか持てない。またリルザ様が代わって下さった。近くの木に横たえてくれる。なにも言わなかったのに、ふたりの男性も連れてきてくれた。清めるあいだも、涙は止まらなかった。

 準備がなくて、そこまで綺麗にはできなかった。小さな花と草を摘んできて、輪の飾りを作り、彼女たちの服にしのばせる。

 膝をつき、手を組んで祈る。

「青のかそうだ」

 リルザ様を見上げる。

「そのわかざりも、いのりの手も、ひものむすび方も」

 顔が熱くなった。ご存知だとは思わなかった。リルザ様はただ言わないだけで、本当はわたしのことを色々わかってるのかもしれない。

「青のくにのひとは、旅人にやさしいんだ」

 リルザ様は小さく微笑んだ。


 街道近くに戻ると、数人の男の人達が馬車に集まっていた。

 まさか、襲撃者?

 ぎくりと足を止めたときには、彼らはわたし達に気づいた。そしてすぐさま、怒りの形相に変える。

「貴様ら、何者だ!」

 なにかを言う暇はなかった。

 誰か、男の人がわたしに向かって突っ込んできたかと思うと、次の瞬間には目の前がまっくらになっていた。

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