第十話「船は辛いよ」

 出航してから何時間が経ったのだろうか。

 周囲を見渡しても、海、海、海……。

 陸地と思しき影すら見えない。

 分かってはいたが、アルフォナまでの道のりは長い。

 そしてその間、激しい船の揺れに耐えなければならない。


「うっ……!」


 ジャックは胃から込み上げてくるものを察知し、咄嗟に両手で口を覆った。

 口からブツが飛び出してくるのを必死で抑えようと試みる。

 だが、それは無駄な努力だった。

 急いで船の外へ顔を出し、


「ヴォエーーーーーーーーーー!!」


 と、一息。

 さらば、胃の内容物よ!

 そしてそのまま船の縁にぐったりと寄りかかった。


「おい、大丈夫か?」


 フランクは心配そうな顔をしてジャックを見ていた。

 正直、まったく大丈夫ではない。

 むしろ、三途の川を渡りかけていた。

 その証拠に、ジャックの顔は真っ青を通り越して紫に近かった。

 とはいえ、「死にそうです」とも言えず、


「ええ。生きているので大丈……うっ……!」


 再び急いで船の外へ顔を出し、


「ヴォエーーーーーーーーーー!!」


 と、一息。

 さらば、胃の内容物第二弾よ!


「どう見ても大丈夫ではなさそうだな……」


 フランクは顔をしかめていた。

 それにしても、よくみんなして平気でいられるものだ。

 シエラはぐっすりと眠り、ダグラスは黙々と舵を握っている。

 といっても、ダグラスは船乗りでもあるので慣れていて当然なのだが。


「シエラさんは船に慣れているのですか?」

「ああ。昔はよく俺と一緒に軍艦に乗ったものだ」

「軍艦? なぜまた軍艦なんかに?」

「あの頃は俺がまだ帝国軍にいたからよ……」

「て、帝国軍!?」


 ジャックはその言葉に耳を疑った。

 まさかこんな能天気な人が帝国軍にいたなんて。

 あまりにも衝撃的すぎて、ジャックは船酔いのことなどすっかり忘れていた。


「それって本当なんですか?」

「まぁ昔の話だけどな。あ、そうそう。実はダグラスも俺と同期だったんだぜ?」

「あぁ、それに関しては納得というかなんというか……」


 ダグラスが帝国軍にいたことにはまったく驚かなかった。

 逆に、彼の体格の良さが腑に落ちたくらいだ。

 だが、フランクに関しては未だに信じられない。

 追っ手から逃げていた時だって、基礎体力があるのかすら怪しかった。


(フランクさんが帝国軍にいたなんて……。そんなことあり得るのか……?)


 とその時、ジャックはある疑問を抱いた。


「しかし、なぜお二人は帝国軍をお辞めになったのですか? 給料もよかっただろうに」

「それは……」


 フランクは言葉を詰まらせてしまった。

 そして、しばらく考え込むと、


「忘れちまったな」


 と、どこか寂しげに笑って答えた。

 おそらく何か言いづらい事情でもあるのだろう。

 ジャックはこれ以上の詮索はよすことにした。

 それからしばらく会話が途切れた。

 辺りでは、波の音と海鳥の鳴き声がハーモニーを奏でている。

 実に美しく、癒される。

 ジャックがそれに耳を澄ましていると、フランクが口を開いた。


「それにしても、イリザにはあまり長居できなかったなぁ」

「元は違う所にいらしたのですか?」

「ああ。金に困ってたっていうのもあって、稼げそうな都市を転々としていたんだ」

「え? そうだったんですか?」

「シエラに不憫な思いをさせたくなかったしな。で、そんな時にダグラスからイリザで稼いでるって話を聞いてよ。俺もすぐにイリザに移って、2年くらい前から魔導具店を始めたってわけさ」

「2年くらい前……?」


 ジャックはイリザの街で耳にしていた汚い商売の噂を思い出した。

 その噂が流れ始めたのも、たしか2年くらい前だったような気がする。

 つまり、そういうことだ。


「まさか、ぼったくりもその頃から……」

「まぁな。そういや、巷じゃ悪評だったらしいな。フハハハハ!」


 高らかに笑うフランクに、ジャックは呆れた顔をした。

 やはりフランクが張本人だったようだ。

 子供思いなのはいいが、商人としてはいかがなものなのだろうか。

 そんな複雑な思いが彼の中で駆け巡った。

 とその時、ふとあることが頭をよぎった。


「ところで、僕はアルフォナに行ったら何をすればいいのでしょうか? 持ち合わせも全然ありませんし……」


 そうなのだ。

 アルフォナに行くのはいいものの、この先どうすればいいのだろうか。

 イリザでは逃げるのに必死だったので、そのことをまったく考えていなかった。

 フランクは顎に手を当てて、「うーん」と考え込んだ。

 すると、突如としてニコッと笑い、


「分からん」


 と、一言。

 予想外の答えに、ジャックは目を丸くして絶句した。

 それから再び会話が途切れた。

 辺りでは、波の音と海鳥の鳴き声がハーモニーを奏でている。

 実に美しく、癒される……とは思えなかった。


(あぁ……僕ってどのみち死ぬ運命なのかな……)


 とにかく絶望感しかなかった。

 すると、思い悩んだせいか、再び”あれ”に襲われた。


「うっ……!」


 急いで船の外へ顔を出し、


「ヴォエーーーーーーーーーー!!」


 と、一息。

 さらば、胃の内容物第三弾よ!

 こうして時間だけが過ぎていった。

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