第30話:すみません、どちら様でしょうか

「なぁんでうちのフローリアの髪があんなことになってるんだろうなぁ…?いちゃもんつけた新人、どこだ…」

「お嬢様の足元に転がってますよ」

「ん?」


 ドスの効いた低音で言っていたアルウィンだが、どうやら三人とも見事にフローリアにぶちのめされた痕跡が分かる。しかし、フローリアの髪が短くなっていることにまでは納得していない。


「それはそれとして」

「わかってますって。フローリア様、髪の毛を」

「自分でできますので問題ございませんわ」

「え?」


 根元を縛っていた紐を外し、ぱさ、と解放された髪はショートヘアを通り越してベリーショートのような長さへと変貌していた。

 フローリアは特に気にすることなく、自身の髪の毛に対して成長促進魔法を手際よくかける。

 そうすることで、ざっくりと切られた髪は、元の長さに戻っていったのだが、ぽかんと口を開けてセルジュが見ていた。


「どうなさいまして、セルジュ卿」

「お嬢様、そんな魔法使えましたっけ?」

「お母様の部屋にあった魔法書を読んで、できるかなぁ、ってレイラと練習してみたら出来ました」

「…そんなすぐ習得できました…?」

「ちょっと頑張りました」


 微笑んでいるフローリアだが、新たな魔法習得はそう簡単ではない。

 本人の適正もさることながら、発動のための新たな術展開用の魔法陣を正確にイメージして描くことから始まり、発動させるための魔力量の調整など、やること・覚えることはそれなりにある。

 というか、この使い方をするということは、これまでにも…?とはっとセルジュが感づいた。慌ててフローリアに視線をやると『言わないでくださいませ』とでも言いたげな笑顔の圧が飛んでくる。


「(言ったら殺される)」


 言わない方が良いことだってある。

 身をもって体験しない方が己のためだと判断したセルジュは、まだ不満そうな顔のアルウィンのことをここでようやく思い出した。


「団長、すみません。忘れてました」

「おい」

「お嬢様の髪の毛の方が優先順位高かったでしょう?」

「それはそうだな」


 うんうん、と頷いているアルウィンを見て、新人団員たち(伸びている三人除く)は、目を輝かせるが、アルウィンの言葉に思わず硬直した。


「我が娘の入団に関して、文句があるなら俺に言え。ごり押しして陛下から婚約破棄の慰謝料として権利をもらい受けてきたのは、俺だ」

「……」


 嘘だろ、マジか、婚約破棄されたのか、とざわつく新人たち。

 今この話題を出されていたたまれないのでは、と思った新人たちはこっそりフローリアを盗み見たが、本人はのほほんとしながら改めて髪を結び直していた。


「(あれぇ…?)」


 婚約破棄をされた令嬢は傷心状態だったり、あるいは思い出したくないからと嫌そうな顔をしているのでは、とばかり思っていたが、フローリアは違った。


「あの、シェリアスルーツ侯爵令嬢」

「はい」


 何ですか?と問い返してくるフローリアはいたって平然としている。


「婚約破棄は…辛くなかったんですか…?」

「辛い…?」


 本気で不思議そうな顔をしているフローリアに、新人団員たちは更に困惑してしまった。


「ええと…そうですね、多少なりとも思い入れがあれば辛かったかもしれませんが…」


 うんうん、と頷きながら真剣に聞く新人団員たち。


「何とも…髪の毛の細さほどの思いも無かったので、そもそも未練などあるわけもございませんし」


 あはは、と笑っているフローリアに、皆がぽかんとした。

 事情を知っている古参の団員たちですら、ここまであっけらかんとしているとは思わなかったらしい。


「それに、当時を思い出すと嫌な記憶しかございません。わたくしは、そんな過去を綺麗さっぱり捨てて、お父様の後を継いで、シェリアスルーツ侯爵となる、と決めたのです。まずは心身ともに鍛えることから、ですわよね、お父様?」

「うむ」


 偏見丸出しだったのは、自分たちなんだな、と新人たちは思った。

 シェリアスルーツ侯爵の愛娘だから。

 どうぜ親の七光りでここに入団した我儘娘なんだろうと、決めつけていた。まだフローリアのことはきっちり知らないが、何だかうまくやっていけそうだ、と思っていたら、アルウィンがフローリアにKOされた面々に回復魔法をかけていたのだ。


「あら、波乱の予感」

「ちょっとお灸をすえるんだよ」


 回復魔法をかけられ、三人はようやくまともに立ち上がれるほどになった。

 特に急所を思いきり蹴り上げられた団員は、フローリアを見て『クソが』と呟いてしまったものだから、さあ大変。


「誰がクソだ?お前たちが何よりもクソだろうが!!あぁ!?」

「ひぃっ!?」

「な、なんだよ!」

「おいばか、団長だ!」


 アルウィンの怒号に驚き、委縮する三名。

 おまけにアルウィンが遠慮なしにその三名に対して殺気を全開にしたものだから、あてられてしまっている近くにいる人はたまったものではない。


「大変、こちらへ」


 ちょいちょいとフローリアが手招きをし、新人たちをそっと背に庇う。

 そうすることで、ほんの少しだけさっきの勢いが少しだけ楽になったような感じがしたのだ。


「す、すみません」

「いえいえ、お父様…いいえ、団長はお怒りになるととっても怖いですから」

「…平気なんですか?」

「慣れております。小さい頃から、ああして叱られておりましたので」


 あれを!?とぎょっとするメンバーだが、それはそうか、と何故だか納得してしまった。

 いくらフローリアのことを可愛がっているとはいえ、アルウィンは父親。

 悪いことをすれば叱るし、良いことをすれば思いきり褒める。その落差がとてつもない上に、他の人の前では大体娘と妻に対してデレデレだから、叱らないイメージが先行したのだろう。


「人のことを対話もせずに勝手に判断し、あまつさえ自分が弱く倒されたくせに相手を罵倒する、そんな輩、騎士でもなんでもないわ!!バカ者どもが!」

「しかしですね、不意打ちが酷く」

「髪を掴んで行動制限したのは不意打ちでないというか!」

「それは…」

「団長、そんなに叱らないであげてくださいませ」

「……しかしだな……」

「文句があるなら、わたくしよりも強くなってください。今のあなた方の訴えなど、何を聞いても誰にも響きません。それにご自身が『先に一発入れて良い』と言ったのは騎士団の皆さんが聞いておりますし、証人ですよ?」

「ぐ、っ…」


 ぐうの音も出ない正論、もとい結果を突きつけられ、ニックをはじめ三人そろって悔しそうにする。

 だが、自分たちの力量不足でフローリアに倒されたのは事実なのだ。


「…っ、悪かった!」

「別に悪いだなんて思っておりません。気にくわないと思われていて、当然ですものね」

「え…?」


 少しだけ悲しそうなフローリアだったが、気を取り直したようにまたいつものおっとりとした表情へと変化した。

 改めて稽古に入ろうとした矢先のこと、ばたばたと騎士団の訓練場の外から聞こえてくる。


「何だ?」

「さぁ」

「騒がしいな」


 アルウィンもセルジュも、訝し気な顔になる。と、その時だった。


「いましたわね、ライラック!貴女、王太子殿下に未練があるから騎士団に入団したのでしょう!」


 誰だ!とざわつく者もいれば、アルウィンとセルジュ、婚約破棄の一件を知っていて相手を知っている人たちはげんなりしていた。

 そんな中、フローリアはアリカを見てきょとんとして問いかけた。


「すみませんが、どちらさまでしょう?」

「は!?」


 あ、とアルウィンは顔を曇らせる。


 幼い頃から敵に囲まれていた状態といっても過言ではなかったフローリアだが、奇妙な特技を身に着けてしまったのだ。

 興味がない、もとい『こいつは関わりたくない』と思った瞬間に、その人物を記憶からさくっと抹消してしまう。恐らくアリカについては、もう関わらなくていい(学園も卒業まで行かなくていい)と判断したから、そうしてしまったのだろう。

 実際、アリカに関わるとすれば、彼女が本当に王太子妃になって護衛をするときくらいかもしれない。だが、王族の護衛には別で用意されている上級騎士団が存在している。

 それが輪をかけて『関わりたくない』の判断を行ったのだろう。


「あ、あなた…未来の王太子妃たる私に向かって、そんな…!い、いいえ、それよりクラスメイトなのよ!?」

「そうでしたか」

「と、友達で!」

「いいえ」


 にこりと笑ったまま、フローリアは彼女にしては珍しくはっきりと否定をした。


「貴女なんか存じ上げませんし、わたくしの大切なお友達なんかではありません」


 その言葉には、たっぷりと拒絶が込められていたのだった。

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