だから僕らは大人になれない

黒月水羽

第一章 だから俺たちの呪いは解けない

第一話 恋と呪いはよく似てる

1-1 えっと、俺の部屋になんの用?

 羽澤夷月はざわ いつきがドアを開けると、子供が宙に浮いていた。

 

 夷月は自分の目を疑ってまばたきを繰り返し、目をこすったが、宙に浮く子供の姿は消えない。

 中学三年生の十五歳。宙に浮く子供をみたのは初めてだ。超能力者という期待をしてみたが、体が透けて、向こう側にある窓が見えているからおそらく幽霊。


 幽霊だって一度も見たことはないが、超能力者に比べると多少がっかりする。

 それにしても急に霊感に目覚めたのだろうかと、夷月は首を傾げた。どうせ目覚めるなら超能力がいい。なんかカッコいい感じのやつ。


 そんなことをつらつらと考えてしまうほどには動揺していた。人間、意味が分からない状況に遭遇すると、思考回路もおかしくなるらしい。

 夷月が呆然としている間も幽霊は動かず、夷月の机の上にあるノートを見つめている。昨日勉強してそのままにしていた英語のノートである。なんでだ。ノート見て楽しいのか幽霊。


 幽霊の見た目は子供。小学校低学年くらいに見えるが、子供と関わりが少ない夷月にはたぶんとか、おそらくという曖昧な判断しかできなかった。

 髪が長いから女の子かなと思ったが、着ている服はベストに短パン。ボーイッシュにしても良いとこのお坊ちゃんみたいで味気ない。着ている服が高級品だと気づいて、ますますお坊ちゃま感が増した。


 推定年齢小学生のお坊ちゃま幽霊が自室にいる。状況を整理しても、やはり意味がわからない。


 対応に困って見つめ続けていると、やっとこちらの視線に気づいたらしい幽霊が、夷月の方へ顔を向けた。どっかで見たことある。というか羽澤っぽい顔だ。

 

 夷月の生まれた羽澤家は歴史が古く、親戚も多い。遠縁も集めるとかなりの数になるらしいが、詳しい事は知らない。というか枝分かれしすぎて、どこまでが親戚なのかも分からない。全貌は当主である夷月の父、羽澤響も把握できていないだろうという適当っぷりだ。


 その中でも血が濃いと言われている本家出身、それに近い血筋の分家は顔立ちが似ている。周囲からは美形が多くて羨ましいと言われるが、いくら美形でも量産化されたら平凡だと思う。世間一般的に顔がいい方が得することが多いので、ご先祖様が脈々と受け継いだ顔立ちはありがたく有効活用するつもりではあるが、今回の場合は慣れ親しんだ親戚顔というのが重要だ。

 

 羽澤の身内なのだろうが、全く見覚えがない。最近、小学生の子供が死んだという話も聞かない。顔立ちが羽澤家に似通っているだけの無関係の幽霊という可能性もあるが、そうなると夷月の部屋にいる意味がわからない。


「えっと、俺の部屋になんの用?」


 幽霊に言葉が通じるかはわからないが、話してみないとどうにもならないと夷月は口を開いた。会話が通じるなら速攻お帰りいただきたい。この後の予定は暇つぶしにスマホで動画見るくらいなものだけど、平凡な日常に飽き飽きしてるけれど、見ず知らずの幽霊と同じ空間にいたいと思うほどではない。


 しかし幽霊は夷月が話しかけると、もともと大きな目をさらに見開いて、じっとこちらを凝視し始めた。その反応は自分の姿を見える人がいるとは思っていなかったというもので、夷月は声をかけたことをすぐさま後悔した。最善は見えてないふりだったのだと、遅まきながら気づいたのだ。


「君、僕のこと見えるの? え? 何で?」

 幽霊は驚いた顔で問いかけてくる。夷月と同じく混乱した様子に、少しだけ冷静になった。

 

「何でって言われても、見えてるからとしか言いようがないんだけど」


 夷月が首を傾げると幽霊は難しい顔をする。子どもの見た目には似合わない大人みたいな反応だ。

 幽霊はぶつぶつとなにか呟いていたけれど、その声は小さすぎて夷月には聞きとれない。完全に自分の世界に入った幽霊に、夷月は不満を覚えた。 


「何で見えるのかとは俺にはよくわかんないけど、ここ俺の部屋。でもって俺は今からベッドでゴロゴロしながらスマホで動画見るの! 用がないなら帰って!」

「なにその、寂しい休日の過ごし方。友達と遊ぶとか予定ないの?」


 幽霊に可哀想なものを見る目を向けられた。死んだ人間に同情されたくはない。


「一緒に遊びにいくような友達いないの! ほっといて!」

「うわぁ……ぼっちだ。寂しいねえ。青春は一度しか来ないのに」

「死んでる人間に言われたくないから! お前、青春すら来なかっただろ!」


 イラッとして思わず叫ぶ。それから少し言い過ぎたかなと、幽霊の様子をうかがった。しかし幽霊は「たしかに。八歳じゃ青春には早すぎるね」と冷静に呟いている。


 八歳という言葉を聞いて、あらためて幽霊を見つめる。言われてみるとそのくらいの年齢だ。背は低いし顔は丸っこい。小学校入りたてぐらいの親戚を思い出すと、難しいことは何も考えずにはしゃいで笑っていたように思う。それなのに目の前の幽霊は死んでいる。それが少し可哀想に思えた。


「……お前、友達ほしくて俺の部屋に来たの?」

「いや、君と違って友達いるから。僕の心配より自分の心配しな」


 可哀想と少しでも思ったのがバカだった。夷月は頬を膨らませるとずかずかと部屋に入って、乱暴に鞄をベッドの上に投げ捨てる。幽霊が「物は丁寧に扱いなよ。いくら質がよくても壊れる時は壊れるんだから」と幼い見た目に反して母さんみたいなことをいう。ほれを聞き流しながら、乱暴に椅子を引き、机の上に置いてあるヘッドフォンを手に取る。


「俺、動画見るから! 邪魔!」

「ひどいなあ。こんな幼気な子供を邪険にするなんて」


 幽霊は上から夷月をのぞき込む。頭を逆さにしてこちらを見つめるから髪の毛が下に垂れ下がってホラーだ。その髪の多くは机をすり抜けて、なんだかシュレッダーに吸い込まれていく紙みたい。気になって幽霊に手を伸ばす。髪に触れるとさらりとした感触がした。


「さ、触れる!?」

「君は僕が見えるからね。見える人は触れるんだよ」

「えっ、幽霊ってそういうものなの!? 他の幽霊も触れるの!?」

「いや、僕が特殊。君は霊感がないから僕以外の幽霊は見えないし、もちろん触れない」


 そういいながら幽霊は、夷月の頬を突っついた。自分の方が幼いくせに年上みたいな態度をとる。


「幽霊に特殊とか、そうじゃないとかあるの?」

「あるから僕が存在してるんだよ。霊感がない君に見えて、触れられる。これが特殊じゃないならなんていうの?」


 そう言われるとなにも言い返せない。そもそも幽霊が見えたのも初めてだし、幽霊の種類なんて知らない。目の前の存在は浮いたり、透けたりしているわけだから幽霊なんだろう。ドッキリにしては手が込んでるし、夷月に大がかりなドッキリをしかける意味も分からないし。


「それにしても君は変わってるねえ。普通、幽霊が見えたらもうちょっと慌てたり、怖がったりするものじゃない?」

「っていわれても、この家だしさあ」


 つけようと思っていたヘッドフォンを首にかけて夷月は外を見た。

 窓の外には広い庭が広がっており、庭を手入れする庭師の姿が見える。

 この広く大きな屋敷やお手伝いさんを雇えるような財力、古くから続く歴史にそれにより培われた地位を羨ましがる人間は多い。

 なにも知らないからだと夷月は思っている。

 

「幽霊さん、知ってる? この家、呪われてるんだって」


 夷月の言葉に幽霊は驚くでもなく、笑みを浮かべた。イエスともノーともいえない曖昧な笑みだったけど、反応からして知っている。顔立ちからして羽澤の血を引いているから、知っているのは当然かと夷月は納得した。


「この家をつくったご先祖様が呪われて、それから代々、羽澤の血を引いた人間は、みぃんな呪われてるんだって。だからいわく付きのものとかいっぱいあるし、呪いを解こうとして無茶なこともいっぱいしたから、いろんな人から恨みをかってるんだって」


 科学で多くのことが証明できる現代で嘘みたいな話だが、夷月が生まれた家はそういう家だ。家の敷地内には入ってはいけないという禁足地があり、呪いをとくために祈りを捧げたり、供物を捧げる、意味の分からない風習があったりする。お金持ちだ何だと羽澤を羨ましがる人間たちが、この内情を知ったらどう思うのか。想像して夷月は失笑した。


「呪いなんてあるわけないのにね」

「呪いはあるよ」


 大人をバカにした夷月のつぶやきに幽霊が答えた。いつのまにか逆さになるのはやめて、夷月の真っ正面に浮いている。その体はやはり机を通り抜けていて、真剣な顔をしているだけにシュールだ。


「なに? 自分は呪いのせいで死んだとか言いたいの?」


 羽澤家の大人は不幸は全部呪いのせいだという。なんとなく、目の前の幽霊は大人とは違うことを言ってくれると思っていた。八つ当たりだって分かっているけれど、退屈な日常に訪れた変化が自分の思考を否定するのが不満だった。

 しかし幽霊は首を左右に振る。それからふわりと浮き上がって夷月を見下ろした。


「僕は呪いを解くために死んだんだ」


 予想外の言葉に固まる。嘘とか、何言ってるの? とか、いろいろと言いたいことはあったのに驚きすぎて言葉が出てこない。そんな夷月を見下ろして、幽霊は子供とは思えない大人びた笑みを浮かべた。


「羽澤家の呪いは十年以上前に解けてる。それなのに羽澤の人間はそれを認めない。都合の悪いことは呪いのせいにしていた方が楽だからね」


 幽霊の言葉に夷月は納得した。自分のミスだと思うより呪いのせいにした方がいい。そうすれば自分のせいだと思わなくてすむ。誰も悪くない不幸な事故だと思うよりは呪いだと思った方が怒りのぶつけどころができる。

 呪い、呪いと大人たちが怯えたふりをして言い続けているのは呪われていないと困るからなのだ。


「ねえ、呪いって何なの?」


 みんな呪われてるというわりに、具体的なことは口にしない。いや、知らないのだ。大昔に呪われたという伝承だけが伝わっていて、具体的なことは誰一人。

 だとしたら、目の前の幽霊は何で知っているのだろう。そう思いながらじっと幽霊を見つめると、幽霊はにっこり笑った。


「それは気が向いたら教えてあげる」

「えぇー」

「だって僕ら初対面だし、もっとお互いのことを知ってからの方がいいでしょ」

「お見合いじゃあるまいし」


 夷月のぼやきに幽霊は楽しげに笑って「それじゃ、またね」とあっさり窓をすり抜けて帰ってしまった。残された夷月はしばし呆然と幽霊がすり抜けていった窓を見つめ、なんだったのかと首を傾げる。


 数日の時間があき、夢だったのかもと夷月が思い始めた頃、何の脈略もなく幽霊は再び目の前に現れた。こうして夷月と謎の幽霊の交流は始まったのだ。

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