第三話後編 「何のために」

「そんな…まさか…。」


 巨人の体内に取り込まれて存在していたのは、鈴音の友人であった飯田結衣であった。


「ゆ、ゆいちゃんなの…?ねぇ!目を覚ましてゆいちゃん!」


 必死に大声を出して叫ぶ鈴音。しかし、悪魔の中に取り込まれた結衣は一向に目を開けることは無かった。


「どうして…こんなことを…。」


 鈴音はぽつりと静かに呟きながら、ぼやけた視線を地面に向ける。


 確かに、逃げていたクラスメイトの中で結衣の姿が見当たらないとは思っていた。だが、まさか結衣が悪魔と契約を結んでいたなんて…。


「――ニクイ。」


「…ぇ、」


 ふと小さく聞こえたノイズ。憎いと聞こえたその言葉に、鈴音は瞬時に頭を上げる。


「全部、憎かったんだヨ。この世の中ガ、全テ。」


 結衣の思いを悪魔が代弁しているのだろうか。悪魔の口から次々と言葉が流れ落ちる。


「ワタシには、才能がなかっタ。何もせズ、ただ平凡に暮らしてタ。だガ、成長していくと周りのみんなは得意なものや才能に溢れタ。最初は羨ましいだけで済んダ。だガ、なぜ自分には何も才能がないのかと悲しみに変わリ、それが嫉妬に変わっタ。」


「…ゆいちゃん。」


「――才能があるものは人生に苦労しなイ。ワタシ、何も悪いことしてないの二、何故ここまで苦しみなくちゃならなイ。ニクイ、ニクイ、ニクイニクイニクイ!」


「ゆいちゃん、それは違うよ!」


 悪魔の――結衣の思いを知り、思わず鈴音は大きく口を開く。


「ゆいちゃん自身は才能が何も無いと思ってるかもしれない。けど、私はゆいちゃんの良いところ沢山知ってるよ!一人でいた私に気を使って声を掛けてくれた、気配り上手で優しいことを!私や友達が困っていたら、いつも一緒に話を聞いてくれた、ゆいちゃんの思いやりも!だから…!」


「…チガウ。チガウチガウチガウチガウチガァァアゥッ!!」


 悪魔は叫んだあと、少しの間を置いてから言葉で語った。


「そんなものは一つも助けにならなイ。いつか何かに繋がるト、ワタシにできることはこれなんだと思って生きてきタ。だけど…」


 ――何の意味も成さなかった。


 一人でいた鈴音を話しかけた日。あの時近づいたのは、気遣いでも何でもなく、ただ自分よりも苦しい人生を歩んでいるものを見つけて安心したかっただけだった。


 幼い頃から私は平凡に生きてきた。特に何も自主的に習い事などを行うことはなく、先生や親に言われたことをそつなく行ってきた。勉強も運動も、怒られない、恥ずかしくない程度であれば良いとそれなりに取り組んできた。しかし、それが高校に入ってから仇となった。


 高校に入ってからは具体的に自身の進路や夢を決定していく時期にもなった。スポーツが得意なら体育系に、外国語が得意なら国際系に…過去から培ってきた得意分野を生かし、周りの者は進路や夢を確定していった。だが、平凡に生きてきた私は何の取り柄もなく、配られる進路調査票が書けずに提出してしまうのはクラスの中で私ぐらいであった。その時、才能があるものは羨ましいと思うと同時に、若干の焦りと後悔を感じるようにもなった。


 だがある時、同じクラスでいつも1人ぼっちな少女がいることに気がついた。名を結城鈴音。私は、私と同じような可哀想な者を、もしくはそれ以下のものを見つけて安心したかったがために、彼女に近づいたのだ。ぼっちな彼女であれば、大した取り柄もないだろうと…。だが、彼女は違った。才能に溢れていた。むしろ、才能があることで悩みまで抱えるほどに。


 悩み相談を受けることは多かった。悩みの多さはその人の苦労の象徴。だから悩み相談を受ける自分も苦ではなかったし、それが私の存在証明になりつつあった。だが、相談を受ければ受けるほどに、その人の才能の強さを感じることとなり、いつしかそれが羨ましいという感情から妬みに変わっていた。しかし、それでも鈴音はまだ才能がある中でも良い方であった。良い方というのは、まだ才能があるが未だクラス内ではぼっちであり、またその悩みも多く、その点においては私の方が優位なことでもあったからだ。だが最近になり、その拠り所も破壊された。


「…ワタシはアナタが憎かっタ。アナタはぼっちで、ワタシは友達が沢山居タ。だからワタシよりも下だと思っていたの二、アナタがいるからワタシは大丈夫だと思っていたのに…」


 私が悪魔と知り合ったのは随分と前だ。中学生時代に遡ることとなる。悪魔から聞いた話だが、悪魔はその人の願いを叶えることと引心に漬け込み、その人を支配してしまう存在らしい。きっと、前々から私の心の闇を暴いていたのだろう。だが、私には鈴音という希望にも存在証明にもなる人物がいた。だからこそ、まだ絶望に飲まれずに、悪魔と完全に契約を結ぶその手前でずっと抑えてきた。でも、もう限界だった。


「アナタは、多くの友人が出来たことで完全にワタシを超えタ。ワタシの存在する理由も消え去っタ。だから消してやろうと思っタ。この学校モ、世界モ…。」


「ゆいちゃん…。」


 経緯は違えども、同じように世の中を消し去りたいと願った鈴音には分かる。どれだけの苦しみを結衣が抱いていたのか。だからこそ、自身の手で救いたい。苦しみの輪廻から断ち切りたい。


「でモ…。アナタはワタシの邪魔をしタ。アナタとはなるべく戦いたくなかったのニ…非常に…残念だ。」


「――ッ!?鈴音!よそ見をするな!来るぞッ!」


「…ぇ、」


 結衣の言葉に気を引かれていた鈴音。横にいた神楽の言葉で現実に戻ってくるが、その時には既に遅かった…


「――ぁ、」


 悪魔から放たれたサッカーボール程の大きさのヘドロの塊が、勢いを持って鈴音の腹部に当たろうとしていた。もうここから回避しても間に合わない、そう思った。だが、


「鈴音ぇぇえッ!!」


「うがッ!」


 横から勢いよく腹を掴まれた鈴音は、思わず息がつっかえて呻きをあげる。そのまま地面に尻から倒れた鈴音は、何が起こったのかと視線をゆっくりと移動させ、状況を確認する。


「…う、うそ…。」


 目の前の光景を見て、一瞬のうちに状況は判断できた。回避に遅れた鈴音を庇うため、神楽がその身を呈して突き飛ばした。その結果、神楽は数メートル離れた先で血を吐きながらも地面に横たわる状況となった。


「神楽くんっ…神楽くんっ!」


 引けた腰を直ぐに立ち上がらせ、横たわる神楽の元へと駆け寄る。自分のせいで、神楽を傷つけることとなってしまった。


「うそ…返事をして!神楽くんっ!」


 このこぼれ落ちる涙は神楽を想ってのことだろうか。それとも、不甲斐ない自分への自責だろうか。いや、そのどちらも正しい。私が不甲斐ないせいで神楽のことを傷つけてしまったのだから。


「がはッ…鈴音…。」


「神楽くんっ!?」


 目を半開きにしながらも、なんとか声を出す神楽。涙ぐむ鈴音だが、神楽は残った力を振り絞って言葉を掛ける。


「いいか…君の友達は悪魔と繋がってる状態だっ…。だからっ…これ以上説得しても無理だ。あれは友達ではない、もう悪魔だ。悪魔の言葉に、耳を、貸すな…!」


「分かってる…。分かってるけど…私、戦いたくない。この力で友達を傷つけるなんて…できないよぉ!」


 悪を討ち果たすために貰ったこの力。なのに、それで友達と戦わなければならない。確かに、契約を果たしてしまった時点でその人は悪魔と同等なのかもしれない。だけど、だからといって悪魔となった友人を傷つけることなんて…。


「鈴音…いいか。君は何のためにその力を手に入れたのか…考えるんだ。」


「何の…ために…。」


 手元にある水色の弓に視線を移す。


 最初は、もう自分が悪魔に支配されないように、それに対抗する力が欲しいと願って手に入れた。でも、本当のところはどうだ。私は一体、この力を何のために使いたいのか。今、私は――


「…神楽くん。私、気付いたよ。私自身の思いに。」


 鈴音はそう言いながら、神楽の元で立ち上がり、神楽に背を向けてこう言った。


「私、今までずっと考えてた。何のためにこの力を使いたいんだろうって。でも、その答えがやっと出た気がする。」


 水色の弓を引き、矢の標準を悪魔に合わせる。


「私、もう迷わない!この戦いに、悪魔との戦いに勝って、必ず結衣ちゃんを救ってみせる!」


 救い方なんてわからない。契約している悪魔だけを取り除くことができるのかどうかも知らない。だが、どれだけ遠回りをしても、どれだけ時間がかかっても、必ず大切な友達を連れ戻す。だって私は――


「――大切な人を守るために、この力を手に入れたんだから!」


「グォォォォォッ!」


 悪魔のヘドロの量が回復し、宙に向かって大きな雄叫びをあげる。その雄叫びが戦闘開始の合図となり、両者動きを始める。


 巨人の悪魔は、体は大きいがその分動きは鈍い。そのため、悪魔の周りを素早く動いていればまず攻撃が当たることは無い。しかし、それもスタミナ切れになったらおしまいだ。それまでに何としても結衣を救う方法を見つけださなければ…、


「でも…どうすれば…。」


 私が救われた時とはまた話が違う。私の場合は悪魔と契約する前であったから説得が効いたものの、結衣の場合は完全に契約が成立してしまっている。つまり、結衣の精神と体は悪魔に支配された状態だ。それを引き剥がすとなると、もう物理的に結衣の体を分離するしかないのか…。宿主と悪魔を引き剥がしたらどうなるか、全くもってわからない。一種の賭けだ。だが、やるしかない。


「グガァァアッ!」


 その瞬間、悪魔は両手を空高くに振り上げ、そのままヘドロを両手に集めて塊を作っていく。


「…な、何をするつもり…?」


 見たことも無い攻撃。そう考えていたのも束の間。悪魔は空高くヘドロの塊を投げ飛ばすと、その塊が花火のように分離し、校庭へと落ち始める。


「ッ!?まずいっ!」


 ヘドロの塊はある程度の硬度を保っている。そのため、ガラス片が空から降り注ぐのと同じような状況なのである。このままでは、ヘドロの雨によって体が引き裂かれてしまうだろう。ならば…やるしかない…。


「生きとし生ける者よ。神よ、精霊よ、魂よ。私に魔を打ち払う力を与えたまえ。」


 水色の弓矢は色に輝きが与えられる。そして、矢を天高くに構えた鈴音は唱えた。


「――天に轟け!フル・バースト!!!」


 一本の矢が放たれた瞬間、その矢が通過する先に魔法陣が展開される。魔法陣を通る度に、矢の数とそれに伴う魔法陣の数も倍々に増えていき、そして降り注ぐヘドロの雨に対して、逆立つ雨の如くその攻撃を相殺していく。打ち鳴らされた矢の旋律は正しく、ピアノが奏でる美しき音色そのものであった。


「よしっ!やった…!」


 その神秘的な光景に、その場にいた誰もが唖然する。そんな中、鈴音は見よう見まねでの初の解放術フルバーストが成功したことに喜びを表しにしていた。だが、それが悪魔の狙いであった。


「――グガァァアッ!」


 悪魔がヘドロの塊を鈴音とは反対の方向に投げつける。そう、悪魔を中心にして鈴音の反対にいたのは倒れていた神楽。つまり、悪魔の狙いは神楽の始末であった。


「うそ、ダメっ!」


 弓矢は狙った敵を自動追尾できるが、この短時間で塊に対して打てる距離ではない。


 こんなところで神楽を失う。神楽に向かって届くはずもない手を伸ばす鈴音。何か奇跡が起こってくれ。そう願ったとき、駆け寄る足跡と共に、塊による爆音が辺りに響き渡る。


「うっ…前がっ…。」


 砂埃が目に入り、しばらく自身の視界が暗闇に包まれる。砂埃を手で払ったあと、ゆっくりと目を開けた先には驚きの光景があった。


「な…何が起きたの…!」


 倒れた神楽の手前で地面に溶けたヘドロの跡。そして、神楽の先で立っていたのは金の延べ棒を携えた、細身の男であった。


「猿之助!ただ今推参ッ!!」


 そこには「働いたら負け」という文字がプリントされたTシャツを着た、猿之助エンノスケと名乗る謎の人物が仁王立ちで突っ立っていた。顔はその名の通り、サル顔のようであり、髪型はロン毛、体格は神楽よりも身長高めな細身であるが、筋肉はしっかりと引き締まっているかのような立ち姿である。しかし、この人は一体…。


「そこの嬢ちゃん!」


「…ぇ、え?私ですか?」


「そうや!さっきのバースト技、凄かったわ!あんな派手ですげぇの、神楽以来やったわ!いやぁーいいもん見せてもらったでぇ。」


「は、はぁ…。」


 戦闘中であるにも関わらず、なぜだかフットワークが軽い。そんなひょうきんな男に鈴音は動揺を隠せなかった。神楽のことを知っていることから知り合いであるとは思うのだが、仲間なのだろうか。


「とりま、あいつを倒せばいいんか?どうなんや、神楽。」


 後ろで倒れた神楽に対して、背中を向けて話かける。


「その声は…サルか。あぁ、お願いしたい。だが、契約者はあの子の友人だ。だから殺さないでくれ。」


「あの子…?あぁ、はいはい。あそこにおる弓矢を持った子やな?了解やで!ほな、」


 状況を理解した男は、自身の身長ほどはある金の延べ棒の先を悪魔に向けて放った。


「――いっちょ儲けさせて頂きますか!」


「グォォォォォッ!」


 男は咆哮をあげる悪魔に対して、一直線で突っ込んでいく。それを見て、鈴音も謎の男と共闘するべく悪魔の正面側へと足を動かす。


「嬢ちゃん!何があったか分からへんけど、とりま契約者はわいが助け出す!せやから、その弓矢であいつの玉を全部撃ち落としてくれ!」


「わ、わかりました!」


 猿之助はそう言うと、巨人の悪魔に向かって一直線に走っていく。巨人の悪魔も、突如現れた謎の男に警戒心を持ったのか、近づけさせまいとヘドロ攻撃を幾重にも重ねてくる。だが、後方から放たれた鈴音の矢がヘドロを自動追尾し、ヘドロ攻撃が全て相殺されていく。そして、ヘドロを使い果たしてしまった悪魔の体内から結衣の姿が見えた瞬間、


「――そこやっ!」


 猿之助は延べ棒を地面に突き刺してしならせると、延べ棒の長さが宙へと伸び、猿之助はしなった勢いのまま空高くへと体が飛ばされる。そして、長さが戻った延べ棒を手に持ち、


「おうらぁぁッ!!」


 空中から結衣がいる巨人の心臓部へと延べ棒を突き刺し、そのまま猿之助は悪魔の体を貫通して反対側へと着地する。次の瞬間、巨人の体は大きく膨れ上がり、そして轟音を立てながらその場で爆散する。


「す、すごい…。」


 まさに一瞬の出来事であった。ヘドロの雨が降り注ぎ、悪魔の討伐が成ったのだということをここで知らされる。


「ぁ、ゆいちゃんは!」


 ここで気になるのは結衣の容態だ。悪魔は倒したはいいものの、あの勢いで突かれたら、結衣ももしかしたら…ということがあるかもしれない。そう思い、鈴音は急いで猿之助の元へと急ぐ。


「ゆいちゃん!」


「んぁ?あぁ、この子のことか?大丈夫やで、今は意識を失っとるけど、きちんと息もある。生きてるで。」


「良かった…ゆいちゃんっ…ゆいちゃん!」


 猿之助が結衣の小さな体を抱える中、鈴音は結衣が無事であったことに安堵し、結衣の胸で顔を埋めて涙を流す。しばらくした後、後ろからもう1人の男が姿を現した。


「随分と派手にやられちったなぁ、神楽。」


「そうだ、神楽くん…!」


 神楽はどうなったのかと思い、後ろを振り向く鈴音。するとそこには、足を引きずりながらも何とか歩いてくる神楽の姿が目に映った。


「あぁ、今回は結構ボロボロみたいだ…。思うように足も上がらない…。」


 落ち込む神楽に対して、猿之助は大笑いをかます。


「はっはっはっ!神楽がここまでやられるとは、まぁ相当強かったんやなぁ、今回の悪魔は。とりま、うちの病院にまた通うことになりそうやな!」


「ははっ…そうなりそうだな。」


 と、苦笑いを浮かべる。

 その様子を見た鈴音は、神楽が無事であったことに安堵すると共に、ふと一つの疑問が浮かび上がった。


「そういえば…おふたりはどういう関係で…?」


 その疑問を受け取った二人はお互いに目を合わせたのち、猿之助が答えた。


「まぁ、それは長くなるからあとでゆっくり話すわ。それより、まずは病院に行かなあかんな。その子も、神楽も。まぁ嬢ちゃんも、その子のことが気になるだろうし、ひとまずゆっくりしたらわいの病院に来てや。そこで話そう。あとで位置情報送っとくから。とりあえず連絡先だけ教えるわ。」


「あ、ありがとうございます…。」


「あとは警察に任せとけばええ。悪魔専門の刑事さんがおるからな。それはわいがやっておく。じゃあわいは神楽を送ってくから、この子は任せたで。」


「は、はい!ありがとうございます!」



 謎の男の助けによってなんとか救われた今回の事件。事件が起こった原因は、飯田結衣の「才能のある者を妬む思い」であった。自分はどう生きるべきなのか、それを迷うものは多い。だが、遠回りでも、少しずつでも、自分というものを見つけて生きていく。それが大切なのだと感じた鈴音であった。

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