第17話:お帰りなさい、お父様

 夢の中で、フローリアはきょろきょろと辺りを見渡した。

 まず、ここはどこなのだろうか。

 一面が真っ白な世界で、フローリアがたった一人立ち尽くしているところに、どこからか声が聞こえてきた。


『お前なんか、俺のひと声で婚約者じゃなくなるんだからな!』


 ──別に、望んであなたと婚約なんかしていない。


『いいか、お前の価値は俺の隣に立ってにこにこ笑っているくらいだ!』


 ──では殿下のお隣には、愛らしいお人形さんでも置いておけばよろしいのに。


『王太子妃として恥じない行動をしろよ!』


 ――ではあなたは、思いやりも何も持ち合わせていないのに、王太子として恥じない行動をしていると本当に言えるの?


 幼いフローリアとミハエルが何やら向き合い、ミハエルが一方的にフローリアに対して棘のある言葉をぶつけている。表立って思いきり言葉で攻撃されているフローリアは、心の中でしか己の感情をを吐き出せていない。

 彼らの視界に、今のフローリアは見えていないようだ。

 ミハエルの表情は生き生きとしているけれど、フローリアの顔は『死んでいる』という表現がぴったりで、笑顔の欠片も無く、言葉通りの無表情だった。


「……これは……」


 婚約を結んだばかりの頃、ミハエルに言われ続けた心無い言葉たち。

 ようやく解放されたと思っていたけれど、心には思いの外ダメージがあったらしい。当然と言えば当然だ。


「…もう解放されたのだから、こんな夢見なくても良いのに…本当に嫌だわ」


 はぁ、とフローリアがため息を吐いた。

 勝手に縛り付けて、逃げられないようにして、あれこれ好きに罵ったり褒めたりして、都合のいい時だけ助けを借りに来て。

 いい思い出なんか、一度だってなかった。


「わたくしは、もう自由なの」


 きゅ、と手を握って夢の中だろうがなんだろうが、きっぱりと言い切った。


 フローリアはミハエルの婚約者であったとき、ずっと彼の暴言に嫌な思いをしてきた。

 誰が好き好んであんな暴君に嫁ぎたいと思うというのか。

 そもそも、婚約破棄を言い渡されたあの場で、ミハエルが期待していたのは恐らくミハエルに泣いて縋り、『お願いします、わたくしを王太子妃候補から外さないでください!』と懇願するフローリアだったのだろう。

 だが、相手が悪かった。


「わたくしの役割は、次期シェリアスルーツ女侯爵として、国に仕え、我が民を守り抜くことなれば…」


 一度目を閉じ、大きく深呼吸をして、もう一度目を開く。

 フローリアはもう何も怖くない、あんなもののお守りからも解放されたのだ。


「消えて!」


 ミハエルに暴言を吐かれ、泣いていた自分が嫌いなわけではない。ただ、権力に負けて『どうすることもできない』と決めつけてしまった、弱い自分が嫌だった。

 だから、強くなれるように努力に努力を重ねた。

 そうして、父にも母にも認められる自分になった時、心の底から嬉しかった。


 今後、王宮に行くのはあくまでシェリアスルーツ家当主として。

 きっともうミハエルの口から婚約破棄の希望は、国王夫妻に届いているだろう。息子馬鹿な王妃が反対をしなければ、きっと何もかも壊されて、フローリアのいた位置にアリカがおさまるはずだ。

 鬼のような王太子妃教育が、ある程度色々なマナーを身につけさせられた後で、果たしてどの程度身につくのだろうか。

 今自分が正しいと思っているものに加えて、王族としての立ち居振る舞いまでも身に着けるというのは結構酷なことかもしれないけれど、自分達が選んだことなのだから完遂してもらわなければ困る。


 フローリアが夢の中で叫んだことにより、世界は砕け、そうして現実世界のフローリアが目を覚ました。


「…あら」


 ゆっくりと起き上がれば、ぽた、と落ちてくる水滴。


「嫌だわ…」


 目元に指をやれば、付着する涙。

 寝起きでぼんやりした頭で、フローリアはきょろきょろとあたりを見渡した。


「眠って…いたのね」


 フローリアとレイラ、今日は二人揃って朝稽古を全力で行ったのだった。

 双子だけで、シェリアスルーツ家騎士団全員を相手にするという結構とんでもない乱闘を行い、フローリアはメインとして、レイラはサポートとして全力で立ち回った結果、勝ったもののとてつもなく疲れてしまったから、朝食を食べた後に2人ともこてりと眠りについた。

 誰かがかけてくれたらしい毛布というか、上掛けがある。

 フローリアはまだ覚醒しきっていない頭で、誰が親切なことをしてくれたのだろうな、と考える。


「お礼を、言わなければ…レイラ…は、眠っているのね…」


 まだ意識がはっきりと覚醒していないけれど、とりあえず起きたことをダドリーに伝えなければ、と起き上がって寝ていた部屋を出て行く。

 どうやら客間の一室で眠っていたようで、部屋から出ればメイドたちが『あらお嬢様お目覚めですか』と優しく声をフローリアにかけてくれる。珍しく寝ぼけている状態のフローリアを見て、『まぁ、珍しいものが見られましたわ』と茶化してくれるメイドもいる。


「皆がこうしているということは…何かあったのかしら」

「ええ、ございましたよ」


 まだぽやぽやしているフローリアの問いかけに、独りのメイドが頷いてくれる。

 はて、何があったのだろうかと思って首を傾げていると、たまたま通りかかったダドリーがフローリアを見つけてぱっと顔を輝かせた。


「お嬢様、旦那様がご帰宅されましたよ!」

「あぁ…だから皆どこかふわふわしているのね」

「ふ、ふわふわ?そういうお嬢様は、絶賛お目覚め直後、でございますね」

「…ええそうね、疲れていたから殊の外、良く寝ていたみたい」


 家にいるときのフローリアは、余程の緊急事態でないとそこそこ気を抜いている(訓練時は別とする)。

 フローリアは、あふ、と小さく欠伸をしてしまい、ダドリーが『はしたない!』とぷりぷり怒っているが、欠伸をした本人はどこ吹く風だ。

 むしろ、家なのだからちょっとくらい気を抜かせてほしい。

 しかも今朝はとんでもない運動量、という名の手合わせ祭りだったのだ。休みの日といえど、眠いから寝て何が問題か、くらいの思いのフローリアなのである。


「まったく…。レイラお嬢様はまだお休みでいらっしゃいますか?」

「ええ、まだ熟睡しているわ」

「フローリアお嬢様はお先にお父上にご挨拶なさいますか?」

「…えぇ、そうしましょうか」


 もう一度、ふぁ、と欠伸をしてダドリーに案内されるまま歩いていく。

 あっはっは!と豪快な笑い声に、あぁ、父は今日も元気で良かった、と心の底から安堵し、居間の扉をノックして室内から返事が返ってきたのを聞いて扉を開いた。


「お父様、おかえりなさいませ」

「おぉ、我が愛しのフローリア!!父はお前に会えて嬉しいぞぉぉぉ!!」

「いやだわお父様、わたくし起きたばかりなので暑苦しいのは嫌です」


 大好きな父が勢い良くこちらに駆け出したが、寝起きでぽやぽやしているフローリアからすれば、思いきり突進されてハグそれてしまうのはご遠慮願いたい。

 嬉しそうにやってくるアルウィンから視線を逸らさず、にこにこと微笑んだままのフローリアは、アルウィンの走ってくるエネルギーをそのまま利用し、一歩だけ左に避けてひょい、と父を投げ飛ばした。


「うおっ?!」

「あらフローリア、起きたのですか。おはよう」

「おはようございます、お母様」


 ずどん!といい音がしたが、アルウィンはしっかり受身を取っていたから、さほどダメージはない。

 だが、投げられてぐるりと世界が回り、床に転がっているアルウィンはきょとんとしているまま、上下逆転している視界で会話をしている妻と娘を眺めている。


「フローリアよ、お父様を問答無用で投げ飛ばすのはな、あまり良くないと思う」

「だって寝起きでお父様に抱きつかれてしまうと、わたくしこう…ぷちっと潰れてしまいそうだな、って思いまして」

「あなたの愛情表現が暑苦しいんですわ」

「ルアネ~」


 平和な会話だが、この少し前にアルウィンは娘に投げ飛ばされているものの平然としている。

 ルアネもフローリアも普通に会話しているものの、この光景は普通じゃない…!と胃を押さえているダドリーの肩を、いつの間にか起きてきていたレイラが叩く。


「なぁんで慣れてないのよダドリー。おはよ」

「はい、二度目のおはようございます、レイラお嬢様。フローリアお嬢様も…こう、もう少しお淑やかといいますか…。王太子妃候補にもなっておりましたしね?」

「どうにもならない、ってば。それより私もリアも寝起きでお腹すいたから何か用意して?」

「お嬢様方がお元気で、ダドリーは嬉しゅうございます…」


 長年仕えているけれどこの家族の普通じゃない一面にだけは慣れない…!と絶叫するダドリーだが、メイド長に相談したところ『ちょっと離れた位置から見ていると楽しいですよ』と返されるわ、新入りのメイドにも『えー、執事長は楽しくないですか?!お嬢様たちの手合わせとか見てるのー』とも返されてしまった。


「…慣れても視覚からのインパクトは毎回違うので、慣れきらないんですよねぇ…」


 ぽそ、と呟いてダドリーはお茶の準備をしようと部屋を後にしたのであった。

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