第二十二話① 正しいこととは何なのか(前編)


 訓練室には誰もいなかった。捜査にSCPT隊員が駆り出されたため、普段より少ない人員で特別課の仕事をしている。訓練に回せる隊員がいなかったのだろう。


「じゃあ、適当にその辺に座って」

「はい」


 訓練室の中央辺りで、亜紀斗は座った。あぐら。


 亜紀斗と同じように、藤山も腰を下ろした。彼の様子は、いつもと変わらない。張り付けたような、胡散臭い笑顔。けれどその目は、笑っていないように見えた。形だけの笑み。


 亜紀斗は、手首の感触を確かめた。先ほど、藤山に掴まれた手首。驚くほどの腕力だった。単純な筋力であれほどの力を出せるのだ。内部型クロマチンを発動させたら、一体どれだけの力になるのか。


 藤山の力を、ほんの少しだけ垣間見て。


 亜紀斗は、藤山がどのような人物なのか、気になり始めた。隊長になるほどの人物なのだから、現役の隊員のときは強かったのだろう。では、どれくらい強かったのだろうか。今の自分よりも上だったのだろうか。


「で、亜紀斗君」


 名前を呼ばれて、亜紀斗は思考を霧散させた。


「君と咲花君がやり合うのはいつものことだけど、場所を考えないと駄目だよね。君達があそこで暴れたら、どれだけの備品が壊れると思ってるの?」


 もし、訓練の時と同じように、咲花と本気で戦っていたなら。


 特別課室内の備品は、ほとんど新調が必要になる。机も椅子もパソコンも棚も、何もかも滅茶苦茶になっていたはずだ。備品だけではなく、窓やドアといった部屋自体もかなり破壊されていただろう。


「すみません」


 素直に、亜紀斗は謝罪した。


「頭に血が昇りました」


 先生が生きていた頃にカウンセリングを受け、感情をかなりコントロールできるようになった。それなのに亜紀斗は、咲花の前では、自分を抑えられなくなる。暴力性や凶暴性だけではない。落ち着いて話を聞くことすらできなくなる。


 理由は、自分でも分からない。ただ、心の中から、何かが湧き上がってくるのだ。それが何かは、亜紀斗自身にも分からないが。


 鷲掴みにするようにして、亜紀斗は、自分の胸に手を当てた。


 亜紀斗の心にある気持ち。自分でもよく分からない気持ち。それをできるだけ言語化できるよう、亜紀斗は、藤山に疑問をぶつけた。


「隊長」

「何だい?」

「笹島は、今回、どうして犯人を殺したんでしょう?」


 最近の二件の事件で、咲花は犯人を殺さなかった。どんな心境の変化があって犯人を殺さなかったのか、亜紀斗には分からない。ただ、亜紀斗の目には、咲花の表情が柔らかくなっていたように見えた。


 犯人を殺しているときより、殺さない方が幸せそうに見えた。


「あいつは、狙いを外すような間抜けじゃないです。あいつの凄さは、俺が一番分かってるつもりです」


 実戦訓練で、何度も戦った。協力して、金井秀人という怪物を相手にした。命を危険に晒すような場面を、何度も共有した。互いが、互いの命を狙い合う場面がほとんどだが。


「実際に、前回の二件の事件で、あいつは、的確に犯人を無力化しました。命を奪うこともなく」


 自分の胸に当てた、亜紀斗の手。胸板に指がめり込むほど、亜紀斗は力を入れた。


「あいつの凄さが分かっているのに、俺は、あいつの考えが何一つ分からないんです」


 亜紀斗の話を聞いて、藤山は「うーん」と声を漏らした。困ったように頭を掻く。小さく息をついて、亜紀斗の目をじっと見てきた。


「亜紀斗君」

「はい」

「どうして咲花君が、前の二件で犯人を殺さなかったのか。それについては、僕も分からない。でもね、今回のことは分かるんだ。どうして今回から、犯人殺しを再開したのか」


 亜紀斗の手から力が抜けた。胸を鷲掴みにしていた手。力が抜けた途端に、胸に重い痛みを感じた。もしかしたら、指がめり込んだ部分から血が出ているかも知れない。


 だが、そんな痛みなどどうでもいい。亜紀斗は、藤山の方に身を乗り出した。


「どうしてなんですか?」


 藤山は再度頭を掻き、溜め息をついた。


「その話をする前に、前提として、いくつか聞きたいんだけど」

「何ですか?」

「神坂洋、って知ってる?」


 聞かれて、亜紀斗は記憶を探った。少なくとも、知り合いではない。しかし、どこかで聞いたことがある名前だ。テレビか何かで見かけたのだろうか。頭に手を当てて思い出そうとしたが、思い出せない。


「知ってるような気がしますが、思い出せません」

「じゃあ、大倉洋は?」

「同じ名前ですが、苗字が違いますね。別人ですか?」

「いいや。同一人物。養子縁組して、苗字が変わったんだよ」

「はあ」


 亜紀斗は気の抜けた返事を返した。藤山が何を言いたいのか、さっぱり分からない。


「で、亜紀斗君。もう一つ質問だけど」

「いや、その前に、大倉だか神坂って、誰なんですか?」

「すぐに教えるよ。で、質問。人は、どんな理由があるときに、養子縁組して苗字を変えると思う?」


 藤山の質問の意図が掴めないまま、亜紀斗は考えた。


 養子縁組が行われる理由は、状況によりいくつかある。親のいない子供が、他人に引き取られたとき。類似の理由として、虐待等を受けた子供を、実の親から引き離して縁を切らせるとき。何らかの理由により、他人に自分の財産を相続させたいとき。


 知識を振り絞って、養子縁組をするケースを思い浮かべて――


「!」


 亜紀斗は、一つのケースに行き当たった。名前を変えるために養子縁組をするケース。名前を変える必要があるケース。


「重罪を犯した者が、名前を変えてシャバに出る場合、ですか?」


 藤山は頷いた。


「さすが、犯罪者の更生に積極的に関わってるだけのことはあるね」

「何件か、そういうケースも見てきたんで」


 もっとも、亜紀斗が直接接触した中に、殺人のような重犯罪者はほとんどいないが。


「で、さっきの大倉――神坂洋も、重罪を犯して刑務所に服役して、養子縁組で名前を変えたんだよ。もともとの名前が、世間に知られていたからね。シャバに出て普通に生活していくために、服役者を支援する団体の人と養子縁組をしたんだ」


 神坂洋が何者なのか、まだ亜紀斗には分からない。それなのに、何か嫌な予感がした。絶望的なことを聞かされる予感。


「神坂洋が犯した罪は、殺人。当時未成年だった神坂が、未成年にも関わらず名前を晒されるほど、酷い事件なんだよ」


 現代では、未成年犯罪者の名前が晒されるケースは少なくない。特定され、ネット上で晒される。しかし、神坂の名前が最初に晒されたのは、ネット上ではないという。


「神坂の実名と顔は、週刊誌で晒されたんだよ。あまりに残酷な事件だから、未成年という理由で守られるのは許されない、って理由でねぇ」


 藤山は、どこか遠い目を見せた。遠い過去を語るように。実際に、彼が語ったのは昔話だった。


「事件が起きたのは、今から十九年前でね。神坂は、その事件の準主犯格だったんだよ。逮捕されたのは四人。当時は、全員が未成年でねぇ。そのうち、主犯格以外は全員出所してるんだ。主犯も、そろそろ出てくるはずだよ」


 四人の犯人。全員が未成年。十九年前。主犯格以外は全員出所している。主犯格も、そろそろ出所する。それらの事実は、藤山がわざと散りばめたヒントに思えた。亜紀斗に、何の事件かを気付かせるヒント。


 亜紀斗の抱えている嫌な予感が、大きく膨れ上がってゆく。唾を飲み込み、亜紀斗は、答えが分かっている質問を口にした。

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