第2話「世界の片隅で黄金の卵が目を覚ます」
「はうぅ……!」
VRポッドから飛び起きたカズハのプレイヤーは、ポッドの蓋に頭をぶつけてしまって涙目で額を撫でる。
透き通るように白い指先の下で、少し赤くなったおでこがじんじんと痛む。
彼女はヘッドホンを外してポッドから出る。そしてサイドチェストに置かれていたヘアピンを手に取り、目元を隠すほど長く伸びた前髪を左右に留めた。
まだ中学生ほどの小柄な少女で、いかにも気弱そうな顔をしている。良く言えば小動物のような愛らしい顔立ち、悪く言えば自信がなさそうなおどおどした顔つき。どちらと取るかは見る人次第。胸は割と成長途中で、ぺたんとした体つきだった。
性格上まずありえないことだが、オフ会に行けば百人が百人、カズハのプレイヤーだと結びつけるような女の子。もちろんリアルとゲームで性別は逆だが、
「千幸ちゃん? 起きてるー?」
コンコンとドアをノックされた千幸は、姉の声にうんと返事を返す。
「お姉ちゃん、入っていいよ」
「ではでは失礼して」
入ってきたのは眼鏡を掛けた大学生ほどの女性だ。賢そうだが少し茶目っ気を感じさせる顔立ちで、赤いフレームのオシャレな眼鏡が、彼女の理知的なイメージを増している。体型は見事に出るところが出ていて高身長。腰までもあるロングヘアをひっつめ髪にまとめている。女性でも思わず見とれてしまうほどのイケてる空気を醸し出していた。
実際大学でもめちゃモテるが、未だに付き合った男性はいない。彼氏なんか作るくらいなら、妹と一緒にVRMMOして過ごしたいと言って憚らない。
エコ猫のプレイヤー、福沢
「いやー、さっきはびっくりしたよね。あんなトラブルになるとはねー」
「……ごめんねお姉ちゃん。私、役立たずで……」
千幸はしょんぼりとした顔で、床に視線を落とす。
そんな妹に、銀華は軽く笑って手をパタパタ振った。
「あー、いーのいーの。戦闘経験少ない千幸ちゃんを連れだしたのは私だし。千幸ちゃんはぜんっぜん悪くないよん」
「でも、レッカさんに迷惑かけちゃった……」
「そんなの別にいいよ? だってレッカとクロードはギャラもらってんだしさ。依頼人が多少足引っ張るのなんてギャラのうちでしょ。ま、2人には後で私から謝っとくからさ。」
そう言って妹の頭を撫でてやる銀華。彼女はものすごく妹に甘かった。
「それよりも最後のログアウトはナイス判断だよー。ヤバくなったら余計なこと言わずにとっとと逃げる、これ大事」
「そう? 失礼じゃなかったかな」
「あんな連中、別にどう扱ったって構やしないよん。だって向こうの方が失礼なんだからさ。タダで情報を聞き出そうなんてふてぇ奴らだよまったく」
片目をつぶりながらポンポンと自分の肩を叩き、銀華はぼやく。
銀華は有益な情報は有料であるべきだと信じてやまない。ロハで気軽にネットから情報を得られるこの情報時代にあって、時代の流れに思い切り逆行する主義を持っていた。
「それにしても、さっきの金丼さんなんだったんだろね?」
「わかんない。間違ってテイムボール投げたら、そのまま成功しちゃった」
「んー。検証してる人たちいわく、レアモンスターって絶対捕まらないって話だったんだよね。しかも激レアの金丼さんときたもんだ。なんかのバグ? それとも実は検証不足で、実は捕まえられる仕様だった?」
銀華は自分の肩をトントンと叩きつつ、考えを巡らせる。
「ま、案ずるよりも産むが易しか。とりあえずいろいろ調べてみないことにはなんともならんやね。千幸ちゃん、もっかいログインしてみようか。クランハウスの中なら別に怖くないでしょ?」
「うん!」
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『ケインズガルド・オンライン』は全世界2000万規模を誇る大型VRMMOだ。
国産の純ファンタジー作品というありふれたテーマながらここまでのヒットとなったのは、優れた物理演算エンジンや豊富で作り込まれたモンスターやアイテム、膨大な組み合わせのビルド、誰もが装備次第で同じビルドを試せる公平性など多くの理由がある。
また、特色のひとつとしてユーザー間の物資のやりとりによる経済活動がフォーカスされており、モンスター討伐だけでなく交易やアイテム生産、ときにはPKによってアイテムが人から人へ動き、生きた金の流れを楽しめるのも魅力といえる。
そんな世界の小都市にある、ごく小さなクランハウスに2人のプレイヤーがログインした。
1人は気弱そうなモンスターテイマーの少年、カズハ。
もう1人は紫と白のカラーリングのモフモフ猫獣人、エコ猫だ。
カズハがログアウトしてからすぐに、エコ猫は残り2人の仲間にも撤退命令を出した。その2人はまだクランハウスに戻ってきていないようだ。もしかしたら今日はそのまま戻ってこないかもしれない。
「んじゃカズハちゃん、ちょい金丼さん出してみてくれる?」
「うん、わかった!」
カズハはテイムボールを取り出し、パカっと蓋を開く。
すると中から全高2メートルほどのサイズのゴールデン・ドーン・ドラゴンが姿を現した。敵対時は家ほどの大きさがあったので、大分小さくなっている。
≪このモンスターに名前を与えますか?≫
「うん! えーと……ドンちゃん! あなたはドンちゃんにするね!」
「グルルー」
ゴールデン・ドーン・ドラゴン改めドンちゃんは喉を鳴らし、新しい主人に頭を下げた。頭を垂れて服従の意を示した……というわけではなく、すりすりと鼻先をカズハに擦り付けて甘えているようだ。
ちなみにテイムボールを開けて名前を付けるというのは初回のみで、以降はいつでも好きなときにテイマーが呼び出せるようになる。一種のスキルとして紐づけされるのだ。
逆に言えばテイムボールに入っている状態ならば、他のプレイヤーに譲渡したり、市場に売ることもできる。見方によっては一種の消耗品でもあるといえた。
(もうこれで他のプレイヤーは、カズハちゃんからこの子を奪えなくなったわけね)
エコ猫はそんなことを考えながら、広間のレイアウトテンプレートをパパっと組み替えて、家具を撤去して木人を設置する。
この木人はいわゆるサンドバッグアイテムで、攻撃の対象にでき、どれだけダメージを与えようが破壊されることはない。
「そんじゃこの子がどんだけ強いのか、ちょっと試してみましょっか。カズハちゃん、なんか一番強そうな技を出してみてよ」
「うん。ドンちゃん、ステータス見せてね」
ご主人様であるカズハは、自由にテイムモンスターの能力を閲覧できる。
彼女だけに表示される中空に浮かぶウィンドウを眺めて、カズハはふんふんと頷いてから木人を指差した。
「よーし、じゃあこの【ミスティック・ディザスター・ブレス】を撃とう!」
「グルルルルルァ!」
ドンちゃんはかぱっと口を開くと、喉をビカビカと白く発光させ始めた。
キュイン、キュイン……と重く響く音を立てながら、口の中に金色の球体がエネルギーの渦を巻いて形成され、眩い光を放ち始める。
「えっ……ちょっと待って、この子そんな技使ってきたっけ……?」
「
瞬間、腹の奥にズドンと響くような地響きと共に、床と天井を吹き飛ばしながら極太のレーザービームが前方に向かって照射された。
「あぎゃーーーー!?」
発射の際に周囲に放たれた衝撃波でエコ猫は吹き飛ばされ、床に何度かバウンドする。一方でご主人様であるカズハには何の影響もないようで、平気な顔をしてドンちゃんの横に立っている。
さすがにゲームなので痛みのフィードバックはほぼ皆無にまで抑えられているが、アバターに入ったダメージは衝撃という形でエコ猫に伝わっており、彼女は10秒も数えてからぶんぶんと頭を振って身を起こした。
「お姉ちゃん、大丈夫ー!?」
「うう……。あたた、いったいどうなって……」
身を起こした彼女が見たのは、ぽっかりと円形に壁を融解しただけでなく、庭先の大地までも抉り取られたクランハウスの残骸であった。
何もかも吹き飛ばされた中で、破壊不可属性を付けられた木人だけが、無傷で佇んでいるのが逆にシュールだ。
「……なに、これ」
「ドンちゃん、この技って何?」
「ぐるるぁ」
「ふんふん。えっと、究極必殺技だって。敵対してるときはHPが1%以下にならないと使えないけど、テイムモンスターとしてならHPに関係なくクールタイム5ターンで使える仕様みたい。使うチャンスは絶対ないと思ってたけど、使えて嬉しいだって」
「……隠し仕様多すぎでしょ、こいつ!?」
これまで何千何万回と狩られてきたはずだが、発見報告がないのはHP1%以下という極端な使用制限のせいだろう。戦闘力が極まった戦闘クランなら一息に倒してしまうはずだし、そうでなくても大火力のスキルを一気に繰り出して倒し切るのが普通。自分だってHPを1割ずつ削りながら10発で倒そうとしている。
エコ猫は随分と風通しの良くなったクランハウスを見て、がくりと脚から崩れ落ちた。
「ああ……こんな小さくても、建てるのに随分苦労したのに……」
「お姉ちゃん、大丈夫?」
「だ、だいじょびだいじょび……。ちょっと心が挫けそうになっただけだから……」
「ぐるるー」
「ドンちゃんは、他にもいろいろ技があるからもっとやらせてって言ってるよ」
「わ、悪びれねえなこのドラゴン……!」
まあ一番悪いのは、こんな狭い屋内で攻撃能力を試そうとした自分なのだと涙を呑んで諦めることにした。
なんだなんだと近所の人が集まってきたので、エコ猫は慌てて模様替えのために用意していた壁パーツを使って壁の穴をふさぐ。
芝生が抉れた庭は衆目にさらすことになるが、もはやどうしようもないので後で考えよう。もうどうにでもなーれ。
「ぐるぐる♪」
「ストレス発散できたって? よかったね、ドンちゃん!」
ドンちゃんが満足するまで一通りの技を使わせてみたところ、戦闘力がヤバいことが判明した(語彙消失)。
高レベル帯の狩場でも普通に無双できるくらいの戦闘力は十分ある。何気なく繰り出す技の一発一発が、高レベル魔導士が繰り出す高位魔法並みの威力なのだ。
自分たちが必死でブレスポーションを焚いて防いでいた全体攻撃ブレスも、実は2ターンに1発繰り出せるものだったらしい。つまり味方として運用する場合、開幕に発射すればいきなり敵全員消し飛ばせるということになる。なぎはらえー!
「誰よテイマークラスは雑魚って言ったの!? めっちゃ強いじゃん! この子さえテイムできればだけど!!」
テイマークラスが弱いと言われているのはあくまで『強いモンスターをテイムできないと弱い』である。つまり弱いテイマーだと強いモンスターをテイムする前に死ぬ。いわゆる服を買いに行くための服がない状態になるわけだ。
一体何千分の一の確率を引き当てたのか、はたまたバグなのかは不明だが、弱っちいのにこんなモンスターをテイムできたカズハは超ラッキーガールと言えよう。
「ぐるぐるん」
「お姉ちゃん、ドンちゃんお腹空いたって」
「あー、餌アイテムかぁ。そりゃAIとはいえ生き物だしお腹すくよね。……こんだけ暴れたわけだし。カズハちゃん、ご飯食べさせてあげなよ」
「ぐるるるるん」
「えーとね、ドンちゃんレア度8以上の高級餌以外は舌が受け付けないんだって。特に骨付き黄金ミートを所望する、だって」
「燃費悪ッ!!」
思わず叫んでしまってから、いやそりゃそうかとエコ猫は思い直す。
高レベルのテイムモンスターになるほど、維持するために高価な餌アイテムが必要になるというのはテイマークラスの常識だ。
テイマーは魔導士のようにMPを必要としない代わりに、モンスターを捕まえるのに大変苦労し、飼育するのに多額の金銭を必要とするクラスなのである。そりゃみんなテイマーじゃなくて魔導士クラス選ぶわ。だってそっちのが明らかに楽だもん。
「しゃーない……私の商店にも在庫がないし、市場から通販で取り寄せるかな」
「なんだかごめんね、お姉ちゃん」
「ぐるるぁ」
申し訳なさそうなカズハとドンちゃんを見て、エコ猫はアハハと力なく笑う。
「ま、いいってことよ。そんだけの戦闘力があれば後で充分おつりが来るくらい稼げるでしょ。それにドンちゃんも申し訳ないって顔してるしね」
「これはお腹が空いたぜ、早く飯にしてくれって顔だよ?」
「金トカゲがよぉ!!」
孵さずにそのままボールを売り飛ばせばよかったなと心底後悔するエコ猫だった。
そのとき、ぴぃぴぃと声を上げながら、カズハの頭の上に小鳥型モンスターのナイチンゲール(個体名ピーちゃん)が飛び出した。可愛い顔して先ほどヘイトモリモリのヒールスキルでご主人様を殺そうとしたファッキン死神バードである。
パーティ全滅の危機に追いやられたにも関わらず、カズハはピーちゃんを人差し指の先に止まらせるとにっこりと微笑んだ。
「ピーちゃんもお腹空いたんだね。待ってて、ピーちゃんの分は手元にご飯あるから」
「ピヨヨー」
ピーちゃんは嬉しそうに指先に顔を摺り寄せて甘える。
そしてカズハがアイテムボックスから取り出したモンスター用パンを美味そうについばみ始めた。
「カズハちゃん、お姉ちゃんはその子を野に返してやればいいと思うな」
「えー? こんなに可愛いのに。ねえ、ピーちゃん」
「ピヨヨピー」
「どんなことを言ってるにしても、ロクな内容じゃない気がするわね……」
白衣の天使の名前を冠している割に、スキルのことごとくが何らかの地雷要素を秘めているおっそろしい死神バードである。
まあでも、名前のモデルになった偉人も味方の胃を破壊してた地雷女史だったって言うし、ある意味原作再現なんだろうか?
「それにほら、ピーちゃんはタマゴを産んでくれるんだよ」
「ぴいー」
ぷりっとお尻から産み落とされたタマゴを拾って、カズハは得意げに微笑む。
テイムモンスターは一定時間ごとにドロップアイテムを生産するのは、テイマークラスなら誰でも知っている常識だ。
ナイチンゲールが産むのは大したレア度もないただの鳥の卵だが、ホットケーキやプリンといった料理アイテムの材料になるのでなかなかの値段で売れる。このゲームでは料理の味もしっかり口の中にフィードバックされるのだ。
バウバウウルフのガルちゃんも、ウルフの毛を生産してくれる。こちらは毛皮系防具の合成素材として有用で、低レベル冒険者の装備品としての需要がある。
「……じゃあドンちゃんは?」
「え?」
「ドンちゃんは、何を生産してくれるの?」
「それは……」
エコ猫とカズハは、顔を見合わせる。
それから10時間後。
ドンちゃんはゴールデンエッグを産んだ。
時価1億ディールの合成素材は、今後12時間おきに生産される。
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