第32話:名前も知らないくせに
友達では無い、とはっきり言いきられたアリカは、驚愕の表情のままで固まっていた。
だが、騎士団員たちはそっと互いにひそひそ話をする。
「……シェリアスルーツ侯爵令嬢、名前はライラックなんかじゃないだろう……?」
「友達なのに、本名を知らないのか……?」
どうして『ライラック』はこんなにも意地悪なんだろう、とアリカは思うが、前提条件が間違っていることに気付かない。
「わ、私を知らない、ですって……?」
「はい、関わりがございませんもの」
確かに関わりはないが、アリカが王太子妃になれば嫌でも貴族として関わることになるのに!と大声を出してしまいたかったが、そもそも『ライラック』の『名前』とは何なのか、アリカには意味がわからなかった。
「……ライラックが浸透しすぎた弊害か……対策が必要だな」
「そうですわね、お父様。けれど、わたくしのお友達は皆わたくしの名前を……いいえ、フルネームを知っておりますもの」
「あぁ、いつもの令嬢たちか」
「はい」
迷いなく頷くフローリアは、仲良し組の友人たちを思い出して、一人ほっこりしている。
各々の道に進んだとしても仲良し組なのは変わらない、大切なフローリアの宝物。
でも、目の前の令嬢は何故か自分がフローリアの友人だと嘘をついている。そんな人、友人であるわけがないのだから。
「同じクラス、と伺いましたが……わたくしはもう卒業まで学園には参りませんし、どう足掻いたとて関わりがないでしょう?」
「私が王太子妃になれば関わるでしょう!?」
「でも、貴女はまだ王太子妃ではないとお見受けいたしますが」
確かにそうだ。
フローリアの言う通り、アリカはまだ正式な王太子妃では無い。ミハエルの一声で候補となっているだけの存在だが、婚約者として扱われてはいる。
「で、でも、王太子妃でなくとも私はミハエル様の婚約者よ!」
「はぁ……」
だから何だ、とでも言いたげなフローリアの言葉に、更にアリカが言い返そうとした時だった。
「何をしておるか!」
「国王陛下……!」
アルウィンはじめ、騎士団員たちが一斉に礼を取る。無論、騎士見習いであるフローリアも例外では無い。
アリカには、それがまるで自分に対してのものだと思えるくらい壮観な光景で思わず笑いそうになったのだが、ぎろりと国王に睨まれ、すくみ上がってしまった。
「あ、の……」
「何をしておるか!余計なことをしている時間などないのだぞ、さっさと王太子妃教育に戻れ!!」
ぐ、と拳を握り締めてアリカが戻ろうとした時、また追加でやって来た人物に騎士団員全員ぎょっとした。
「これはまた、随分と賑やかな王太子妃候補だな」
「王弟殿下?!」
「嘘だろ!」
どよめきが一気に広がるが、更に驚いているのは国王自身だった。
こんなところに来るわけがない、さっきの話の後でもう帰っているものだとばかり決めつけていたのに。
「シオン……?!」
「あまりに吠える声がやかましいので、何がキャンキャン吠えているのか確認しに来たら、王太子妃候補とは」
「………っ?!」
心の底からアリカを馬鹿にしたシオンの発言は、国王も顔色を悪くするが、事実だからどうもできない。
シオンはアリカとジェラールを気にもとめず、くるりとアルウィンの方を向き直って朗らかに話しかけた。
「久しいな、シェリアスルーツ侯爵」
「大して久しくなどございませんが?」
「はっはっは、そう怒るな。核のお礼に色々と融通をきかせているだろう」
「それくらいしてもらわないと割に合わないんです!」
「え……」
自分とはあんなに気軽に会話をしないのにどうしてだ、とジェラールが思うが、それは日々の積み重ねによるもの。
人遣いは驚くほど荒いものの、シオンはシェリアスルーツ家のみならず、自分が依頼した魔獣狩りを引き受けてくれた際には、騎士団全員に破格の報酬を送っている。
金銭だけではなく、その人が欲しいと思っているものをぴったりなタイミングでくれるから、キツくても騎士団員たちはきっちりと仕事をする。物品だけではなく金銭面でも魔獣狩りに行けば追加報酬をくれるので、嫌だけど今月ちょっと頑張りたい!という人たちにとっては参加しない理由もないのだ。キツさが尋常ではない、ということだけがネックになりつつあるが、アルウィンやセルジュを始めとした猛者がいるから成り立っていることでもある。
「シオン……お前、は……」
「兄上、さっさとそこの王太子妃候補を教師の元に引きずっていったらどうですか。団員の訓練の邪魔をしているだけでなく、そこの……ええと」
「王弟殿下、我が娘にございます」
「そうだ、シェリアスルーツ侯爵令嬢だったな。彼女に意味もなくかみつくなど、時間を無駄にするにも程があるだろうよ。少し考えれば分かることだが、なぁ?」
「……っ」
アリカは思う。
どうして、こんなにも多くの人の前で辱められなければいけないのか?
──王太子妃教育から逃げ出して、たまたまた見かけたフローリアのところに突っ走ってきてしまったから。
どうして、フローリアに友人でないと言われなければならないのか?
──そもそも友達ではないのだから、何をどう言ったところでこれはフローリアが正しい。
「……戻り、ますわ」
悔しそうな顔をして、アリカは最後にフローリアをひと睨みして王宮内に戻っていく。
一体何をしたかったんだ、とげんなりした顔で見送る団員たちには構わず、シオンはうきうきとした様子でフローリアへと近寄った。
「……あの?」
いきなり目の前に立たれ、自分より身長の高いシオンをフローリアは見上げる。
そういえば、父よりもシオンは身長が高いかもしれない、と思ってフローリアはどうしたら良いのか分からないな、とも考えながらじっとシオンを見つめる。
シオンはシオンで、フローリアの様子をじっと観察していた。
あぁ、やはり予想通り面白いな、と思っていると自然と微笑みが浮かんでしまった。
「王弟、殿下?」
「すまない。少し君が面白いことをしているようだ、と思ってね」
「面白い……とは」
はて、とフローリアが首を傾げていると、シオンはフローリアの髪をじっと見つめて、にぃ、と口の端を上げて笑った。
「どうして、髪に魔法をかけた形跡が?」
「あぁ……ちょっと切った髪を伸ばしたくて」
「へぇ?」
「先程、手合わせで髪を引っ張られましたので、離してもらうためにざっくりと」
切りました、とフローリアはあまりにあっさりと続けたものだから、シオンは思わず『へぇ』と呟いていた。
髪は女の命、ともいう。
それをなんの躊躇いもなくばっさりと切った、というのか。
女性騎士の中にも豪傑がいたものだ、と楽しげに笑っているが、行動に移せる人が実在するだなんて思っていなかったから、シオンはわくわくしてしまって仕方ない。
「それで、元通りに戻すために」
「はい、成長促進魔法を少し応用させました」
「(何でもないように言うわね、この子)」
やりたいと思うことと、できるために努力をすること、尚且つ実行する行動力。
それら全てがシオンの目の前にいる少女には備わっている、ということ。
「(この子、すごいわ)」
王太子妃となり、後の王妃となればどれだけ国の繁栄に寄与できたのだろうか。
良かった、ミハエルの馬鹿が彼女をあっさり捨ててくれて。
「いつか、そなたの魔法の数々を見せてもらえるか?」
「えぇ、王弟殿下がご希望されるのであれば」
「だが……女性の髪をそんなに切るような危険な現場に行くわけにもいかんな」
「魔獣狩りはいかがでしょう」
「フローリア?!」
しまった、とアルウィンが思うもフローリアの目がキラッキラに輝いている。
駄目だこの子またストレス溜まってる!と思ったが早いか、アルウィンが慌ててフローリアとシオンの間に入る。騎士団員たちは先日の魔獣狩りの疲れが癒えていない。そんな中で連れていくのは良くない、と慌てたがシオンが緩く首を横に振った。
「いや、騎士団員たちは疲弊しているからな。それはもう少し待とう。とはいえ、うーん……そうだ!」
「王弟殿下、ちょっと」
嫌な予感が更に増したアルウィンは思わず口を挟んだが、シオンは止まらない。
「アルウィン、セルジュ、そなたら付き合え。フローリア嬢、あまり強い魔物がいるところには無理だが、そこそこなレベルのところに行かぬか?」
「あのですね」
「行きます!」
はいはい、と手を挙げて喜んでしまっているフローリアに、シオンはにこりと微笑んだ。
ラケルはそれを見て『まずい!』と思って慌てて駆け寄るが、ほかの令嬢たちのように、フローリアがシオンに見惚れているということがなく、あれ、と思わず呟いてしまう。
それはアルウィンやセルジュ、ほかの団員も同じだったようで、皆がぽかんとしている。何なら、一番ぽかんとしているのはシオンだ。
「(思わず笑っちゃったけど、この子平然としてるわ。ヤダ、貴重な存在……!)」
「ちょっと閣下!フローリア嬢にいきなり何言ってるんですか!」
「そ、そうです!フローリア嬢はまだ騎士見習いで!」
「実地訓練が手っ取り早いだろう」
しれっと言うシオンに、フローリアはうんうん、と目をきらきらさせたまま何度も頷くし、ほかの新人たちも『俺も!』『私も!』と手を挙げている。
「今希望しているものは、特別任務として魔獣狩りに連れていこう。安心しろ、死ぬか、鍛えられて帰ってくるか、大怪我して辞めるかのどれかだ」
ある意味死刑宣言のようなそれすら、フローリアは動じていない。
アルウィンと一緒に魔獣狩りにも行ったことがあるからだが、今は興味の方が大きい。さっきのアリカとの会話でもイライラしたので、ストレス発散もしたかった、というのが恐らくは本音だ。
こうして、命知らずな新人はともかくとして、フローリアの願いが思いもよらない形で叶ってしまったことに、アルウィンはちょっぴり胃のあたりを押さえた。
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