第六章

6-1 祭の準備

 織魂祭しょくこんさいを明日に控え、雨都うと家では全員が準備に追われていた。

 両親と姉夫婦が忙しなく家中を走り回っているが、梢賢しょうけんはるか達とのんびり見学を決めこんでいる。

 

「なんか急に慌ただしくなったね」

 

「まあ、毎年こんなもんや。本堂の準備が終わったら次は藤生ふじきンチや」

 

「藤生でも儀式があるの?」

 

「ていうか、そっちが本番やな。寺で精進潔斎した後、里の皆で藤生家に行くんや」

 

 鈴心すずねはそれを聞いて目を丸くしていた。

 

「村の全員が、ですか?」

 

「ちゃうちゃう。各家庭の代表者だけや。さすがにそんなには入らん」

 

「つってもそれでも大人数だろ。そんなに広い場所があんのか?」

 

 続いて蕾生らいおが聞くと、梢賢は更に説明する。

 

「家の中ちゃうよ。藤生家にはな、裏山に祭の日だけ入れる聖域があんねん」

 

「聖域?」

 

「まあ、君らも明日行くやろうから隠してもしゃあないわな。そこには資実姫たちみひめ様の御神体がある」

 

 そういう話題に一番興味がある永が身を乗り出した。

 

「御神体というと?」

 

「ふるーい藤の木や。樹齢は千年超え」

 

「資実姫は藤の木の化身なの?」

 

「いや、元は別のもんらしいで。ここは藤生の地元ではないからなあ」

 

 すると鈴心は考えながら梢賢に聞く。

 

「敗戦で成実なるみ家がここに逃げてきたと言う事でしたね。御神体の御霊みたまをその藤に移したんでしょうか?」

 

「さあ、ウチら他所もんには細かい事はわかりまへんわ」

 

「……」

 

 ヘラヘラ笑ってとぼける梢賢の姿はすっかりお馴染みの光景になってしまった。そうやってあまり深入りしないのが雨都の処世術なんだろうと永は思う。

 

「しょーけええん!」

 

「ぐええええっ!」

 

 四人で雑談をしていると、突然白い糸が梢賢の首元まで伸びてきて、締めつけた。梢賢はヒキガエルの様な声で苦しんでいる。

 

「!!!」

 

「暢気に立ち話とはいい度胸だ!ちったあ手伝え!この穀潰しが!」

 

「ね、ねえちゃん……死ぬ、死ぬ」

 

 優杞ゆうこの手から出ている艶めく頑丈な糸を初めて目の当たりにした永達は、驚きとともにそれに目を奪われていた。

 

「あ、忘れてた!おほほほ!見た?」

 

 三人の視線にやっと気づいた優杞はすぐに糸を消して梢賢を解放する。愛想笑いで誤魔化そうとしたが、時既に遅い。

 

「内緒!内緒よ?」

 

 梢賢の仕打ちに慄いた三人は無言で力強く頷くのが精一杯だった。

 

「あー苦し。姉ちゃん、オレ達の力なら話してあんで」

 

「ああぁ!?」

 

 優杞は思わずメンチを切った。

 それに恐れながら三人は口々に感想を述べる。

 

「す、すみません……」

 

「すげえ……」

 

「確かに梢賢くんのより、頑丈そう……」

 

「やだあ、よしてよ!褒めても何も出ないわよぅ!」

 

 照れ隠しなのか優杞は大袈裟に笑っていた。それに愛想笑いを返していると、楠俊なんしゅんが外から帰ってきて四人に声をかける。

 

「おーい、梢賢くーん!皆も一緒に藤生に行くよー!」

 

「え?なんで?」

 

康乃やすの様からヘルプ要請!元気な男手が欲しいんだって」

 

 それを聞いてまず飛び跳ねたのは永だった。

 

「やった、チャンス!」

 

「行きましょう、すぐ行きましょう」

 

 鈴心も目を光らせてやる気を見せたが、蕾生は気乗りがしなかった。

 

「俺、あのおばさん苦手だな……」

 

「まあまあ、資実姫を探るなら今だからさ!」

 

「明日の有事に備えて、出来るだけ情報を集めましょう」

 

 永と鈴心にそう促されては、蕾生も応じるしかない。すでに玄関を出て縁側に回ってきた永が蕾生のスニーカーを持ってくる。蕾生は渋々立ち上がって、縁側から降りた。



  

 藤生の邸宅に着くと、玄関先で康乃が待ち構えていた。皆の姿を確認するといつも通りのにこやかな笑顔で迎える。

 

「まあまあ、ありがとう。お客様なのに手伝わせてしまうなんてねえ」

 

「いえいえ、気にしないでください。うちのライくんは牛三頭分くらいは働けますから」

 

「おい、こら」

 

 笑顔につられて永もニコニコ笑って答えると、後ろで蕾生が渋い顔をした。その様子に康乃はますます笑って言う。

 

「まあ、頼もしいわ。毎年裏山に舞台を建てるのが重労働でねえ」

 

「じゃあ、やろうか。梢賢くん、蕾生くん頼んだよ!」

 

 やる気十分の楠俊に促されて、蕾生はその後についていくしかなかった。梢賢もだったが、ふと振り向いて永を見る。

 

「ハル坊は?」

 

「ごめんなさい。編み物仕上げたら疲れちゃって!」

 

「ぐぬぬ……ずっちぃ……」

 

 テヘ、と舌を出して笑う永に歯ぎしりしてから梢賢は楠俊達の後を追った。

 

「慣れない方に編み物は大変だったわよね。大丈夫?」

 

 永の言葉は重労働から逃れるための方便だったが、康乃は少し心配そうに尋ねた。

 それで永も少し罰が悪そうに笑って答える。

 

「ああ、はい。一晩寝れば回復しましたから」

 

「そう。良かった」

 

眞瀬木ませきの方は……?誰もいらしていないんですか?」

 

 こんな重要な行事なのに眞瀬木の者が誰もいないのを確認した鈴心が聞くと、康乃は相変わらずの軽い口調で教えてくれる。

 

「ああ、ぼくちゃん達は家で明日の道具なんかを揃えてるわ。八雲やくもが中心でね。

 今年は瑠深るみちゃんも手伝ってくれるみたいでね、眞瀬木も頼もしい後継がいて良かったわあ」

 

「跡取りはけいさんなのでは?」

 

「珪ちゃんと瑠深ちゃんが半分ずつ継ぐって聞いてるわ。仲の良い兄妹だから眞瀬木も安泰ね」

 

「そうですか……」

 

 康乃の雰囲気は楽観的で、眞瀬木の方針を疑っていないようだった。尋ねた鈴心にしても、部外者が口を出していい事ではないので康乃の認識を確認するだけにとどめた。

 

「お祖母様──あ!」

 

 そんな世間話をしていると、裏の方から剛太ごうたが早足で駆けてきた。鈴心の姿を確認してぽっと頬を染める。

 

「おはようございます、剛太さん」

 

「お、おは、おは、おはようございます!」

 

「……」

 

 どもりながらぎこちなく会釈をする剛太の態度に、永は少し苛立った。そのせいで笑顔が張りつく。

 

「どうしました、剛太?」

 

「あ、あの、楠俊さんがお祖母様に見て頂きたい箇所があるって──」

 

「そう。今行きます。貴方方もいかが?」

 

 康乃は剛太に頷いた後、永と鈴心に向かって微笑んだ。

 

「是非」

 

 張りついた笑顔のままで永は答えた。

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