第2章 金岡玲子の場合 第7節 無秩序よりは不正義がマシ

とうとうデマが日本の主権者みたいになっちゃった。

デマは首が七つも八つもある、火をだいじゃみたいなタチの悪い権力者。

だって、政治家やお役所が「デマを信じないで下さい。事実はこうなんです」って、こんきょを挙げてデマを否定しても、もう、誰も聞こうとしないんだもの。

「本当は、こうなんです」と言えば言うほど、「ムキになって言う所が、かえってあやしい」と受け取られるんだもの。

誰の言うことも信じられなくても、デマは信じると言うわけ。これじゃデマクラシーよ。


そしておんな空気が広がった。

東京でも大阪でも、町の空気が、じょじょに徐々にザワザワし始めた。

公共マナーが目に見えて悪くなった。この当時の日本では、ひとがなけりゃゴミはポイ捨てが当然だったんだけど、人前でも堂々と捨てるようになった。それをとがめる人間もいなくなった。

また、交通事故もふえた。反則キップを切られても、警官が見てる前で破り捨てるようになった。


「もう国民のガマンも限界ね」と私は見た。このまま行ったら、警察ざたじゃ済まなくなる。警察じゃさえきれなくなる。

革命はささいなことじゃない。でも、ささいなことから起きる。


あの4人むすめが何か行き当たりばったりなことをしでかす前に、私が止めなくちゃならないと思った。ちつじょよりは不正義がマシだから。


そこから先は私の出る幕はあんまりなかった。

円盤は、ある日を境にピタリと現れなくなり、1年後、日本政府は円盤飛来(しゅうげきのことを飛来と言いえたの)の終息を宣言した。

国連安全保障理事会も、それで良しとした。


これで、ようやく世間は落ち着いてきた。

世界銀行からのしゃっかんで新橋・しばは再開発され、芝にあった大きなお寺は、拡張されて大きな大きな平和公園になった。

毎年11月27日が政府しゅさいれいさい

いのりの言葉は「安らかにおねむり下さい。」私たちに、他に何が言える?


4人のりょうむすめをかくまい通すのは大変だった。

マスコミにはバレてなかったけど、警察も軍隊も4人をマークしてたもの。

人をかいしてこうしょうしたけど、「この件は不問に付す。とがめ立てしない」が、私が出したゆいいつの条件。

このたちがやったことを良いとは思わない。

でも、私がったような目には遭わせたくなかったの。


交渉の過程で、権力者同士の足の引っ張り合いにチャッカリ利用されちゃった面なきにしも非ずだけど、責任を取って総理大臣が辞めて「これでうらみっこなし」になった。


「これで良い」と、私は自分に言い聞かせた。さもなきゃ、次の政権は、じゅうこうから飛び出しかねないカンジだったもの。現実に、要人テロは起こっていたもの。


そんなこんなで1年後、やっと4人はおうちに帰ることが出来た。高校には進学せず、4人とも、すぐおよめに行ったそうよ。

結局、あの5人は、なんにも生み出さなかったけど、どうして、ああも楽天的でいられたのか。一体なんの使命感にき動かされていたのか、私にはとうとう分からずじまいだった。


えんばんしゅうげきによる死者・行方不明者は全国合わせて1,000人。負傷者3,000人。焼失家屋30,000とう。1959年から1960年にかけてのことだったわ。

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