第2話 「王」の帰還

「アルロー様、じっとしてください」


 白銀の騎士の腕の中で、ユウタは彼の声を改めて聞いた。

 聞いた事もない名で呼ばれたのだが、この場には彼とユウタしかしない。したがってユウタ自身のことのようだ。


「目も閉じていたほうがよろしいでしょう」

 

 続け様に騎士は指示を出す。

 

 突然現れた木製の扉、それをくぐるとそこは別世界だった。

 真っ暗な世界にまっすぐ伸びた道、虹色に輝く道を騎士は迷いなく歩いていた。


「あの、」

「説明は後でまとめて。信じてください。私はあなたの味方です」


 その声はとても穏やかで、先ほど人を殺した人物とは思えなかった。

 そう思い立って、ユウタは騎士が簡単にあの変態男の首を刎ねた状況を思い出し、身震いした。


「私はあなたを決して傷つけません。今はただ信じてください」


 男への信頼というより、怯えが勝って、ユウタは頷く。

 彼は他人を信用していない。特に大人は。

 けれども、今の彼には選択肢がなかった。

 がっちりと抱きかかえられ、身動きが取れない。

 

「さあ、扉を開きます。騒がしいので、眠ったふりをされていたほうがいいでしょう」


 男に言われ、目を動かすと再び木製の扉が視界に入った。

 一瞬だけ迷ったが、ユウタは目を閉じて、寝たふりをすることにした。


「ヘルベン卿!」

「ヘルベン騎士団長。その子供が!」


 男の言う通り目を閉じていて良かったとユウタは思った。

 扉を潜うと騒がしい声に取り囲まれる。目を開けていれば声と視線によって心がまた掻き乱されたに違いなかった。

 小さい時から、両親は彼に対して複雑な視線を投げてきた。成長につれ、それは憎しみを伴う。親戚からは好奇や嫌悪の視線を浴び、親切だと思えば欲に塗れたものだった。

 彼は何も期待していなかった。けれども感情が死んだ訳ではない。感じる心がこれ以上傷つかないように硬い殻で心を覆ったのだ。

 死を考えた事もある。

 しかしその度に自分には使命があり、生きなければならないそんな思いが込み上げて来て、断念した。

 疎まれるだけの日々、使命などあるはずがないのに。

 自嘲し狂ってしまいそうになった事もあった。

 けれどもユウタは何かの信念に突き動かされ、今までなんとか生きていた。

 突然現れた騎士。

 目の前で起きた惨劇。

 どれも現実的ではない。

 しかし、ユウタはどこか冷静に状況を理解しようとしていた。

 これは、彼が小さい時から抱えていた使命につながるものだと。


「アルロー様は疲れております。今宵はわが屋敷にお連れする予定です」

「それは勝手な」

「陛下に指示を仰ぐべきです」


 ユウタをしっかり抱えたまま、騎士は周りの者にそう告げる。とたんにガヤガヤと騒ぎが大きくなる。

 ユウタは耳を塞ぎたくなるのを堪え、目を閉じて、それを聞かない振りを続けた。

 地下に響く無責任なものたちの声、それを打ち破る者が現れた。


「私が許そう。父の生まれ変わりといえども、まだ少年。見るにかなり消耗しているようだ。このような騒がしい場所よりも、タリダスの屋敷のほうが心休まるだろう」

「陛下!」

「ここにいっらしゃるとは」


 騒ぐだけの烏合の衆の後ろから、護衛騎士を伴い金髪に緑色の瞳の美丈夫が姿を現した。

 その者は現国王のロイ・ハルグリアであり、アルローの子である。

 ユウタは騎士タリダスの腕の中でじっと息をひそめ、王の言葉を聞いた。陛下という言葉から、新たに現れたものが王であることはすぐに理解できた。

 騒がしい声とは異なり、その声に少し優しさを感じ、彼の緊張が少しだけ解ける。

 

「陛下。ありがたきお言葉。このタリダス、命に代えてもアルロー様の身を守ります」

「頼むぞ」


 タリダスの返事は幾分おかしなものだった。

 ユウタはなぜ彼がこのような回答をしたのか理解できなかった。

 しかし、烏合の衆の誰一人としてそのおかしさに気づくものはいない。

 王ロイは一瞬目を細め、短くそう答える。そして踵を返し、再び護衛と共に元来た道を戻り始めた。

 それを見送り、騎士タリダスは身分だけは高い烏合の衆に告げる。


「陛下にお言葉を賜った。私が、アルロー様を我が屋敷で保護する。異世界でひどい環境におられた様だ。静養が必要だ」


 彼の言葉に今度は騒ぎ立てる者たちはいなかった。

 狼狽える輩の間を掻き分けるように彼はユウタを抱き上げたまま、進む。

 ユウタにはまったく現状が理解できなかった。

 ただ再び騒ぎ立てられることがないとわかり、安堵する。それが彼の緊張を解いたようで、気を失う様にユウタは眠りに落ちた。

 


「お帰りなさいませ」


 タリダスはアルロー死後、騎士団に戻った。

 それから死ぬ物狂いで努力して、騎士団長へ上り詰めた。

 その過程で、彼は騎士団に蔓延る悪習を一掃した。

 また家督を弟に譲り、家を出た。

 現在彼は騎士団長としては似つかわしくない小さな屋敷に住んでいる。それでも使用人は数人置いており、玄関で迎えたのは実家から連れてきた執事だった。

 異世界に渡る前に事情を把握していた使用人たちは、準備を整えてまっていた。タリダスが痩せ細った少年を連れて戻った時に幾分動揺したが、それをも上手く隠して執事は屋敷の主を迎えた。


「寝てしまった様だ。まずは寝室に運ぶ。準備は整っているか?」

「はい」


 タリダスがアルローの生まれ変わりを渇望していることを執事を含め、使用人たちは把握していた。したがって彼が異世界に渡ると聞いた時も驚きはしたが、主が誰かを連れて戻ってくる準備を怠ることはなかった。


「ありがとう」


 タリダスは礼を述べてから、屋敷へ上がる。

 客室は屋敷の端の日当たりのよい部屋にあった。夕方近くは陽の一日最後の抵抗のように日差しが強い。そのためカーテンは閉められており、部屋の中はひんやりしていた。タリダスはユウタをそっとベッドの上に寝かせる。

 少し薄汚れた己のマントから解放してやりたいが、ユウタはマントの中で縮こまり、繭にくるまっているようだった。

 

「アルロー様」


 痩せ細った頬が痛々しい。

 異世界で一瞬だけ見たユウタの体がとても肉付きのよいものではなく、十分な生活を送れていなかったことをタリダスに理解させた。

 その上、ユウタを襲おうとした男。


 タリダスはぎりっと歯軋りをする。

 脳裏に浮かんだ情景に反吐が出そうになった。


「アルロー様。ご安心ください。今度は私があなたを守ります」


 腰に差した自身の剣とは異なる装飾が施された聖剣。

 それを腰のベルトから抜き取り、壁に立て掛ける。

 薄暗い部屋の中で、聖剣は少しだけ発光しており、ベッドに横になるユウタの存在を感知している様に見えた。

 

「やっと見つけた。遅くなって申し訳ありません」


 タリダスの言葉が部屋の中で響く。

 返事はない。

 ただユウタの静かな寝息だけが、タリダスの耳に心地よく届いた。

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