2-15 記憶の抑止

「んん?待てよ、ご先祖の事を悪く言うのも気が引けるんやけど、本当にその方法が最善なんか?あくまで初代の考えやろ?」

 

 思ってもみない梢賢しょうけんの冷静な疑問に、蕾生らいおは思わず語気を強めた。

 

「はあ?そこを疑うのかよ?んなこと言ってたら何もできねえぞ」

 

 今までそうだと信じてやってきたものを否定されてしまったら、何もかもが無駄だったことになる。はるかの九百年が無駄だったなんて蕾生は信じたくなかった。

 

「そらそうやけど、オレは身内だから却って心配なんやで。もし君らが初代の、仮に間違った方法にとらわれて正解を見失ったまま何百年も過ごしたんだとしたら、えらい申し訳ないやん!」

 

 身内ならではの視点でないとそれは出てこないだろう。梢賢の心配に永は笑って答えた。

 

「はは、それは大丈夫。確かにこの方法が最も正解なのかはわかんないけど、萱獅子刀かんじしとう慧心弓けいしんきゅうを使った時はある程度の効果があったよ」

 

「ほんとにぃ?今までかてよくて相打ちなんやろ?」

 

「それを言われると耳が痛いんだけど、その時々で事情も違うし、銀騎しらきからの邪魔もかなり入ったしね」

 

 肩を落として言う永に、蕾生は質問を投げかけた。

 

「ある程度効果があったってのは例えばどんなのだ?」

 

「うーんと、それなんだけど、どうも記憶が曖昧でね……特に前後関係なんか朧げで」

 

 だが、永は急に自信を無くして言った。

 蕾生もそんな回答が出るとは思わず目を丸くする。

 

「そう、なのか?」

 

 永にわからない事があるなんて、蕾生の常識ではあり得ない。そんな閉じられた常識を打ち破ったのは梢賢だった。

 

「そらあ、そうやろな。前世の記憶なんちゅーもんはないのが当たり前や。なのにハル坊は三十三回分、九百年分の記憶がある──ていう意識があるだけでもえらいこっちゃ。

 何年のいつにあんなことがあった、なんて細かく覚えててみい。絶対精神がやられてまうで。そうならないように忘れるべきなんや、本来はな」

 

 流石に寺の息子は言う事が違う。そういう知識もないまま「永が全部知ってるから大丈夫」だと今まで思っていた蕾生は反省した。

 

「そうか。永はずっと覚えてるんだと思ってた。だから相当大変なんだろうなって」

 

「てへへー、ちょっとカッコつけ過ぎちゃったかあ」

 

 蕾生が落ち込みそうになると戯けて誤魔化す永の癖は変わらない。蕾生が気にしないように、鵺化しないようにわざと深刻ぶるのを止めるのだ。

 

「いや、ちょっとホッとした。永が大変なのは良くない」

 

 そういう蕾生への気遣いだけでも大変だろうに、九百年分の知識が蓄積されているなら頭がどうかしてしまわないか蕾生はずっと不安だった。

 だが、梢賢の言う通りだとすると、永にも負担にならないようなストッパーのようなものがあることは喜ばしい。

 

「あ、ありがと。それでね、この本を読んだら、少なくとも雲水うんすい雲寛うんかん親子と体験したことはかなり思い出せたよ。やっぱり記録に残すって大事だね」

 

 少し照れながらも、永は書物を眺めてうんうん頷いていた。

 

「せやな。君ら本人は死んだら全くの他人に生まれ変わる。記録を受け継ぐことなんてできん。その代わりにウチのご先祖がこうやって書き記したんやろな」


「だから、これ以降の記録が盗まれたのが本当に惜しいよ。記録が読めたらはっきりと思い出せることが沢山あると思うんだ」

 

「それはそうかもしらんけど……」

 

 梢賢は少し不安になった。仮に盗難などなくて全ての記録を一気に永に見せれば、九百年ぶんの知識を思い出すことになる。そんな記憶の奔流みたいなことが起こったら、果たして永は正気でいられるのだろうか?

 

 梢賢がそんなことを考えていると、急に永の焦った声がした。

 

「リン?大丈夫か?顔、真っ青じゃないか!」

 

「だ、大丈夫です」

 

 全く会話に入って来なかったので、鈴心すずねの存在をつい忘れてしまっていた。ベッドに腰掛けたままくらくらと体が揺れるほどに具合が悪そうだった。

 

「そうは見えんで!だから横になってもええって言ったのに!」

 

 梢賢がそう叫ぶと、鈴心は意識も朦朧となっているのに顔をしかめていた。

 

「嫌です……臭い……」

 

「そこまで!?」

 

 もうショックで立ち直れそうにない。

 

「梢賢、入るよ」

 

 いきなり襖を開けた優杞ゆうこの登場が、梢賢には女神のように思えた。

 

「ああ、姉ちゃん!ええとこに来た!鈴心ちゃんが具合悪いみたいなんや」

 

「ええ?あらほんと、顔色が悪いね。すぐに別の部屋に布団敷いてあげるわ。ここは臭いからね」

 

「姉ちゃんまで!?」

 

 ショックで固まった梢賢を他所に、永が優杞に鈴心を託そうとした。

 

「すみません、よろしくお願いします」

 

「いいのいいの、女の子はね、色々大変なことがあるのよ」

 

「そ、そんなんじゃ、ありません……」

 

 鈴心は息苦しそうにしながらも言い張るが、それを優杞が優しくいなした。

 

「いいからいいから。後は野郎達に任せましょ。梢賢、あんたその二人連れて藤生ふじきに行きな」

 

「へ?」

 

 我に返った梢賢は間抜けな声を出す。そんな弟の反応を無視して優杞は言った。

 

「蔵の盗難の件で長達が話し合ってる。あんた達からも話が聞きたいってさ」

 

「ハル坊達は盗んでへんよ!?」

 

「それはわかってる。でもあんた達を尋問しないと収まらない連中がいるんだよ」

 

「けど──」

 

 梢賢が躊躇っていると、蕾生も永もケロリとしていた。

 

「俺達なら平気だ、なあ?」

 

「そうだね。尋問って言われるとちょっと怖いけど、その場に行くことで何か情報が得られるなら僕らは喜んで行くよ」

 

 二人の態度に優杞は笑っていた。

 

「いい度胸だ。うちの弟ばっかり女々しくて、あたしは悲しいわ」

 

「そんなん男女差別やあ!」

 

 そうして鈴心を優杞に預けて、永と蕾生、それから梢賢は藤生家に向かった。

 鈴心の体調変化は熱中症だろうと、この時は誰も疑わなかった。








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