第三章

3-1 街へ

 次の日。雨都うと家の朝は早い。柊達しゅうたつ楠俊なんしゅんには朝のお勤めがあるからだ。

 それが終わるのを待つと、普通の家庭よりは朝食の時間が遅くなる。食べ終わる頃には陽も強くなっていた。

 

「そうだ、姉ちゃん。自転車貸してくれへん?」

 

 食べ終えた食器を片付けながら梢賢しょうけんが言うと、姉の優杞ゆうこは怪訝な顔をしていた。

 

「あんた自分のがあるでしょうが」

 

「オレが使うんやないよ。ハル坊達に貸して欲しいねん」

 

「今日はどっか行くの?」

 

 優杞がそう聞くと、梢賢は目を逸らしながら答える。

 

「ああ、うん、まあね。せっかくだから高紫たかむらさきで遊ぼう思て」

 

 すぐに嘘だと姉にはわかった。だが両親がまだそこにいたので、仏心で問い詰めるのは止めた。

 

「……いいけど」

 

「サンキュー!じゃあ、行くか!」

 

 返事を聞くとすぐに梢賢は立ち上がってはるか達を促した。早くこの場から去ろうという気持ちがミエミエであった。

 

「梢賢」

 

「ピッ!」

 

 父の柊達の低い声が梢賢の動きを止める。

 

「蔵の件が解決していないのに遊びに行く、だと?」

 

「だって、大人達の話し合いも終わってへんのやろ?オレ達かてその間ヒマやん!」

 

 苦しい言い訳ではあった。だが柊達は溜息を吐いた後それを許した。

 

「まあ、そうだな。仕方ない、夕方までには客人共々帰って来なさい」

 

「ほーい!行こ行こ!」

 

 これ以上の長居は禁物。梢賢は蕾生らいおの背中を押しながら居間を出る。永と鈴心すずねもそれについて家を出た。



「ふー、危なかったで。なんとか誤魔化せたな」

 

 寺の門まで来たところで、梢賢が汗を拭う仕草で言う。永は苦笑していた。

 

「誤魔化せたのかなあ?」

 

「少なくとも優杞さんは気づいているようでしたよ」

 

 鈴心が言えば、梢賢はイタズラするような笑顔で優杞の自転車を持ってきた。

 

「まあ、姉ちゃんはオレの好きにやらしてくれるからな。さっさと街に出ようや!ハル坊と鈴心ちゃんはこれ使い」

 

「ママチャリなら二人乗りできそうだね。リンが後ろね」

 

 永が荷台に触りながら言うと、鈴心は真顔で首を振った。

 

「いいえ、とんでもない。私が漕ぎますからハル様が後ろに」

 

「何言ってんの、そんな絵面目立つでしょ!いいからリンは後ろ!」

 

 とんでもない想像をさせられて、永は慌てた。それは絶対にやってはならない。やるものかという固い意志を示す。

 

「……御意」

 

 渋々頷いた鈴心を他所に、蕾生は素朴な疑問を投げかける。

 

「てか、二人乗りなんかして大丈夫か?補導されねえ?」

 

「おお……意外な人物から意外なご意見」

 

「なんだと!?」

 

 茶化す梢賢に蕾生は憤慨する。そして少し悪巧みを話すように梢賢は小声で言った。

 

「まあ、里を出るまでは誰にも会わへんから大丈夫やろ。ただし、街に入ったら即自転車降りて引いて歩くで」

 

「うん、わかった」

 

 永が頷いて自転車に乗り込む。鈴心も後ろの荷台に座った。梢賢は続けてマウンテンバイクを持ってくる。これが梢賢のものだろう。

 

「で?俺のは?」

 

 蕾生は辺りを見回して聞いたが、梢賢はヘラヘラと笑っていた。

 

「あーっと……、ライオン君は足も速いやろ?」

 

「おい、ふざけんな。自転車に並走できる訳ねえだろ。梢賢の後ろに立つとこねえの?」

 

 掴み掛かろうとする雰囲気の蕾生に、梢賢は大声で抗議した。

 

「アホちゃうか!オレのヤンバル号はごっつ高いマウンテンバイクやねんぞ!百八十の大男を後ろに乗っけるようにできてへんわ!」

 

「一番年上のお前が走れよ!」

 

「いやや!ヤンバル号はオレ専用やねん!──しかたない、この手だけは使いたくなかった」

 

 駄々をこねた後、梢賢はがっくりと肩を落として三人を眞瀬木ませきの屋敷まで連れて行った。



「おー、ルミおったおった」

 

 眞瀬木邸に到着すると、ちょうど玄関先に道着に袴姿の眞瀬木ませき瑠深るみがいた。

 

「最悪、朝っぱらから馬鹿が来た」

 

 梢賢の姿を確認した途端暴言を吐く瑠深に、梢賢は猫撫で声で近づく。

 

「まあまあ、ルミちゃんは朝も早よから修行でえらいなあ」

 

「なんの用?あんまりあんた達に関わるなって言われてんだけど」

 

「なんてことないねん。ルミちゃん、今日一日自転車貸してねえな」

 

「はあ?」

 

 突拍子もないことに思わず声を上げた瑠深だったが、四人を順番に見て、一人だけ自転車を携えていない蕾生を見定めて言った。

 

「なるほど?そこの大男が使うのね?」

 

「むっ」

 

 怒りかけた蕾生を制して永が低姿勢で言う。

 

「すいません、今日は僕ら街に出ようと思って。お願いできません?」

 

「……わかった。貸してやるから早く行きな」

 

 これ以上関わりたくない瑠深は渋々承知した。

 

「悪いなあ、あんがとさん」

 

 だがヘラヘラ笑う梢賢に瑠深は当然の要求を突きつける。

 

「お土産はパティスリーブルーのプレミアムタルト。もちろんワンホールな」

 

「えっ!?」

 

「え?」

 

 ギクリと肩を震わせる梢賢に瑠深は圧をかけながら聞き返す。それで梢賢は観念した。

 

「うう、わかった……」

 

「──よし。ほら、傷つけたらただじゃおかないから」

 

 満足気に頷いた後、瑠深はスポーツバイクを持ち出して蕾生に釘を刺す。

 

「おう。ありがとう」

 

「!べ、別に、タルトにつられただけなんだからね!!」

 

 仏頂面しか知らなかった蕾生が素直に礼を述べたので、瑠深は途端に顔を赤らめて目をそらした。

 

「あ、ああ……」

 

 乙女の微妙な心は蕾生にわかるはずがない。それを生温い目で見ていた永はなんて綺麗なツンデレだと感心していた。

 

 そうして四人は眞瀬木家を後にする。それを陰から見送る姿には誰も気づかなかった。


 

「プレミアムタルト、とは?」

 

 山道に向かう途中で鈴心が興味津々で聞くと、梢賢はがっくり肩を落として答えた。

 

「おお……高紫で一番高いケーキやねん」

 

「ほほー」

 

 鈴心の瞳がキラリと光る。次いで永も疑問を投げかけた。

 

「修行って何の?」

 

「ああ、眞瀬木の呪術の修行をな、そろそろ本腰入れて始めるらしいで。なんせ瑠深は天才やからな」

 

「と言うことは、兄貴よりも?」

 

「せやねん。けい兄やんはあんまり向いてないらしい。だから変なビジネス始めたんやろな」

 

 それを聞いて永にも昨日の話の合点が行く。なぜ有力な家の跡取りが事業など始めたのかが少し疑問だった。

 

「そういうことか……」

 

 いよいよ険しい山道に差し掛かる。永は余計なことに気を回している場合ではなくなった。








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