イデア魔界儀伝

五十音字ひらがな

プロローグ

第1話 ベルティオ・ドラグーンの物語

 埃が舞う中、剣戟けんげきと怒号が響き渡る。

 焼け焦げた臭気が城内へと侵入し、鉄のように甘い匂いが鼻を刺す。

 目の前には動く気配のない兵士たちが横たわり、かつて銀色に輝いていた鎧は赤黒く濡れ染まっていた。

 私の腹部から剣が突き出ている。

 湿った粘り気のある暗赤色の液体が滴り落ち、血溜まりが広がっていた。

 手足が冷たくなっていくのがわかる。

 強い痛みが背中や腹部だけでなく、腰や肩へと広がっていく。

 立っているのもやっとで、今にも崩れ落ちそうだ。

 私の背後から、剣を刺した何者かの荒い息遣いが聞こえる。

「父上、父上!」

「やだよ父上、やだよ!」

 成人前の第一王子と、まだ幼い第二王子の悲痛な叫び声が聞こえる。

「……っぐ、お父様が、お父様が!」

 王女である娘の震えた涙声も届く。子供たちは無事のようだ。

「——嫌ぁ! ベルティオ!」

「お下がりください、王妃様!」

 取り乱す妻を、近衛兵たちが必死に抑えているようだ。

 後方には妻と3人の子供たち。その身を盾に家族を守る近衛兵たち。そして、私がもっとも信頼する男——宰相。

 だが、その周囲を帝国兵たちが取り囲んでいる。

 この状況をなんとしても打破せねば。ここで倒れるわけには。

 家族を守る。それだけが、私を奮い立たせていた。

 だが、激しい痛みで意識が飛びそうだ。

 呼吸が荒くなり、手が震え始める。

「ベルティオ・ドラグーンよ、信頼していた宰相に裏切られる気分はどうだ?」

 虚をつく言葉を投じたのは、眼前に立つ帝国の勇者。

 大剣を右肩に担ぎ、下卑げびたる笑みを浮かべている。

 裏切られる? 宰相に? どういう事だ?

 言葉は理解できる。だが、脳が意味を処理できない。

「国王陛下、すみませんね。帝国は王妃を私にくれると言うんでね」

 背中越しから聞き覚えのある声。耳にした内容があまりに突飛とっぴで、思考が止まった。

 誰が、何を——こいつ何を言っている。王妃は私の妻だ。帝国のものではない。何故、心から愛する女性を渡すのだ?

 意味がわからない。

「何故って顔だね。宰相殿はな、昔から王妃に恋慕を重ねていたのだよ。純愛だねぇ」

「そうです。そうなのです! 私の純愛は、例え国王陛下あなたでも邪魔はできないのですよ!」

 私の背中を、剣のつばでさらに押し込み、冷たい感情がこもった声で笑っている。

 爽やかな壮年の男性である宰相とは思えない、まるで別人のように薄気味悪い。

 ——裏切られた。

 その事実が頭を支配する。

 信頼していた男の裏切り。怒りが、憤りが、失望が、心を濁していく。そして愛する家族を守れない絶望が、胸を押し潰すような重みとなった。

 私の心はぐちゃぐちゃだ。

 このまま倒れるわけにはいかない。妻と子供たちも、あの裏切り者と眼前の勇者に汚される。

 膝をつくことは許されない。

 だが心情とは裏腹に、視線がゆっくりと落ちていく。勇者の首筋から胸へ、胸から腰へと。

 膝を、膝をつくことは——。

「もう諦めてください。剣にはヒュドラの毒を塗っているので抗っても無駄ですよ。国・王・陛・下」

 慇懃無礼いんぎんぶれいな「国王陛下」という台詞。宰相が今どの様な表情を浮かべているのか容易に想像がつく。

 いつから、いつからだ。いつから妻にそんな気持ちを向けていたのだ。それに気づかなかった自分は、なんて愚かだ。

 家族を守りたいという強い願望が私を突き動かす。力を振り絞り、右手にまだ残っている剣を振るう。

 

 ……カラン。

 

 振ろうとするが、無情にも握力のない手から滑り落ちる。

 ああ……なんて無力なのだ。

 憎たらしく私を刺している剣には、魔法封じの付与魔術が施されていたため、回復魔法を使いたくても魔法自体が発動しない。だが、《忍耐》スキルだけは発動できている。そのおかげで今までなんとか耐えることができた。……だけど、もう限界だ。

 体の力が抜け、とうとう膝が地面につく。

 先ほどまで感じていた鉄のように甘い血の匂いが……もう、分からない。

「流石、英雄と呼ばれた男。ヒュドラの毒に侵されてもまだ抗うか」

 帝国の勇者がうんざりしたように吐き捨てる。

 渡したのは本当にヒュドラの毒なのかと、宰相の疑念と焦りを滲ませた声が聞こえる。皇帝陛下御用達の魔獣毒の研究者たちが抽出した毒だ、間違いないと——帝国第一王子でもある勇者が自信満々に言っている。

 ヒュドラの毒は即効性が高く、1グラムで通常の成人男性の場合、激しい痛みが全身を襲い呼吸困難と麻痺、そして数秒後には身体中の穴という穴から血が吹き出し死に至るという死毒。そのはずだが、どうやら私の《忍耐》スキルは想像以上の働きをしているようだ。

「……はは」

 耐えることができても、抗うことができない。笑えるな。

 ああ、だめだ。……もう、地面の血溜まりしか見えない。顔が上がらない。

 もうかなり呼吸がしづらい。

 手足の感覚もない。

 剣に刺されているというのに、その感覚も無い。

 ……何も感じない。

 鍛冶師が大槌おおづちで刀を鍛錬しているかのような、金属同士の打ち合う音が澄んで聞こえる。

 ……綺麗な音だ。

 怒声と共に、音は時には強く、時には小さく響いている。

 私がこのような状態でも近衛兵たちは、命をかけ家族を守ってくれているのだろう。


 ————ああ、悔しい。


「父上、父上!」

 可愛い我が子たち。

「……そんな、そんな、ベルティオ」

 妻であり恋人でもある私が愛した女性。

 泣かせてしまった。本当にすまない。

 守らねばならないのに。何もできない。

 もう、何も見えない。夜のようだ。

 妻や子供達との思い出を振り返る思考すらできない。

 もう呼吸をしているのかどうかもわからない。

 ……もう一度、妻の声が聞きたい。

 …………ああ、子供たちの声が聞きたい。

 ………………家族たちの笑い声が聞きたい。

 

 

「私の純愛で、私の子供を産むのですよ。あなたが愛した女性は。だから、あの世から祝福してください……国・王・陛・下」

 

 

 それが最後に聞こえた声だった。

 もう、なにも聞こえない。


 

 

 ……悔しい。


 


 

 

    …………悔しい。

 

 


 

 

 

         ………………悔しい。




 

 


 

 

 

 

 そして意識が暗闇へと深く、深く沈んでいく。






 






 

 

 《 ……死亡を確認》

 《スキル■■の■■が発動します》





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初小説にして初投稿です。

月に3〜4回、更新する際は月曜日の06時更新予定です。


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