7-8 藍

 康乃やすのの力はぬえ化したあおいを圧倒していた。絹糸で縛り上げられた葵は康乃の戒めにより意識を手放そうとする。

 

「やめて!」

 

 康乃が最後に力を込めようとした時、目の前に突然少女が現れた。人間の姿の時の葵にそっくりなその少女は、両手を広げて康乃と鵺化した葵との間に立ちはだかった。

 

「!」

 

「おばちゃん、もうやめて、許して!」

 

「あなたは……?」

 

 その様子を地上から見ていた梢賢しょうけんは度肝を抜かれて叫んだ。

 

あいちゃん!?」

 

「どこから!?飛んでる!?」

 

「まさか、彼女は──」

 

 鈴心すずねも上空を見上げながら驚き、はるかはこの瞬間藍の正体に納得がいった。

 

 藍は康乃に向けて懸命に訴える。

 

「おばちゃん、ごめんなさい!葵は苦しかったの!お母さんの役に立ちたかっただけなの!

 なのにお母さんがいなくなっちゃって、どうしたらいいかわかんなくなっちゃったの!」

 

 藍の姿はよく見ると少し透き通っていた。おそらくその姿を維持するのに限界が来ているのだろう。そこまで想像した時、康乃も藍の正体を悟った。

 

「あなた……。ええ、そうね。葵くんの気持ちはわかってるわ。それにおばちゃんは怒っていませんよ」

 

「ほんと?」

 

「本当よ。この鵺のお兄ちゃんもね、怒っていませんよ。葵くんを心配しているの」

 

 康乃がその背を撫でながら言うと、蕾生もそれを受けて大きく頷いた。

 

 藍は少し戸惑うような顔で黙っている。 

「……」

 

「あなた、お名前は?」

 

「藍……」

 

「いいお名前ね。そしていいお姉ちゃんなのね」

 

 康乃はにっこり笑って目の前の藍を褒めた。藍の存在は確かに葵の心の拠り所だった。

 

「葵は……一人で、寂しくて……」

 

「それであなたが側にいてあげたのね」

 

「うん……」

 

 しかし、藍の存在が消えかけている以上、葵はそれを乗り越えなければならない。寂しさのあまりに具現化されてしまった藍を、自身に戻す強さを手に入れなければならない。

 その手伝いを、康乃は菫の代わりに請け負うことを誓う。

 

「もう大丈夫よ。葵くんは今日からこの里の子になるからね」

 

「本当?」

 

 藍は不安気な顔で聞いた。ひたすらに葵が心配なのだろう、そして自分がもうすぐ消えることも藍はわかっている。


 二人分の不安を抱える健気な子どもに康乃はにっこり笑って言った。

 

「お母さんの代わりにはなれないかもしれないけど、おばちゃん達がずっと一緒にいるから大丈夫よ」

 

「うん……」

 

「藍ちゃんともね、ずっと一緒よ」

 

「あたしも?」

 

 存在してしまった以上は藍も別個の人間だ。藍自身も納得して消えなければ意味がない。

 

「うん。だからね、安心してお帰りなさい。これからは葵くんとおばちゃん達とずっと一緒」

 

「葵!聞いた?」

 

 康乃の真心を受け取った藍はパッと顔を輝かせて葵の方を振り向いた。絹糸に包まれた葵は虚に曇る瞳で藍を見ている。

 

「……」

 

「葵!もう大丈夫だよ、もういいんだよ!お姉ちゃんがずっと一緒だからね」

 

 藍は葵に向かっていく。小さな手を伸ばしてありったけの愛を手渡そうとしていた。

 

「おねえ……ちゃん……」

 

 曇った瞳に少し光が宿る。葵の鵺としての体が朧になっていく。

 

「ずっと、一緒だよ──」

 

 藍は笑顔のまま消えていく。最後に小さな光の粒になって葵の中に入っていった。

 すると葵の体がまた青い光を放ち、一瞬だけ眩しく輝く。その光が収まると葵は人の姿に戻っていた。

 

「──戻った!」

 

「すごい……」

 

 見届けた永と鈴心は目を見張る。

 梢賢は目に涙をためて鼻をすすっていた。

 

「あかん、こんなん、奇跡やん……」

 

 上空では康乃が絹糸を引き寄せて気を失った葵を抱きかかえた。二人を背に乗せた蕾生がゆっくりと地面に降り立つ。

 

「──くっ!」

 

 蕾生の背から降りようとした康乃は葵を抱えたまま膝から崩れ落ちた。

 

「御前!」

 

「康乃様!」

 

 直ぐに墨砥ぼくと瑠深るみが駆け寄った。葵を瑠深に預け、康乃は墨砥に支えられる。

 

「はあ、はあ……だい、じょうぶです。でもさすがに疲れたわ……」

 

「お見事でございました」

 

「やあね、これくらいは軽くできないといけないのだけど、年をとったわねえ」

 

 荒い息を整えている康乃の後ろで、金色の鵺である蕾生もガクリと体勢を崩す。

 

「ライくん!」

 

「ライ!」

 

 永と鈴心が駆け寄る。蕾生はすでに自分では立てなくなっており、ぜえはあと苦しそうに呼吸していた。

 

「消耗が激しいわ。すぐに戻しなさい」

 

「え、でも、どうやって?」

 

 康乃が厳しい口調で言うけれども、永にも鈴心にもその方法がわからなかった。

 

「前にお兄様は呪文を唱えましたが……」

 

「あんな変な呪文なんて覚えてないよ!」

 

 息も絶え絶えの蕾生の姿に焦りながら永が狼狽える。

 皓矢こうやが以前使った術が出来るわけがない。白藍牙はくらんがの使い方も碌に教えてくれなかった皓矢には怒りを覚える。

 

 あのどグサれ陰陽師が!今すぐ来てライを元に戻せ!

 

 永が心の中で毒づいた時、聞き覚えのある涼しげな声がした。


 

 

「呪文はいらないよ」


 

 

「げ!」

 

「お兄様!?」

 

 村人が逃げた方向から、パリッとしたスーツに身を包んだ銀騎しらき皓矢こうやが現れた。

 

「どど、どうしてお前がここに!?」

 

 なんというタイミング。鮮やか過ぎて永の頭は一瞬パニックになった。しかしそういう自分の行動に対する自覚がない皓矢は、まず目の前の事案に指示を出した。

 

「まずは蕾生くんを戻しなさい。白藍牙に永くんが祈ればいい」

 

「ええ?」

 

 永が半信半疑でいると、皓矢は少し挑発するような口調で言った。

 

「これくらいは僕なしでもできるようにならないと」

 

 目論見通りカチンときた永は白藍牙を握った。

 

「おお、上等だ、やってやんよ!」

 

 蕾生は相変わらず荒い呼吸で苦しんでいる。祈れと言われても勝手がわからない。けれど蕾生の無事を願う気持ち、蕾生に戻ってきて欲しいという気持ちを永は白藍牙に込めた。

 

「ライくん、お疲れ様──」

 

 呪文は覚えていないがあの時皓矢がしていた動作を思い出しながら永はやってみた。

 白藍牙に祈りをこめてその切先を優しく蕾生の額に当てる。すると金色の鵺の体が輝き始め、黄金色の雲が包んでいく。

 雲は靄となりゆっくり晴れて、そこには人の姿に戻った蕾生が立っていた。しかし蕾生はそのまま倒れそうになる。

 

「──!」

 

 永は手を伸ばして蕾生を支えて抱き締めた。

 

「お帰り、ライくん」

 

「おう……キツかったけどな……」

 

 疲れ果てた声ではあったが、蕾生は穏やかに笑っていた。

 

「ライ!良かった……」

 

 鈴心も駆け寄って蕾生の体をさする。

 

「葵は?」

 

「大丈夫や、康乃様が守ってくれとる」

 

 梢賢が指差す方、瑠深と康乃に抱かれて眠る葵を見て蕾生は安堵の溜息を吐いた。

 

「良かった……」

 

「良かったのはライオンくんもやで」

 

「?」

 

 涙声の梢賢の言葉がすぐ近くで聞こえた。

 

「ありがとう。ありがとうな」

 

 ぐずぐずの顔を向けて言う梢賢に、蕾生は思わず苦笑する。

 

「不細工な顔だな」

 

 でも、その顔は結構好きだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る