第三話「暴力娘」

 騒動の後、ジャックはおっさんの家を訪れていた。

 イリザの郊外に位置し、小さな木造平屋建てで屋根は茅葺きだ。

 その中では、おっさんがジャックの赤く腫れる頬に治癒魔術を施している。


「いやぁ、うちの娘が悪かったな。どうも昔から喧嘩っ早いところがあって」

「いえ、僕があんな所で水魔術を発動しなければ……」


 ジャックは深く反省し、溜め息混じりにそう言った。

 おっさんは気まずそうに笑う。

 別の部屋からは、暴力娘が湯浴みをする音が聞こえてくる。


「よし、これでいいだろう」


 そして、おっさんによる治癒魔術が終了した。

 ジャックの赤く腫れていた頬は、なんとか原型を取り戻していた。


「ありがとうございます」

「痛みはどうだ?」

「なかなか引かないですね……。まぁそのうち消えると思います」

「相当強くぶたれたんだな……」


 おっさんは困った顔をしていた。

 それもそのはず、治癒魔術は怪我を治療し、同時に痛みを和らげる魔術なのだ。

 だが、ジャックの頬は腫れが治ったものの、まだ痛みが引かない。

 つまり、あの暴力娘が尋常じゃない力で平手打ちをしたということである。


(ったく、いくらなんでもやりすぎだ……って、いってぇ!)


 ジャックは頬をすりすりと擦った。

 すると、おっさんが口を開いた。


「しかし話は変わるが、今日会った兄ちゃんの弟さん。その……いつもあんな感じなのか?」

「ええ。昔から僕のことを目の敵にしていましてね。まぁ弟だけに限らず、うちの人間はみんなああいった感じです」

「え? そうなのか?」

「我が一族は魔術師の名門を謳っています。そこに僕のような落ちこぼれが生まれてきてしまったのです。そりゃ周りからしてみれば邪魔者でしかありませんよ。嫌われても当然です」

「…………」


 おっさんは返す言葉が見つからなかった。

 すると、あたふたしながら話を逸らす。


「と、ところで魔石があんな素っ裸のままじゃ使い勝手が悪いだろ。杖とか持ってないのか?」


 そう、ジャックが受け取ったのは魔石そのもので、まだむき出しの状態なのだ。

 本来はこれを杖に取り付けて使うのだが、魔石すら持っていなかったジャックが杖を持っているはずもなかった。


「杖ですか……。そもそも魔石すら持っていなかったのでさすがに……」

「まぁそうだよな。さてどうしたものか……」


 おっさんは腕を組んで考え込んだ。

 そして、少しすると、


「おっ! そうだ!」


 と、何かを思いついた。


「たしか娘がもう使わなくなった杖がどこかにあったはずだ。それでよければ譲ってあげよう」

「む、娘さんがですか……」


 魔石だけにとどまらず、杖までただで譲ってくれるとは。

 汚い商売をしていたことを、よほど反省しているのだろう。

 有難い話ではある。

 だが、ジャックは『娘が使っていた杖』というだけで恐怖を感じていた。

 彼の中で暴力娘の存在がトラウマと化していたのだ。


「あのぉ、その杖って乱暴に扱われてバキバキに折れていたりとか……」

「あー、さっぱりした!」

「ひぇ!」


 ちょうどその時、湯浴みを終えた暴力娘が部屋に入ってきた。

 薄手の白いローブに身を包み、胸のポッチが浮かび上がっている。

 ジャックが無意識にそれに目を向けると、暴力娘が彼の視線に気づいた。

 彼女は顔を赤らめると、すぐさま両腕で胸を隠す。


「ちょ、ちょっと! どこ見てんのよエッチ!」

「あ、いや、そんなつもりは……」


 ジャックは必死に否定した。

 すると、おっさんがゲラゲラと笑い始めた。


「安心しろ兄ちゃん! うちの娘に見られて減るようなものなんか何もついてねぇ……」

「あら、何か言ったかしら」

「いてててて!」


 暴力娘は冷静を装いながらも、おっさんの髪を力強く引っ張った。

 彼女の胸はまな板ではないものの、控えめだった。

 どうやらそれがコンプレックスらしい。


(こんな人でも胸の大きさって気にするものなんだなぁ……)


 ジャックは暴力娘をボーっと眺めていた。

 すると、彼女と目が合ってしまった。


「なによ」

「……っ!」


 暴力娘はジト目になってジャックを睨みつけた。


(うわっ、絡まれた……! えぇっと……どうしよう、どうしよう……)


 ジャックはひどく戸惑いながらも、何を言おうかと必死に考えた。

 そして、その結果、


「僕は貧乳女子、嫌いじゃないですよ」


 と、無理に笑って適当に励ました。

 これでも一応、彼なりにご機嫌取りをしたつもりである。

 だが、暴力娘の目つきは鋭くなった。

 すると次の瞬間!

 彼女の足がジャックの顔面を目がけて大きく振り上げられた。

 そして、


 ズゴーン!!


 と、鈍い音が響く。


「うぐっ!」


 ジャックは一気に吹っ飛ばされ、全身を床に叩きつけられた。

 そう、たった今、暴力娘による強烈なハイキックがジャックの顔面に命中したのである。


「ったく! 誰が貧乳よ!」


 暴力娘は腰に手を当てて、むすっとしていた。

 おっさんは、床に倒れてピクピク動くジャックを見て「あちゃー」と呟き、額に手をやった。




 ジャックは再び、おっさんに治癒魔術を施してもらった。

 だが暴力娘の馬鹿力のせいで、またもや痛みが引く気がしない。

 ジャックは半べそをかきながら、顔面をすりすりと擦っていた。

 すると、おっさんが重苦しい空気を変えるべく口を開いた。


「そ、そういや、自己紹介がまだだったな」


 おっさんはそう言うと、咳払いを一つした。


「俺はフランク・オースティン。気軽にフランクと呼んでくれ。それと、こいつが娘のシエラだ」

「フン!」


 暴力娘ことシエラは、そっぽを向きながら鼻息をついた。

 これにジャックと、おっさんことフランクは困った顔をする。

 おそらくシエラから完全に嫌われたのだろう。

 とはいえ、彼女の怒りのスイッチに触れるようなことさえしなければ何も問題ない。

 ジャックはそう割り切って、自己紹介を始めた。


「ジャック・グレース、15歳です。以後、お見知りおきを」

「ほう、ジャックっていうのか。いい名前だ。てか15歳ならうちの娘と同い年か」

「へぇー、そうなんですか」


 と、ジャックはシエラに目を向けた。

 すると、彼女は顎に手を当てて何かを思い出そうとしていた。


「うーん……グレースってどこかで聞いたような……」

「なんだぁ、お前そんなことも覚えてないのか? グレースってのは領主さんの名前だよ」


 フランクは、やれやれとばかりに肩をすくめてそう言った。

 すると、シエラは頭の中で情報を整理し始めた。


「領主さんの名前がグレースで、この人の名前もグレース……。てことは……えぇ!?」


 シエラは状況を理解して慌てふためくと、ジャックにずかずかと詰め寄った。


「あなた、領主さんの一族なの!?」

「え、ええ。一応これでも嫡男です……」

「う、嘘でしょ……。私は領主さんの子供をボコボコにしちゃったってこと……?」


 シエラの顔色はみるみるうちに青ざめていく。

 そりゃこうなるのも無理はない。

 いくらジャックが水をぶっかけたり失言をしたとはいえ、領主の嫡男に暴力を振るうなどご法度である。

 場合によっては、刑に処せられることも考えられる。


「お願い! 許して! 私、捕まりたくない!」


 シエラはジャックの手を取り、涙目になって懇願した。

 先程とは打って変わった態度に、ジャックは戸惑った。

 とりあえず、今はシエラを落ち着かせることにした。


「ご安心ください。嫡男とはいえ、跡継ぎでも何でもない僕一人のために我が一族が動くことなど決してありませんよ」

「そうなの?」

「ええ。貴族というのは冷酷なんです。なので好きなだけボコボコにしちゃって大丈夫ですよ!」

「好きなだけって……。あなた、もしかしてドMなの?」

「え……?」


 そこで会話が途切れ、なんだか気まずい空気になってしまった。

 フランクは困惑している様子だった。


「ま、まぁなんだ、せっかく魔石を手に入れたんだし、跡継ぎってのも夢じゃないかもしれないな!」


 フランクはそう言うと、ジャックの肩をポンッと叩いた。

 ジャックはこれに返事をするかのごとく、口元に薄く笑みを浮かべた。

 すると、シエラが割って入ってきた。


「そういえば、さっき杖がどうこう言ってたけど何の話してたの?」

「あぁそうそう。この兄ちゃんが杖を持ってないらしいから、お前が昔使ってた杖を譲ってやろうと思ってよ」

「ふぅん。それでバキバキに折れてるのか心配してたのね」


 シエラの咎めるような冷たい視線に、ジャックはすぐさま目をそらした。


(やっべ! あれ聞こえてたのかよ……)


 ジャックはまさかの事態に冷や汗をかいた。

 つい先程、『好きなだけボコボコにしちゃって大丈夫ですよ!』と言ったばかりなのだ。

 もはや『僕のことをボコボコにしてください!』と言ったも同然だ。

 そしてたった今、ジャックの失言がシエラにバレてしまった。

 どう考えても彼女からボコボコにされる未来しか見えず、ジャックは覚悟を決めた。

 だが、シエラの様子は意外なものだった。


「まぁ譲ってもいいんじゃない? どうせもう使わないんだし」


 シエラはそっけなく言い放った。

 ……それで終わった。

 これにはジャックも拍子抜けしてしまう。

 なんとあのシエラが暴力を振るわなかったのだ。

 それどころか、やけに落ち着いていた。

 一体どういうことなのだろうか。

 とその時、ジャックの頭の中でシエラの発言が蘇ってきた。


『あなた、もしかしてドMなの?』


 ジャックはシエラからあらぬ誤解を受けている気がしてならなかった。


(まさか……ね?)


 信じたくなかったジャックは恐る恐るシエラの方を向いてみた。

 すると、彼女はゴミを見るような目をしていた。


(う、嘘だろ……オワッタ……)


 途端に、ジャックは心を締め付けられ泣きたくなった。

 ジャックも年頃の男子なのだ。

 そんな彼にとって、同い年の女子からそういった目を向けられるのは精神的ダメージが大きすぎた。

 ドン引きするシエラと、しょぼくれるジャック。

 当然会話は途切れてしまい、再び気まずい空気となってしまった。

 この状況に、フランクはお手上げというふうに肩をすくめて溜め息をついた。




 結局、ジャックは魔石をフランクに預け、杖に取り付けてもらうこととなった。

 完成次第、フランクがグレース家の館へ届けに来るそうだ。

 その後、ジャックはフランクとシエラに別れを告げて帰路についた。

 辺りはすっかり日が暮れ、夜道が月明かりに照らされていた。

 ジャックはその中をしょんぼりと歩きながら、


「僕はドMじゃない……僕はドMじゃない……」


 と、念仏のように呟いた。

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