第十三話② 死にたがりの狙撃(後編)
ボスッと音を立てて、秀人のコートに穴が空いた。背中の、やや左側。心臓がある場所。狙った位置は完璧だった。
たとえ誰が相手でも、仕留めることができるはずだった。
秀人以外が相手なら。
「やっぱりね」
含み笑いをしながら、秀人が呟いた。心臓を撃ち抜かれた人間が、こんなに余裕のある声を出せるはずがない。
咲花の弾丸の威力は、秀人の防御膜にほとんど殺されていた。コートに穴を空ける程度の威力を残して。
秀人がこちらに振り向いた。
「たった二人で俺を殺せるはずがないからね。それどころか、華を奪われないことだって、たった二人じゃ不可能だ。それなら、伏兵がいると思ってたよ。絶対に、背後から狙ってくるって思ってたんだ。だから、そこだけに防御を集中した」
秀人は微笑を浮かべている。相変わらず綺麗な顔で。もう三十代も後半に入るはずなのに、美貌は一向に衰えない。まるで、物語に出てくる吸血鬼のようだ。
「そこの人、出ておいで」
咲花は待機室のドアを開け、秀人に姿を見せた。不意打ちに失敗した。もう隠れている意味はない。
秀人は少しだけ、驚いた顔を見せた。
「咲花だったんだ。生きてたの?」
「まあね。残念だけど、幽霊じゃない」
「そっか。うん。なるほどね」
すぐに納得したように、秀人は小さく頷いた。
「咲花が殺処分されなかったのは、俺を殺すためだよね? 公安が俺の行方を探ってたってことは、国が、本格的に俺を殺そうとしていることを意味してる。たぶん、国側は、天秤にかけたんじゃないかな? 俺を殺すために咲花を生かすか、従来通り咲花を殺すか」
秀人の笑みの形が変わった。微笑みから、皮肉げな笑みに。
「で、国側は、俺を殺す方が重要だと考えた。俺は、国が隠蔽した事件の被害者遺族だから。しかも、隠蔽した事実を知っているから。さらに、この国に復讐しようと――この国を潰そうとしてるから」
秀人の推測は、あまりに的確だった。間違っている部分が一つもない。
「どう? 合ってるだろ?」
「うん。何一つ間違ってない」
咲花は苦笑するしかなかった。
「秀人さん」
「何?」
「そこまで頭がいいと、もう気持ち悪い」
「ひどい言い草だね。これでも一応、咲花の先輩だよ。まあ、
言いながら秀人は、咲花と亜紀斗、藤山の三人に目配せした。皮肉げな笑みはそのまま。その立ち振る舞いには、一切の隙がなかった。
「わかってると思うけど、三人いても俺を殺すのは無理だね。今の不意打ちは、なかなか惜しかったけど。でも、真っ正直から俺と戦うんだったら、戦力が全然足りないよ」
この点においても、秀人の言うことは正しい。
唯一秀人に勝つ可能性があるとすれば、華を本格的に人質に取ることだ。彼女をある程度痛めつけて、こちら側が本気だと秀人に理解させる。彼を無抵抗にした上で、仕留める。
もっとも、この方法も難しいだろう。現在、華の一番近くにいるのは亜紀斗だ。彼はもともと、この人質作戦に拒否反応を示していた。間違いなく、妊婦である華を傷付けることはできない。
藤山や咲花では、秀人よりも先に華に接近する――彼女の身柄を確保することができない。動ける速度が違い過ぎる。
咲花の不意打ちが失敗した時点で、秀人を仕留めることは不可能になった。自分達三人が、生きてこの訓練室を出ることはないだろう。
秀人が優しいのは、華にだけだ。華だけが特別なのだ。どうして華だけに優しいのかは、分からないが。
咲花は大きく溜め息をついた。無駄だと知りつつも、一つだけ、秀人に頼みたいことがあった。
「秀人さん」
「何?」
「ひとつだけ、頼みがあるんだけど」
「うん。じゃあ、後で聞くよ。今から色々用意するから、少し待ってて」
「用意?」
聞き返した咲花を無視して、秀人は、手にした三脚の足を広げた。三脚をその場に立たせる。ポケットから自分のスマートフォンを取り出して、三脚にセットした。
「ねえ、藤山さん」
「何だい?」
藤山の声は、珍しく緊張感に満ちていた。
秀人は、三脚にセットしたスマートフォンを操作している。
「俺のスマホね、画面ロックの設定がしてあるんだよね。暗証番号は八七八七だから。覚えておいて」
「はい? どういうことだい?」
「だから、俺の画面ロックの暗証番号。ハナハナって覚えておいて。簡単だろ?」
「いや、秀人君の画面ロックの暗証番号を覚えて、どうするの?」
藤山は、秀人の意図がまるで分からないようだ。もちろん咲花も分からない。
また、秀人の笑みの形が変わった。少しだけ寂しそうに笑っていた。
「今に分かるよ」
秀人は、三脚に立てたスマートフォンを操作した。ピッと音が鳴った。写真撮影の音か。あるいは、動画撮影の音か。
スマートフォンの操作を終えると、秀人はコートを脱ぎ捨てた。コートの下に着ていたタートルネックや、その下のTシャツも脱いだ。上半身が裸になった。背中に、針が刺さったような痕がある。先ほどの、咲花の弾丸の痕だろう。
秀人の体は、細身ながらも鍛え上げられていた。間違いなく、訓練を欠かしていない体だった。彼が、復讐のために作り上げた体。腰のベルトには、シースに入ったナイフが固定されている。
秀人の意図がまるで見えない。もっとも、彼の意図が分かったところで、自分達に生き残る術はない。咲花は半ば諦めていた。諦めていたから、最後に一つだけ、秀人に頼むつもりでいた。
『秀人さんがこの国をどうしようとも、亮哉だけは助けて』
秀人が聞き入れてくれるとは思えないが。
藤山は、緊張感に満ちた様子を維持している。作戦が失敗して、打つ手がない。この状況をどう打破するか、必死に考えているのだろう。どうしようもないのは明らかだが。
亜紀斗はどうだろうか。咲花は知っている。彼が、決して諦めない人間だと。鋼の精神力を持つ人間だと。だからきっと、今にも秀人に襲いかかりそうになっているはずだ。
そんなことを思いつつ、亜紀斗を見て。
咲花は驚いた。
亜紀斗の表情は、完全に緩み切っていた。絶望の末に諦めた者の顔ではない。彼らしい、窮地の中でも諦めない顔でもない。月並みな例えだが、牙を抜かれた獣のようになっていた。
どうして亜紀斗が、あんな様子になっているのか。もしかして、華の純粋さに毒気を抜かれてしまったのだろうか。あるいは、華に同情するあまり不抜けてしまったのだろうか。
生存を諦めている状況で、咲花は混乱してしまった。秀人の行動も、亜紀斗の様子も、まるで意味が分からない。
上半身裸になった秀人が、シースからナイフを抜いた。彼にとっては武器としての利用価値もない、サバイバルナイフ。
ナイフの刀身が、光を反射していた。
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