2-6 里長
分かれ道の山道を数十メートルほど登った所にそれはあった。
まず見えたのは大きな寺だった。その門構えを見ながら
「さあ、あの奥にあるお屋敷が里長の
左側には雨都家らしき寺、右側には年代物の大きな屋敷が建っていた。さながらそれは神社の狛犬のよう。奥に見えるさらに広大な屋敷を守っているように見える。
古ぼけた石畳を踏み締めた瞬間、違和感がした。
「──リン、気づいたか?」
「はい」
神妙な面持ちの
「どうした?」
「僕らは、今、なんだかよくわからない壁を通った」
「結界、ってやつか?」
以前に
だが、あれは建物そのものが見えないように細工されていたので、それ以外の例を知らない蕾生にはよくわからなかった。
永の言葉を受けて鈴心も慎重な態度で言う。
「そう──だと思うんですが、今、梢賢は何も手続きのような素振りをしませんでした。なのに部外者の私達も通ることができた」
「ああ……」
言われて蕾生はさらに思い出す。皓矢は結界を緩める手振りをしていた。あのような奇怪な動きを梢賢は全くしていない。普通に通り過ぎただけだった。
「少なくとも、銀騎にはこのような結界術はない。一体どういう理屈で結界を張っているのか、全く得体が知れません」
「銀騎とは別の理で形成された術、か。それなら長年銀騎が掴めなかったのも頷けるな」
「ハル様、この村にもやはり相当な力を持つ呪術師の類がいるのだと思います」
永と鈴心の会話を聞いた梢賢は冷や汗をかかんばかりで、顔を顰めて笑った。
「ほんま、鋭い子らやわあ。恐ろしいなあ」
永は緊張を孕んだ声で蕾生に言った。
「ライくん、気をつけて」
「──わかった」
それを受けて蕾生は背中の白藍牙を無意識に触っていた。
右の屋敷と左の寺の間を通って少し歩くと、純和風家屋の豪邸が顔を出す。
使われている材木は古いものと新しいものがまちまちで、改修に改修を重ねてきたようだ。その見た目は、築二百年とも三百年とも言われても納得するくらいの古いものだった。
屋敷の玄関は開いており、梢賢は何も言わずに入っていく。人の気配はなかった。薄暗い土間と直結している玄関を通って四人は奥座敷へと入る。
広々とした畳の部屋で、奥は一段高くなっていた。低い方の畳の上に何故か座布団が四つすでに並べられている。梢賢が座れと無言で促すので、三人は不気味に思いながらもそれに従った。
「うん。いかにもって感じ」
永はその屋敷の雰囲気から、昔読んだ推理小説を思い出していた。旧家で起こる殺人事件ものだ。
「どんな方なんでしょう……」
鈴心も珍しく不安気にそわそわしている。蕾生は正座が苦手なので座るなり不機嫌になった。
数分経って、五十代ほどの男性が部屋に入ってきた。厳しい顔つきで、三人を順番に見ていく。梢賢から聞いた里長の名前は女性のものだったので、この人物が誰なのかわからなかった。
「?」
「ご一同、よくいらした。私は
墨砥の声は低くも良く通るものだった。少し
「
永が言い終わらないうちに梢賢が小声で耳打ちする。
「
「ああ……」
言われて永は納得した。確かに顔が似ている。
「私に自己紹介は結構。これより康乃様がお見えになるからそこでして下さい」
墨砥は抑揚のない声で言った。その姿に堅苦しさを感じた蕾生はますます居心地が悪くなった。
「では御前がお見えになります」
墨砥の言葉を合図に、部屋の襖を開けて入ってくる老婦人。
深緑色の紬の着物を着ており、歩く所作は気高さにあふれていた。康乃は音もなく歩き、一段上の畳の間で明らかに高価な座布団に座った。横には脇息が置いてあったが、それを使わずに真っ直ぐ正座している。
「初めまして、
にっこり笑っているものの、その声は聞く者を圧倒させる。一瞬永は言葉が出なかったが、すぐ我に返り一礼とともに挨拶する。
「す、
「
「
さすがの蕾生も正しい敬語で名乗るしかなかった。鈴心はこのように圧を与えてくる人物に慣れているのか、少し余裕があった。
「ごめんなさいね、偉そうに上からお話して。そこの墨砥が形式にはうるさいの」
困ったように笑う康乃に、名指しされた墨砥はそれでも表情を崩さずに黙って前を向いて襖の側に座っていた。
「い、いえ!僕らは若輩者ですから!」
永が慌てて言うと、康乃は落ち着いた声で聞く。
「そちらの
その一言で康乃がこちらの素性をかなり詳しく知っていると理解した永は、態度を改め冷静に答える。
「いえ。僕は
「では、英家の末裔とご関係は?」
「全くありません。今までも英の家とは関わってきませんでしたから、僕は子孫については何も知りません」
永がそこまで言うと、康乃は微かに息を吐いてにっこり笑った。
「そうなの。それなら話しやすいわ」
「御前、まさか──」
訝しんだ墨砥を笑顔で制して康乃は言う。
「いいじゃない。相手の事が知りたければ、まずこちらからお示ししないとね」
「──とおっしゃいますと、藤生さんは英家に関係が?」
「まあ、あると言えばあるけれど、血縁という訳ではないわ。私は
何百年ぶりにその名を聞いただろう。永は驚きで目を見張った。
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