第二章 死神編
第五話前編 「邂逅」
巨人の悪魔と戦った後、鈴音はその週の学校を体調不良を理由に全て休み、自室に引き篭もっていた。しかし、体調不良の理由はあくまで化けの皮だ。引き篭もった本当の理由は、外が怖かったからである。
考えてみてほしい。悪魔が出現し、そこに鈴音が颯爽と現れて弓矢を放ち、仲間と共に悪魔を討ち果たした。それもみんなが見てる前でだ。そんな超人的なことをしてしまっては、きっと学校中でその出来事と名前が広まっているであろうし、それを聴き込んだマスコミも取材するために外で出待ちしているかもしれない。だから、外で人に関わることは怖かったのである。
しかしながら、一つ疑問があった。一部始終を見た友人からのメールが一つや二つ来てもおかしくはないと思っていたのだが、その件に関して連絡をしてくる者はいなかった。来るのは体調を心配する連絡だけ。気を遣われているのだろうか…余計に不気味である。だからこそ、その疑問を解決するべく、週明けに思い切って学校へ行ってみることとした。
「...あらぁ!鈴音、今日は学校行くの?」
制服姿で階段から降りた鈴音は、朝食をテーブルに準備する祖母に呼び止められる。
「うん、そろそろ行こうかなって...。」
「体調は大丈夫なの?治った?」
「まぁ...ある程度は回復したかな。」
鈴音と祖母の何気ない会話が交わされつつ、二人はテーブルを挟んだ相対する位置に座り、手を合わせて、朝食へと手を進ませる。
今朝の朝食はコンスープにサラダ、食パンにスクランブルエッグとバランスのとれたメニューである。
「最近はテレビも面白いものやってないわねー。芸能人の不倫報道ばっかり。」
片手にパン、片手にテレビリモコンを持った祖母は、テレビ番組をくるくると回しながらそう呟く。
「あら、このニュース横浜みたいよ?昨日深夜に、孤児院で大規模な火災発生ですって。放火した犯人は現在逃走中...怖いわねぇ。」
横浜という単語に反応し、鈴音はテレビに視点だけを送る。そこには丸焦げになった建物が大きく映し出され、火災の規模の大きさを感じさせられる。だが、地名を見るとどうやら横浜市の西端での事件らしい。横浜市というのはとても範囲が広いため、東側に住んでいる鈴音からしたら危機感を覚えるほどのニュースでは無い。
「...まぁでもすぐ捕まるでしょ。日本の警察からは逃げられないよ。」
「そうねぇ、早く掴まって欲しいわねー。」
ニュースを二人で見ながらあぁだこうだと会話をするのが、毎朝のルーティン。一週間ぶりに触れたルーティンに、鈴音はまた日常に戻るのだという嫌な感覚を覚える。
「ごちそうさまー!」
食器を片付け、自室へ戻ってバッグやその他諸々の登校への用意を済ませて家を出る。いつもの時間、いつもの道を通り、駅までたどり着き、横浜駅までゆっくりと電車に揺られる。色々な要因が重なり、内心ドキドキしていたが、何とか学校の前までたどり着くことが出来た。
「…久々だなぁ。」
特にマスコミに絡まれることも無く、閑静な住宅街を歩き、無事に高校前まで辿り着いた。あれだけのことをしていて、自分の身に何も無いことの方がおかしいと異常を感じ始めていたその時、ついに後ろから声をかけられた。
「あれ…?もしかして鈴音ちゃん!?」
後ろから声をかけられたのは、同じクラスで最近仲良くしていた女子達であった。
「や、やぁ!マオちゃんにサクラちゃん、久しぶり!」
予期せぬ声掛けに動揺し、思わず変なテンションで挨拶をしてしまう。絶対に今の顔、引きつった笑顔になってるんだろうなと自分でも分かる。
「本当に久しぶりだね!一週間何してたの?ラインも送ったのに返信もないし、心配してたんだよ!」
マオが鈴音との久々の出会いに興奮し、高めのテンションで鈴音に問いかける。
そう言えば、マオちゃんからも体調を気遣うラインがあったのだが、誰からの連絡も反応しないままここにきてしまった。本当のことは言えるわけもないし…
「――う、うん!ちょっと一週間ずっと体調悪くてね…連絡は気づいてたんだけど返信するのも辛くて無視みたいになっちゃった、ごめん!」
ここは咄嗟に嘘をついて誤魔化す。すると、それを聞いた二人は…
「そうだったんだね!体調はもう大丈夫なの?無理しないでね?」
「体調は大丈夫だよ!ありがとう!」
特に疑う様子もなく、二人は鈴音の体調を気遣った。悪魔の戦いではあれほど派手な技をかましてしまったというのに、それに関しては何も問わないのであろうか…。
「じゃあ鈴音ちゃん、一緒に教室まで行こー!」
仲の良い二人に連れられて、鈴音は自分の教室まで歩を進める。階段を登って二階の廊下に差し掛かったその時であった。ガタンとした物音が廊下で響き渡った。
かなり大きな物音だ。しかし、誰もその物音に見向きもしない。その様子を見て、鈴音はその場で歩みを止めた。
「どうしたの?鈴音ちゃん?」
突如として足を止めた鈴音に対し、不思議がる二人。鈴音は二人の疑問をかき消すかのように、屈託のない笑顔でこう言った。
「ごめん!職員室に寄らなきゃ行けなかった!先に行ってて!」
鈴音は二人と別れを交わすと、すぐさま音のした階段の方へと急ぐ。すると、一階から二階へあがる階段の途中でオレンジ色のパーカーを着た少年――安倍神楽が倒れていた。
「神楽くん!?大丈夫!?」
神楽の左腕を肩にかけ、何とかその場で立つことに成功する。
「ありがとう、助かった。本当に申し訳ないけど、落ちている松葉杖を拾って欲しい。」
神楽の真横に落ちていた松葉杖。どうやらあの物音は松葉杖が階段に落ちてしまったものらしい。
神楽が手すりに寄りかかっている間に松葉杖を取り、神楽の手元へと渡す。
「神楽くん、階段なんて使って大丈夫なの?まだ体的に難しいんじゃ…。」
そう心配する鈴音に対して、神楽は片手の平を鈴音に向けてこう言った。
「いや、これでも登れてはいたんだ。けど、今日はたまたま人に当たってしまっただけさ。」
「人に当たって…。」
その言葉を聞き、以前の下駄箱で神楽が人に体当たりされたシーンが思い起こされる。
何故か、神楽は異常な程に周囲から存在を認知されない。まるで、幽霊であるかのように全ての人が神楽という存在自体を認識していない。これを影が薄いからと本人は言っていたが、それで片付けられるようなものかは少し疑問ではある。とはいえ、この特性がある神楽だからこそ、人に当たってしまうというのは日常的にある事だと想像が着く。
「そうなんだ…じゃあ上まで一緒に行ってあげるよ!その方が安全に登れるでしょ?」
その提案を聞いた神楽は、少し目を見開きながら鈴音に問返す。
「え、いいのか?君も色々準備とかあるだろうし…。」
「全然平気!それに、今まで色々助けてくれたから…少しは恩返しさせて?」
神楽には大きな恩がある。
一つ、自分を悪魔の手から救ってくれたこと。二つ、悪魔に対抗できる力をあたえてくれたこと。三つ、親友である結衣ちゃんを救ってくれたこと。神楽からは色んなものを貰った。いや、貰いっぱなしだった。だから少しでも、こういった小さなことで恩返しがしたいと思った。
「恩返し…か。ありがとう。」
その言葉を聞いて、神楽はふと小さな笑みをこぼす。
神楽と共に三階の三年生フロアまで階段を登り、そして神楽のクラス教室へと足を踏み入れる。
「本当にありがとう、ここまで来れば大丈夫。助かったよ。」
「全然いいよ!私にできることはこれぐらいだし。」
鈴音は両手をバタバタと振りながら謙遜する。神楽の怪我も、元は未熟な自分の肩代わりをしてくれたものである。内心、このぐらいはして当然という気持ちであった。
「また何かあったら遠慮なく言ってね...!このぐらいなら私もできるから。」
「そうか...じゃあ早速お言葉に甘えてもいいか...?」
早すぎる依頼に少々驚いた神楽であったが、真剣な顔で頼まれた依頼内容に、断る理由は一切なく、鈴音は笑いながら二つ返事で承諾をした。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
茜色に照らされた二つの影がコークリート上で揺らぐ。いつもの帰り道とはまた違った、涼しい夏風が2人の間を吹き抜けていた。
「ごめん、帰り道も付き添ってもらっちゃって...。」
神楽は眉を落とし、歩幅を合わせて付き添う鈴音へ、申し訳なさを口にする。
「全然いいよ!私、暇だし!」
神楽の申し訳なさを払拭するかのように、鈴音は笑顔でそう返す。
なぜこのような状況になっているのかと問われたら、それは朝方の依頼が事の発端である。一週間前の悪魔との戦いの際、神楽の足は大きく損傷してしまった。現在は松葉杖があれば歩行できるレベルにまで回復したが、どうしても足が上がらず階段を登りきるのにかなり苦労しているらしい。学校の階段は手すりがあるため、自力でも何とか登れるらしいのだが、問題は家路に着く道中である。
「帰りの道は良いんだ、階段を使わないルートを選んで行けば。ちょっと遠回りにはなるけどね。」
微笑をこぼす神楽の頬に、1粒の汗が滴る。私たちが何気なく通う通学路も、怪我をした神楽にとっては大きな試練であるのだということを認識できる。
しかしながら、季節はもう6月後半。徐々に夏の暑さが迫りつつあるが、未だに神楽の服装はオレンジ色のパーカーに制服...。神楽からは汗が滲み出ているが、果たしてその服装で暑くないのだろうか...。
「ねぇ、神楽くん。そのパーカー暑くないの?」
鈴音は自分の疑問点を思い切って聞いてみることにした。それを聞いた神楽は、無言で自分の服装に視線を向け、流れるように額に手を当てる。夕日に照らされて煌めく水分の存在に気づいた神楽は、まるで今初めて汗が出ていたことを認識したかのように、目を細めながら口を開いた。
「...どうやら暑いみたいだな。これから夏本番だし、衣替えしてみるよ。」
「え、神楽くんは会った時からその服装多かったけど、今まで暑くなかったの?」
「暑さ...。そうだね、俺は暑いと思ったことなかったな。でもこんだけ汗かいてるってことは暑いだろうから衣替えしてみる。言ってくれてありがとう。」
神楽の言い方はたまにどこか違和感を覚えることがあるが、その違和感の正体が分からない。だが、今すぐ解決すべき違和感でもないと思い、考えるのをやめた。
「さぁ...問題はここからなんだ。」
そんなこんなで時間は過ぎ、問題の場所で二人は足を止めた。その問題の場所とは、神楽の自宅がある神社へ向かうまでの階段の道のりだ。
「本当に申し訳ない。悪いが肩だけ貸してほしい。」
神楽に申し訳なさそうに頼み込まれた鈴音は、神楽の左側に立って肩を貸す。右手は松葉杖を付き、ゆっくりと一段一段をあがる。息が上がり、汗が滲む。そんな努力を重ねた結果、やっとのことで神社の前までたどり着くことが出来た。
「はぁ...はぁ...ありがとう。本当に助かった...。なんでこの神社は手すりついてないんだろうな。今度、大金費やして手すりを付けるよ。」
「あははっ、その方がいいかもね!」
二人は課題を乗り越え、謎の達成感に身を包まれる。その達成感のままに、二人は思わずハイタッチを交わそうと手を掲げた、その時であった――
「――何してんの。」
後方から若い女性に声をかけられた。二人は手を掲げたまま、体を声のかかった方へと方向転換する。するとそこには...
「――愛桜ちゃ...」
と言いかけたその時、違和感を感じて言葉を止めた。
顔は確かに神楽の妹である愛桜に似ている。だが、前回会った時と違うのは、髪型はポニーテールでメガネをかけていることだ。メガネはすぐイメチェンできるとしても髪は直ぐに伸びてこない。また全体から感じる雰囲気からも、鈴音は本能で違う人であるというのを感じ取った。
「二人とも動きが固まったようだけど、お邪魔だったかしら。まぁ、あなたが誰を家に呼ぼうと勝手たけど、騒ぐのは迷惑だからやめて。以上。」
そう言い捨てた制服姿の女は、そのまま神楽の家へと入っていった。
感情の籠っていない平坦な口調、そしてゴミを見るかのような冷ややかな目...。蛇に睨まれた蛙のように、鈴音は恐怖でその場に凍りついてしまった。
「...ね…すずね...!」
「えぇえっ!え!?」
神楽に肩を上下に揺さぶられ、鈴音は現実に帰る。
「やっと気がついたか...。ごめんな、突然びっくりしただろ?」
「う、うん。あの子は一体...。」
そう聞いた瞬間、神楽は視線を外し、顔を曇らせながらこう言った。
「一応...俺の妹の未歩だ。」
「ぇ、妹って愛桜ちゃんだけじゃないの...?それに顔もすごく似てたけど...」
「...実は、俺には妹が2人いるんだ。そして二人は双子の姉妹だ。」
「えぇえー!」
鈴音はその新事実に驚きを隠せなかった。まさか、神楽に二人も妹がいるとは...。
「とはいえ、性格はあんな感じだ。あんまり関わるのはおすすめしない...いつか傷付くぞ。」
「う、うん...そうだね。」
あの一瞬で、あの子が要注意人物であることは鈴音にも伝わっていた。多分...いや絶対性格が悪い。
「あら神楽!帰ってきたのね!」
突如玄関の戸が開き、出てきたのは神楽の母であった。神楽の隣にいた鈴音とも目が合い、母は優しく微笑み返す。
「鈴音ちゃん...だよね?もしかして神楽を介助してくれてたのかしら。ほんっとうにありがとうっ!」
「い、いえそんな!神楽くんには色々恩もありますから...!」
「ううん、それでもよ!恩があっても行動に移せる人は立派だと思うわ!あ、そうだ!良かったらうちでご飯でも食べてく?お礼も込めて...!」
「母さん...。」
初めてあった時も感じていたが、やはり神楽の母はトークの勢いがすごい。全て流れが掴まれてしまう。それを神楽も感じ取っているのか、少々呆れ顔で母の勢いを止めようとする。だが、止まるはずもなかった。
「そうそう!今晩はカレーにしようと思っていたの!鈴音ちゃんカレー好き?人数多い方がいいし一緒に食べましょ!ささっ!」
神楽母の勢いと誘導の強さに飲まれた鈴音は思わず...
「...はい!」
と思わず元気よく返事をしてしまった。その先の展開が悪いことは読めていたはずだったのに、強さに負けてしまった。
「ほんと!じゃあ今から準備してくるから座って待っててね!」
神楽の母は鈴音の返事を聞き、ルンルンとスキップしながら自宅へと戻っていった。そして、母が帰った二人の間には静けさだけが残った。
「...なんかごめん。うちの母さんは台風のような人だから、本当に勢いがすごいんだ...。鈴音、本当に大丈夫か?」
「う、うん。なんか断りきれなくて...。と、とりあえず頑張ってみる。」
一抹の不安は命中するのか...。
これから、短いようで長い地獄の食事タイムが幕を開けようとしていた。
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